この時期には、産業革命が市民に芸術を謳歌させ、イギリス芸術をヨーロッパの中心へと押し上げる原動力になりました。
この時代イギリスでは既に芸術の担い手は王や貴族だけではなくなっていました。産業革命により新富裕層が出現、住宅ブーム、アフタヌーンティーや家庭演奏会流行等、生活文化・社交文化が非常に発展します。
ドイツからやってきたジョージ1世がイギリス国王の座についた1714年から、3代後のジョージ4世が亡くなる1830年までの約100年間のハノーヴァー朝の治世を、「ジョージアン時代」と呼びます。
外国人芸術家に頼りっきりで、これと言った傑作が見いだせなかったイギリス芸術において、強い愛国心からようやくイギリス独自のスタイルが生まれ始めたのはまさにこの時期のことです。
「ロココ」とはつる草や貝殻をあしらったロカイユ模様から発した言葉だと言われています。
フランスの貴婦人たちによってブームになった淡いパステルカラーを多用した優雅で雅やかなスタイルです。
今のロンドンの景観が生まれ、ようやくイギリスに独自のスタイルが誕生し始めた時代です。
1660年、イギリス革命の中で共和政が倒れ、ステュアート朝の王政が復活しました。その後、1688年の名誉革命までを王政復古期といいます。
この時代は共和制に不満を持っていた貴族たちによる華美で享楽的なバロック・スタイルが復活しました。
ポルトガル語で「ゆがんだ真珠」を意味するバロック美術を知るためのキーワードは「ドラマチックな演出」です。
ルターの宗教改革以降プロテスタント(新教)に押されていたカトリック教会(旧教)は、起死回生を狙って、信者獲得のため親近感のある教会づくりに挑みます。そのような目的に伴って発展したのがバロック芸術です。
シノワズリ(中国趣味)とは、中国製品の“コピー”ではなく、あくまでも中国“風”のものということで、西洋人の東洋の文化へのあこがれから生まれた西と東の美術のコラボレーションなのです。
中国人がコピーした有名キャラクターや東京オリンピックのエンブレムの盗作問題など、“パクリ”はとかく大きな問題になっています。
しかしなぜ“パクリ”、いわゆる複製やコピーがこれほど大きな問題になるのでしょうか?
1534年、イギリス王ヘンリー8世がカトリック教皇と袂を分かち、プロテスタントの影響を多分にうけた英国国教会を成立させ、自らがその首長となりました。
カトリックを辞め、英国国教会(プロテスタント)となったイギリスでは、どんな美術が生まれたのでしょうか?
マニエリスムのキーワードは「お手本は巨匠」です。
ミケランジェロを師と仰いでいたヴァザーリ(Giorgio Vasari)は著書「画家・彫刻家・建築家列伝」(Le Vite delle più eccellenti pittori, scultori, e architettori)でミケランジェロを筆頭に3人の巨匠の「手法(マニエラ maniera)」を芸術的最高のものとし「美しい様式(ベルラ・マニエラ)」と称えました。
ルネサンスを知るためのキーワードは「世界の中心は神ではなく人間」です。
時は15世紀も開けたばかりの1401年。
イタリア、フィレンツェではこの年サン・ジョヴァンニ洗礼堂 (Battistero di San Giovanni)の北の門を飾る彫刻を手掛けるアーティストを選ぶコンクールが開催されました。