首都マドリードから東へAVE(新幹線)で2時間弱、スペイン第二の都市バルセロナからは南へ特急で3時間ほど旅すると、バレンシア州の州都であり、スペイン第三の人口(80万人)を誇る港湾都市バレンシア(Valencia)へ到着です。
自らの文化、価値観、言語を大切にしてきた独立心が旺盛なカタルーニャ地方(中心都市はバルセロナ)に言語面では大きな影響をうけつつも、バレンシアに住む人は、自分たちは「バレンシア人」と強い地域アイデンティティを持ち、独自の文化を発展させてきました。
アンダルシアは、日本人がイメージするスペインそのもの。温暖な気候に、真っ青な太陽、白い壁の家、フラメンコ、イベリコ豚。
そして、「アルハンブラ宮殿」で有名なグラナダのように、イスラム教文化とキリスト教文化などが複数の文化が折り重なった交差点です。
コルドバもまた例外ではなく、古代ローマ帝国の属州ヒスパーニア・バエティカの首都として栄え、ローマ帝国の力が弱まると、409年にスラブ系のヴァンダル族に侵入され、その後は西ゴート王国、東ローマ帝国と、所属の変遷を繰り返しました。
「ブルー&ホワイトの食器が好き」「その土地の風土や文化を感じられるような素朴なデザインが好き」、そんな方もいらっしゃるかもしれませんね。
もし、あなたがそう思っているなら、スペインの「サルガデロス」という陶磁器ブランドをオススメします。
日本ではまだあまり知られていませんが、実はスペイン王室や大使が自国のお土産としてプレゼントすることも多いブランドなのですよ!
今回は、お膝元「スペイン・ガリシア地方」の歴史や特徴、サルガデロスの食器デザインの由来に加えて、おすすめシリーズも紹介します。
「食器もいいけれど、陶磁器製の人形も好き!」「イヤープレートのように、記念日に買い足していくインテリアがほしい」―そう思う方もいらっしゃるかもしれません。
そんなあなたにはスペイン発の「リヤドロ」がおすすめですよ!
今にも動き出しそうな、柔らかな曲線や上品な色彩で世界中の人々から愛される磁器人形のブランドです。
現在は、ロシア・サンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館にも飾られるほどの芸術性の高さをもつ「リヤドロ」。その魅力を余すことなくお伝えします!
ポルトガル語で「ゆがんだ真珠」を意味するバロック美術を知るためのキーワードは「ドラマチックな演出」です。
ルターの宗教改革以降プロテスタント(新教)に押されていたカトリック教会(旧教)は、起死回生を狙って、信者獲得のため親近感のある教会づくりに挑みます。そのような目的に伴って発展したのがバロック芸術です。
マニエリスムのキーワードは「お手本は巨匠」です。
ミケランジェロを師と仰いでいたヴァザーリ(Giorgio Vasari)は著書「画家・彫刻家・建築家列伝」(Le Vite delle più eccellenti pittori, scultori, e architettori)でミケランジェロを筆頭に3人の巨匠の「手法(マニエラ maniera)」を芸術的最高のものとし「美しい様式(ベルラ・マニエラ)」と称えました。
ナポリ・シチリアの王として即位し、後に王位を息子に譲ってスペイン王となるカルロス3世(1716-1788)は、スペイン王フェリペ5世と、彼の2番目の妃でイタリア北部のパルマ公女エリザベッタ・ファルネーゼとの間に生まれます。
父フェリペ5世には既に世継ぎとして先妻の子フェルナンド6世がいたため、カルロス3世は、母エリザベッタがイタリア北部のパルマ公国出身であったこともり、王子時代にはパルマ公を務めていました。
ムルシアの歴史は大変古く、580年ごろには、イベリア半島の北東からこの辺りまでギリシャ人がやってきて、陶器産業を作る元となったとされています。
825年には現在の場所にムルシアという名前の都市ができており、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン2世以降は、しばらくイスラム王朝の統治下の時代が続き、この間に、陶工たちがやってきたそうです。
タラベラ・デ・ラ・レイナ(Talavera de la Reina、以下タラベラ)は、マドリードやトレドの近郊に位置し、人口は9万人程度。カスティーリャ=ラ・マンチャ州では4番目、トレド県においては2番目に人口が多い都市となっています。
”ラ・レイナ(la Reina)”は、スペイン語で”女王”という意味。カタルーニャ州にあるタラベラと区別するために、「女王のタラベラ」という名になったと言われています。
フェリペ2世(Felipe II、1527-1598)は、絶対君主の代表格にも位置づけられる人物で、スペイン黄金世紀の中でも最盛期に君臨した国王です。
このため、フェリペ2世はきっと、その時代に見合った、華やかな生活を送っていたはずと想像を広げる人も多いでしょう。フランスのルイ14世のように、絢爛豪華なものに囲まれ、豪遊生活を楽しんでいたのだろうと。
しかし実際はというと、フェリペ2世は絢爛豪華なものとは無縁の生活を送っていたのです。
マラガの街の起源は、紀元前3000年頃にペルシア湾から地中海地方へ移住してきたと言われる海上交易の民フェニキア人が、紀元前1000年頃に現在の場所に「マラカ」(Malaka)という都市を建てたことに始まります。
「マラカ」という名はフェニキア語の「塩」から来ていて、港で魚が塩漬けにされていたことによると言われています。