ルネサンスを知るためのキーワードは「世界の中心は神ではなく人間」です。
時は15世紀も開けたばかりの1401年。
イタリア、フィレンツェではこの年サン・ジョヴァンニ洗礼堂 (Battistero di San Giovanni)の北の門を飾る彫刻を手掛けるアーティストを選ぶコンクールが開催されました。
「食器は割れやすいものだから耐久性があり、お手入れも簡単なものがいい。でも、毎日使っても飽きない、素敵なデザインのものがいいな・・・」。
そんな風にお考えの方もいらっしゃるかもしれませんね。そんな方にぴったりなのが「ビレロイ&ボッホ(Villeroy&Boch)」です。
日本で「ビレロイ&ボッホ」を有名にしたのは、実は皇后雅子様。この「ビレロイ&ボッホ」の食器をお嫁入りの道具として選ばれたのです!
今回は、そんな由緒あるブランドの創立の歴史や、人気シリーズをご紹介します。普段遣いの食器の購入を考えている方、必見です!
創始者であるアウグスト強王によってその歴史が始まって以来、今なお300年以上に渡り愛され続ける、ドイツが誇る老舗磁器ブランドのマイセン。
その始まりから初期の頃、多大な功績を残し、その発展に大貢献した人物として有名なのが「3人のヨハン」と称されることも多い3人の天才たちでした。
マイセン磁器の誕生に直接関わったヨハン・フリードリヒ・ベトガー、その後、マイセン磁器における色彩の技術を向上させ、これを確立させたヨハン・グレゴリウス・ヘロルト、そして最後に登場するのが、マイセン磁器における造型の分野を著しく発展させ、これを確立したヨハン・ヨアヒム・ケンドラー(Johann Joachim Kaendler、1706~1775)です。
錬金術師のヨハン・フリードリヒ・ベトガーが当時まだ謎に包まれていた白磁器の製法を解き明かし、ヨーロッパで初めてその焼成に成功したことから、今なおドイツが誇る名窯マイセンの歴史が始まりました。
そのベトガーは37才という若さで死去。ベトガーを失ったちょうどその頃、マイセンも低迷期を迎えることとなってしまいます。
そんなマイセンにベトガーの死の翌年、彼と入れ替わるかのように登場するのが、伝説的な天才絵付け師として知られるヨハン・グレゴリウス・ヘロルト(Johann Gregorius Höroldt、1696~1775)です。
艶やかに輝く純白が特徴のこうした硬質磁器は、当時のヨーロッパで作ることができなかったこともあり、金や宝石にも匹敵する宝物とされていたことから「白い金」と呼ばれたほど!
18世紀初頭、アウグスト強王はこうした磁器をただ買い集めるだけでは飽き足らず、その謎に包まれた製法を解き明かし、自国で製造したいという野望を抱くように。
そんな彼の耳にある人物のうわさが飛び込んできます。 そのうわさの人物こそが"金を作ることができる"錬金術師を自称していたヨハン・フリードリヒ・ベトガー(Johann Friedrich Böttger、1682-1719)です。
陶磁器が好きな方なら、耳にしたことがあるであろう「マイセン」。
「最高級の食器」「ちょっと高そう・・・」、そんなイメージを持っている方もいらっしゃるかもしれませんね。
マイセンは、約300年前、ヨーロッパで初めて硬質磁器を生み出したドイツの名窯。東洋に憧れ、それを模倣するところから始まり、西洋で独自の進化を遂げました。
その優美さやクオリティの高さから、今なお、ヨーロッパ白磁界の王者として君臨しています。
今回は、マイセンがトップの地位を不動のものにしている理由や人気シリーズをご紹介します。これを読めば、あなたもマイセンのとりこになるかも!
高級食器ブランドとして世界中の人から愛されている「ウェッジウッド(Wedgwood)」。結婚式の引き出物などで1つは持っている方もいるかもしれませんね。
しかし、ウェッジウッドの魅力は引き出物などに多いシンプルな食器だけではありません。クラシカルな花柄や現代的なパターンなど、さまざまなテイストのシリーズがそろっています。
今回は、ウェッジウッドが今なお愛され続けている秘密と人気シリーズをご紹介します。これを読めば、きっとあなたもウェッジウッド通!
洋食器と言えば、マイセンやウェッジウッドに代表される超有名ブランドだけなく、近年はアラビアなどの北欧食器やポーランド食器なども人気がありますよね。
しかし、東欧ハンガリーにも名窯があることをご存知でしたか?
その名は「ヘレンド」。
19世紀に創立され、幾多の試練を乗り越えながら、一貫して丹念な手仕事で伝統の意匠を守り続けてきた窯です。
リュネヴィルの特産は、カラフルで楽しい陶器やオートクチュールール刺繍(ビーズやスパンコールを使用した高級注文服用の刺繍)として有名なリュネヴィル刺繍。
ロレーヌ地方には、他にも、「カフェオレボール」で有名なでディゴワン・サルグミーヌ焼きのサルグミーヌ(Sarreguemines)の街や、19世紀末から20世紀初頭にヨーロッパで開花した美術様式「アール・ヌーヴォー」の発祥の地のナンシー(Nancy)という街もあります。
ちなみに、王室御用達の高級クリスタルブランドとして有名なバカラ(Baccarat)も車で約30分の隣町にあります。
このあたりは、芸術的な製品の産まれる土地柄なのかもしれませんね。
フランス国王ルイ15世と妃マリー・レクザンスカの長男であるルイ・フェルディナン(Louis Ferdinand de France、1729-1765)は、生まれながらのドーファン(Dauphin、王太子)として誕生しました。
有名な愛人だけでもポンパドゥール夫人にデュ・バリー夫人などなど、数多くの愛人を持ったことで知られる奔放な父王ルイ15世とはタイプの違う人物であったというルイ・フェルディナンは、ローマ教皇とイエズス会の保護を行っていたというほど敬虔なカトリックで厳格な人物だったのだそう!(顔はそっくりですが、性格は真逆な親子だったんですね)
ドイツ・バイエルン選帝侯マクシミアリアン3世ヨーゼフは、バイエルン選帝侯から神聖ローマ皇帝となったカール7世と、妃マリア・アマーリエの間に、ミュンヘンで生まれます。
一方、彼の妻となるマリア・アンナ・ゾフィアは、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世(ポーランド王アウグスト3世)と、妃マリア・ヨーゼファの間に、ドレスデンで生まれます。
この頃のドイツは、大小の諸侯が乱立する領邦国家。その中でも特に力をもっていたのは、神聖ローマ帝国の皇帝に関する選挙権をもち「選帝侯」と呼ばれた7諸侯ですから、有力諸侯同士の政略結婚ですね。
そして、双方の母親同士は姉妹!ですから、マクシミリアン3世は一つ年下の従妹を花嫁に迎えることとなるわけです。