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ロイヤルアルバート|紅茶をおいしく飲むための究極のシェイプと、イギリス国花の赤いバラ

ロイヤルアルバートの特徴は、英国王室御用達の名にふさわしいエレガントな佇まいと、美しい花柄のデザインにあります。

まずは代表的なシリーズである、オールド・カントリー・ローズについてご紹介したいと思います。

「オールド・カントリー・ローズ」は1962年に誕生し、単一デザインで一億ピース以上を売り上げ、大ベストセラーとなりました。

一億ピースというと、日本国民の成人のほぼ全員が持っているくらいの数ですから、いかにすごい人気であったか想像ができますね。


トーマス・リプトン|斬新な経営戦略で、小さな食料品店から世界で愛される紅茶ブランドへ発展させた紅茶王

世界各国から愛される有名紅茶ブランド、リプトン。

日本で初めて輸入された紅茶はリプトンであり、日本人にとっても大変なじみの深い紅茶といえるでしょう。

そんなリプトンの創業者トーマス・リプトン(Thomas Lipton、1850-1931)はもともと食料品店を営んでおり、紅茶の事業を始めるのは意外にも?39才頃のこと!


リチャード・トワイニング|高すぎるお茶の税金が引き起こしたアメリカ独立戦争と、トワイニング社4代目の活躍

17世紀に、国力をつけたイギリスとフランスは、いずれも積極的な植民地獲得に乗り出し、インド、アメリカ新大陸で互いに争い、ヨーロッパにおいても、スペイン継承戦争、オーストリア継承戦争、七年戦争などで度々、敵対しました。

これら植民地政策や相次ぐ戦争で、多額の費用がかさんでいた18世紀のイギリス。

そこでイギリスは、苦しまぎれに新たな課税を始めることとなりますが、これが国内のみならず、"国外"からも大きな反発を受けることとなります。


マリア・テレジア|オーストリアを近代化し、ウィーンをカフェの街にした啓蒙専制君主

マリア・テレジアの父カール6世には男の子の世継ぎがいなかったため、当時、女性の世襲は認められていなかったもかかわらず半ば強引に、23歳のマリア・テレジアにハプスブルグ家(神聖ローマ帝国)の女君主としての地位を引き継がせることになります。

正確には、「神聖ローマ皇帝」という称号は夫のフランツ1世が持つことになったものの、政治の実権は完全にマリア・テレジアが持っていました。


チャールズ・グレイ|紅茶アール・グレイの名前は元イギリス首相の名前から?

チャールズ・グレイは、政治活動を始めた当初、あまり人脈がありませんでした。自分の売り出しにも悩んでいた時に、社交界で一人の女性と知り合います。

それは、当時社交界の華として大変な人気を誇っていた、デヴォンシャー侯爵夫人(ジョージアナ・キャヴェンディッシュ)でした。

デヴォンシャー夫人の後押しもあって、チャールズ・グレイは自分の名を広めることに成功します。しかし、デヴォンシャー夫人との間は、ただの政治仲間ではすみませんでした。


ウィリアム・フォートナム|召使いの副業から始まった、イギリス王室御用達の店「フォートナム&メイソン」

ウィリアム・フォートナムは、1707年に、「フォートナム&メイソン」を設立した人物として有名ですが、その出自に関しては謎が多く、資料も大変少ない人物です。

ウィリアム・フォートナムの名前が歴史に登場するのは、名誉革命後のスチュアート朝最後の女王となった、アン女王のフットマン(footman)として王室で働いていた時のことです。

ちなみに、footmanとは、王族・貴族の馬車の車輪が、ぬかるみにはまったり、木の根に乗り上げたりしないよう、徒歩で馬車のまわりをついていく、要するに下級召使いのことです。


キャサリン・オブ・ブラガンザ|「陽気な王様」に嫁ぎ、イギリスにお茶をもたらしたポルトガル王女

チャールズ2世は、王政復古によって混乱していた国の立て直しを図るため、また当時イギリスのライバルであったオランダに対抗しようと、オランダのライバルであったポルトガル王女との結婚を画策します。

この政略結婚はキャサリンが生まれた頃から持ち上がっていたといい、キャサリンが2歳になるかならないかの1640年には婚約していたとか!

しかし、ピューリタン革命に伴う混乱によって延期となっていたのです。その後20年の時がたち、1662年、ついに二人はポーツマスにて結婚します


ヴィクトリア女王|大英帝国の繁栄期の象徴

大英帝国の繁栄期の象徴的存在であり、その時代の政治、経済、文化や技術面においては「ヴィクトリア朝」と呼ばれることでも有名なヴィクトリア女王(1819-1901)。

ちなみに、彼女が即位した時代、国内では全国的な不作も影響し、イギリス経済はどん底に あったといいますから、国民の若い女王への期待感は薄いものだったよう、、、

彼女が大英帝国を黄金期へと導き、その後60年以上にもわたる治世が続くとは国民には知る由もなかったかもしれませんね。


アンナ・マリア|アフタヌーンティーを始めたウーバンアビーの貴婦人

今でこそ紅茶といえば英国!というイメージが定着している現代ですが、英国に紅茶の習慣が広がっていった背景には、王侯貴族が宮廷内で流行らせたことをきっかけに、それが徐々に中産階級へ広がり、やがて一般市民へと浸透していった、という経緯がありました。

しかし!紅茶にまつわる習慣は何でも王族が始めたとは限りません…

たとえば、アフタヌーンティーを始めたのは国王や女王ではなく、あるお屋敷に住んでいた貴婦人。

しかも彼女のちょっとしたお悩みがきっかけとなって生まれたアフタヌーンティーは、やがて女王をも楽しませる習慣として定着していくこととなるのです。


トーマス・トワイニング|いちはやく紅茶の小売に進出した製茶王

世界中で人気を誇る紅茶ブランド、トワイニング。英国の紅茶の歴史はトワイニングと共にあるといわれるほど、実は大変歴史ある伝統的なブランドでもあります。

その創設者であるトーマス・トワイニング(1675-1741)はイングランド南西部にあるグロスターシャーの出身といわれ、もともとトワイニング家は毛織物を扱う業者だったのだそうです。


ザ・サヴォイ|イギリスの5つ星ホテルで味わう伝統的なアフタヌーン・ティー

ウェッジウッドの美しいティー・カップでおいしい紅茶をいただきながら、スコーンやケーキを楽しむ・・・一生に一度は、本格的なアフタヌーン・ティーを体験してみたいものですよね。

イギリスではカフェでも楽しめますが、せっかくなら、名門ホテルで伝統的なアフタヌーン・ティーをしてはいかがでしょうか?

ロンドンにはアフタヌーン・ティーを楽しめる場所がありますが、中でも有名なのが名門5つ星ホテルのザ・サヴィ。

ロンドンの中心に位置し、テムズ川のほとりにある、1889年創業の歴史あるホテルです。

これまで、チャーリー・チャップリン、マリリン・モンローや、オードリー・ヘップバーンなど数々の著名人や王族、国家君主など世界のVIPに愛されてきました。


アン女王|紅茶の様式「クイーン・アン・スタイル」を確立した女王

アン女王(1665-1714)は、後に国王となるジェームズ2世の次女として生まれました。

アンの姉は、後に女王となるメアリ2世で、姉のメアリは控えめで大人しい性格であったのに対し、アンは乗馬やスポーツを好む社交的な人柄であったようです。

1683年にアンはデンマーク・ノルウェー国王の次男であったヨウエンと結婚し、夫婦仲は非常に良かったと言われています。

そんなアンの人生の転機ともいえる出来事が、1688年におきた名誉革命。


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