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サヴォーナ|ルネサンス文化を花開かせた教皇を生んだ港町

「母をたずねて三千里」というアニメを覚えていますか? 

少年マルコが母を探して船旅に出た港、あれはイタリア、リグーリア州の首都ジェノバ(Genova)だったのですが、そのジェノバから電車でおよそ1時間、港町サヴォーナ(Savona)に到着です。


モンテルーポ|フィレンツェの食卓を彩ったマヨリカ陶器

フィレンツェから電車に乗って15分も走ると、その景観は一遍し、車窓にはのどかな田園風景が広がります。

普通列車で30分ほどで、モンテルーポ・カプライア(Montelupo-Capraia)駅に到着、駅員のいない無人駅です。

古くからモンテルーポには特出した産業はありませんでした。唯一この街を支えた陶器作り以外には。

この街の陶器が注目されるようになったのは1406年フィレンツェが念願だった港、ピサ(Pisa)を手中に治めてからのことです。


ウルビーノ|「マヨリカのラファエロ」が生んだ鮮やかな黄色い陶器

ルネサンス期、フィレンツェやローマにも劣らない素晴らし芸術が花開いていたウルビーノでは陶器の製作も非常に盛んで、各地から優れたイストリアート(説話画)の陶芸家が集まり、腕を競っていました。

その中でも特に優れた才能を発揮していたのは、ニッコロ・ペッリパリオ(Niccolò Pellipario)通称二コラ・ダ・ウルビーノ(Nicola da Urbino)です。

二コラは作風や芸術レベルの高さから同郷のラファエロとよく比較され、「マヨリカのラファエロ」とも呼ばれています。


ファエンツァ|マヨリカ陶器の代名詞ともなった、イタリア最大のマヨリカ焼きの製陶地

ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の美術様式モザイク画で有名な古都ラヴェンナ(Ravenna)に近いファエンツァ(Faenza)は、イタリアのエミリア・ロマーニャ州(Emilia-Romagna)にある人口6万たらずの小都市です。

この小さな街を世界的に有名にしているのは、陶器。

特にマヨリカ焼きをヨーロッパ中に広めたのはファエンツァの窯、陶工たちだったのです。


グッビオ|華やかなルビー色に輝くマヨリカ焼きの産地

中部イタリア、ウンブリア州(Umbria)の州都ペルージャ(Perugia)から車で1時間も走ると、山の斜面に作られたグッピオ(Gubbio)の街が見えて来ます。

イタリア人がこの街をよく知っているのはその歴史の深さゆえ、というだけではありません。

実はグッピオはイタリア国営放送(Rai)で2000年から12シーズンにも渡って放映されている人気ドラマのロケ地として長い間、使われていて、イタリア人にとっては非常に見慣れた街なのです。

 


カステッリ|「マヨリカ焼きのシスティーナ礼拝堂」が佇むイタリアの最も美しい村

州都ラクイラ(L’Aquila)から車で、1時間ほど「イタリアの最も美しい村(I Borghi piu belli d’Italia)」の1つにも選ばれているカステッリ(Castelli)に到着です。

カステッリとは「城」という意味で、街は標高500メートルの高さに位置しています。

街の見どころはなんと言ってもサン・ドナート教会(San Donato)です。

この教会の天井は1615年から2年間かけて街の全ての陶芸職人が参加して制作されたマヨルカ焼きのタイルで覆われています。


カステッラモンテ|陶器のストーブが温める「山の上の城」
北イタリアのピエモンテ州(Piemonte)の州都トリノ(Torino)から車で約1時間、「山の上の城」という街の名前からわかるように、カステッラモンテ(Castellamonte)の街は小高い丘の上にあり、城は街の中心にそびえています。

オルヴィエート|古代エトルリア人の時代から栄える「世界一美しい丘の上の街」

「緑の心臓」と言われるイタリア中部ウンブリア州にあるオルヴィエート(Orvieto)の街は、小高い丘の上にあり、「世界一美しい丘の上の街」と言われています。

群馬県の前橋市と姉妹都市でもあるオルヴィエートへは、首都ローマから列車で一時間。電車を降りたら、旧市街へはイタリア語でフニコラーレ(funicolare)と呼ばれるケーブルカーで向かいます。

ちなみに音楽の教科書にも登場する、ナポリ民謡で有名な「フニクリ・フニクラ」はケーブルカーの愛称なのです。


ヴェネツィア|「アドリア海の女王」と呼ばれるムラーノ・ガラスの産地

ヴェネツィア共和国は当時最も進んだ技術を持っていたシリアのアンティオキアと協定を結びます。

原料や燃料だけでなくガラス職人までもヴェネツィアに輸入し、ローマ帝国やイスラム世界で発展した伝統的なガラス技術を取り入れ、応用することで独自のガラス製作技術を手に入れました。

そして、自分たちのガラス製作の技術が外に漏れるのを防ぐことと、ガラス製作には火を使うため、狭い島内で火事が起こることを恐れたヴェネツィア共和国は、1291年、全てのヴェネツィア本島に有ったガラス工房を、ムラーノ島(Murano)へ強制移住させます。


アルビッソラ・マリーナ|リヴィエラ海岸のコバルトブルーの陶器

アルビッソラ・マリーナの陶工たちは、スペインやフランス、パルマ王国などへ移って行き、その技術を伝えました。

1569年には13の工房が有りましたが、1640年にはその数が23になり、マヨリカ製作の黄金期を迎え、陶芸は17世紀から18世紀におけるリグーリア地方の最も重要な産業になりました。

装飾のモチーフには花や動物、船や帆船が描かれた海の風景が好んで選ばれたほか、伝統的な神話や聖書のエピソードなどが描かれています。


フィレンツェ|メディチ家とともに栄えたルネサンスの中心都市

洋食器好きなら是非、訪れたいのがメディチ家の住まいであったピッティ宮の裏手のボーボリ庭園内にある「陶磁器博物館(Museo delle Porcellane)」です。

メディチ家は偉大な芸術家のパトロンとして有名ですが、様々な美術工芸品のコレクターでもありました。

そのコレクションの1つが磁器で、この博物館ではフィレンツェの支配者であったメディチ家に対して、他のヨーロッパ諸国から贈られたセーヴルマイセンといった著名な陶磁器が収蔵されています。


ナポリ|幻の磁器と呼ばれる「カポディモンテ磁器」の生まれた街

「ナポリを見てから死ね (Vedi Napoli e poi muori)」」と言われるほど、一生に一度は訪れたい風光明媚な南イタリアの中心都市ナポリ(Napoli)。

最大の見どころは、1世紀にヴェスビオ火山の噴火により、その火砕流により2000年前の生活をそのままに、地下に埋没したポンペイやヘルクラネウム(現エルコラーノ)遺跡の出土品です。

この影響を大きくうけたのが、イギリス・ウェッジウッド社の創業者であるジョサイア・ウェッジウッド。それまで東洋陶磁器の模倣をもとに発展してきたヨーロッパ陶磁器の世界に、欧州文明の起源であるギリシア・ローマ文化の要素を取り込むことで新たな流行を産み出します。


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