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バレンシア、マニセス|「リヤドロ」と「マニセス焼き」を産んだ、陶磁器でも有名なスペインのビーチリゾート地

首都マドリードから東へAVE(新幹線)で2時間弱、スペイン第二の都市バルセロナからは南へ特急で3時間ほど旅すると、バレンシア州の州都であり、スペイン第三の人口(80万人)を誇る港湾都市バレンシア(Valencia)へ到着です。

自らの文化、価値観、言語を大切にしてきた独立心が旺盛なカタルーニャ地方(中心都市はバルセロナ)に言語面では大きな影響をうけつつも、バレンシアに住む人は、自分たちは「バレンシア人」と強い地域アイデンティティを持ち、独自の文化を発展させてきました。


コルドバ、ラ・ランブラ|イスラム教とキリスト教が混在する不思議な世界遺産「メスキータ」と銀細工の街

アンダルシアは、日本人がイメージするスペインそのもの。温暖な気候に、真っ青な太陽、白い壁の家、フラメンコ、イベリコ豚。

そして、「アルハンブラ宮殿」で有名なグラナダのように、イスラム教文化とキリスト教文化などが複数の文化が折り重なった交差点です。

コルドバもまた例外ではなく、古代ローマ帝国の属州ヒスパーニア・バエティカの首都として栄え、ローマ帝国の力が弱まると、409年にスラブ系のヴァンダル族に侵入され、その後は西ゴート王国、東ローマ帝国と、所属の変遷を繰り返しました。


ムルシア、トタナ|地中海近くの温暖な街で作られる昔ながらの手作り陶器と「ベレン」

ムルシアの歴史は大変古く、580年ごろには、イベリア半島の北東からこの辺りまでギリシャ人がやってきて、陶器産業を作る元となったとされています。

825年には現在の場所にムルシアという名前の都市ができており、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン2世以降は、しばらくイスラム王朝の統治下の時代が続き、この間に、陶工たちがやってきたそうです。


タラベラ・デ・ラ・レイナ|スペイン黄金世紀に発展し、南米メキシコまで渡った「タラベラ陶器」

タラベラ・デ・ラ・レイナ(Talavera de la Reina、以下タラベラ)は、マドリードやトレドの近郊に位置し、人口は9万人程度。カスティーリャ=ラ・マンチャ州では4番目、トレド県においては2番目に人口が多い都市となっています。

”ラ・レイナ(la Reina)”は、スペイン語で”女王”という意味。カタルーニャ州にあるタラベラと区別するために、「女王のタラベラ」という名になったと言われています。


マラガ|アンダルシアの黄金の輝き「ラスター彩陶器」

マラガの街の起源は、紀元前3000年頃にペルシア湾から地中海地方へ移住してきたと言われる海上交易の民フェニキア人が、紀元前1000年頃に現在の場所に「マラカ」(Malaka)という都市を建てたことに始まります。

「マラカ」という名はフェニキア語の「塩」から来ていて、港で魚が塩漬けにされていたことによると言われています。


セビリア|カラフルな色彩と立体感のある模様が特徴の「セビリア焼き」

セビリアの街は大西洋へとつながるグアダルキビール川の恩恵を受け、海洋貿易の拠点として長らく繁栄を誇っていました。

1492年に新大陸(アメリカ)を発見したコロンブスはここセビリアから出帆。セビリアが果たした重要な役割は今も語り継がれています。

711年から1248年まで、アル・アンダルス(現在のアンダルシア地方)の他の町々と同様イスラムの支配下におかれ、その影響を強く受けたセビリアの街には現在もイスラム文化が色濃く残されており、例えば、現存するヒラルダの塔は当時モスクの鐘楼だったものです。

しかしセビリアの街を彩るのは、イスラム文化だけではありません。


グラナダ|イスラム文化の結晶「アルハンブラ宮殿」と、青と緑が特徴の素朴な「グラナダ焼き」

キリスト教徒がイスラム教徒から支配権を取り戻そうとするレコンキスタ(国土回復運動)が進む13世紀以降のイベリア半島において、最後までイスラム王国の首都として栄えたグラナダは、今も色濃くアラブの香りを残しています。

1469年に、イベリア半島ではアラゴン王国のフェルナンド5世と、隣国のカスティリャ王国の王女イサベルが結婚し、「スペイン王国」として両国を共同統治し、1492年には、両王が率いるキリスト教徒軍によって街は無血開城されました。


トレド|中世の約1000年間、イベリア半島の中心として栄えた都市

トレドの歴史はとても長く、最初にこの地が「首都」とされたのは560年で、ローマ帝国の東西分裂、ゲルマン系王国でキリスト教を国教とする西ゴート王国、そして、その後の数百年はイスラム勢力の支配下となりますが、文化面でいえばキリスト教世界からも学者が訪れ、イスラム教とキリスト教の融合する文化都市として発展します。

1085年に、キリスト教勢力であるカスティーリャ=レオン王国のアルフォンソ6世がトレドに入城し、以降、1561年に、フェリペ2世がマドリードに遷都するまでの数百年間、文化・政治・経済の中心として、鉄製品や陶器などの生産地として繁栄しました。


ラ・ビスバル・デ・アンポルダ、ジローナ|カタルーニャ地方の素朴な陶器の街

ラ・ビスバルに着いて、まず目に飛び込んでくるのは、色鮮やかな、しかし素朴な陶器です。

この辺りの陶器はアラブの文化の影響を強く受けた南スペインのものとは違い、地中海を経由してやってきたギリシャの文化の影響を強く受けているそうです。

もちろんフランス国境にも近いので、フランスやイタリアの影響も受けていることは間違いなさそうです。


マドリード|歴代の王家が育んだ、豊かな陶器文化を持つ街

マドリードは、15世紀以降、代々のスペイン王家により首都とされて栄えました。

歴史上でスペインが一番繁栄していたといわれるのは、8-15世紀にかけて、キリスト教徒がイスラム教徒からイベリア半島を取り返した国土回復運動(レコンキスタ)が完了し、1479年にスペイン王国が成立した少し後のことです。

1492年のイサベル1世の援助を受けたコロンブスによるアメリカ大陸の発見をきっかけとする大航海時代の始まりから、1659年のフランス・スペイン戦争での敗北あたりまでは、「スペイン黄金世紀」と呼ばれる時期となります。

陶器産業が隆盛となったのも、このころです。


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