ハンドペイントならではの温もりや愛らしいデザインがお好みの方にぜひチェックしてほしいのがフランスの「ロールセリニャック」窯!
王妃マリー・アントワネットやポンパドゥール夫人が愛したモチーフをふんだんに使ったハンドペイントの食器でひそかに人気なのです。
高いハンドペイントの技術はフランス政府だけでなく、一流ブランドにも高く評価され、実はエルメスの食器の絵付けも担う窯なのです!
今回は「ロールセリニャック」窯の歴史や特徴から、人気シリーズまで詳しく紹介します。
フランス宮廷の世界がお好きな方、マリー・アントワネットのために作られた食器の「復刻版」が手に入るってご存じですか?
「ロワイヤル・リモージュ」というフランスの王室御用達窯は、歴史と伝統に培われた高い技術のもと、世界各国の美術館に展示されている作品の復刻を許された窯なのです!
フランスの文化的遺産といっても過言ではない傑作デザインが手に入るとは、夢のような話ですね。
今回は「ロワイヤル・リモージュ」の歴史や、人気の食器セットそれぞれにまつわるエピソードなどを紹介します。
超一流の窯がフランスにあるのをご存知ですか?
その名は「セーヴル」。
食器が好きでも初めて耳にする方もいらっしゃるかもしれませんね。
それもそのはず。大量生産はしない窯で、作品自体がかなり希少な逸品だからです。
マンガ「ベルサイユのばら」などフランスの宮廷文化や女性的なロココ調デザインがお好きな方、必見ですよ!
「料理が映える洋食器がほしい」「特別な人を招待して、ゆっくり料理でもてなしたい」―もし、あなたがそうお思いでしたら、ぴったりの食器がありますよ。
その名は「ベルナルド」。美食の国フランスで生まれたブランドで、現在は世界中の高級ホテルや三ツ星レストランでも使用される、一流シェフたちの心をつかんで離さない洋食器なのです!
今回は、日本では知る人ぞ知るベルナルド窯の歴史やその特徴、人気シリーズをわかりやすく紹介します。これを読めば、ベルナルドの食器で大切な人をもてなしたくなりますよ!
ナポリ・シチリアの王として即位し、後に王位を息子に譲ってスペイン王となるカルロス3世(1716-1788)は、スペイン王フェリペ5世と、彼の2番目の妃でイタリア北部のパルマ公女エリザベッタ・ファルネーゼとの間に生まれます。
父フェリペ5世には既に世継ぎとして先妻の子フェルナンド6世がいたため、カルロス3世は、母エリザベッタがイタリア北部のパルマ公国出身であったこともり、王子時代にはパルマ公を務めていました。
ドイツの窯と言えば、マイセン(Meissen)をまず思い浮かべる方が多いでしょう。
しかし、マイセン以外には思い浮かばない方もいらっしゃるかもしれませんね。実はドイツには、日本ではまだ知名度が高いとは言えない窯がたくさんあるのです。
今回は、マイセンに次いでドイツで2番目に歴史のある「ヘキスト陶磁器工房(Höchster Porzellan-Manufaktur)」という窯を紹介します。
注文を受けてから職人が下絵なしで絵付けするという、由緒ある窯なのです。
1870年、アルザス・ロレーヌ地方の領有権をめぐっておきた、フランスとプロイセン(ドイツ)間の普仏戦争により、サルグミーヌ窯は大きな問題に直面します。
この戦争の結果、サルグミーヌが、それまでのフランス領から、プロイセン(ドイツ)領へ組み入れられることとなったのです。
そして、ドイツからフランス国内への輸出に対しては、多額の税金がかけられることとなりました。
マリー・ルイーズ(Maria Luisa、1791-1847)は、神聖ローマ皇帝フランツ2世(Franz II、1768-1835)の長女として、現オーストリアのウィーンで成長しました。
幼少の頃から、「ナポレオン」と名付けた人形をいじめながら育ち、10代の頃にはナポレオンのヨーロッパ侵略によってシェーンブルン宮殿を追われる経験を2度も経験したマリー・ルイーズ。
決して、ナポレオンに対して良い印象を抱いたことはありませんでした。
ジョゼフィーヌ(Joséphine de Beauharnais、1763-1814)は、いわゆる没落貴族の娘として、マルティニック島のトロワ・ジレに生まれます。
生家は経済的には困窮していたものの、もって生まれた人目を惹く美貌を活かし、生涯を通じて様々な男性を魅了し、派手で豪華な暮らしを送ります。
また、彼女の魅力は、その美貌だけではありません。彼女と一緒になった男性は幸運に恵まれ、別れた男性はツキに見放されるという不思議な体質。
1811年に、サン・クリク・カゾー(Charles Gaspard Alexandre Saint-Cricq Casaux)がクレイユ窯の経営者となり、1819年にモントロー窯を買収。
その後、工場経営を引き継いだルイ・マーティン・レベフ(Louis-Martin Lebeuf、1792-1854) とジャン・バプティスト・グラシアン・ミレー(Jean Baptiste Gratien Milliet、1797-1875)のもと 1840年には合併します。
ともにライバルとしてそれほど遠くない場所で陶器工場を営んでいたクレイユとモントローが共同で陶器を作ることとなりました。この名前は1840年から1874年まで“Lebeuf Milliet et Cie ”のマークで残ることとなります。