デルタでは既に1280年代にマヨリカ焼きを作成していた記録が残っており、そして産出された陶器は、地元の人たちが使うだけでなく、ペルージャやアッシジ(Assisi)にも運ばれていたとのことから、かなりの量が製造されていたことが伺われます。
当初のデルタ製陶器は、植物や幾何学模様が描かれた極めてシンプルなデザインのものでしたが、15世紀初め、それまで作られていたテラコッタと呼ばれる素焼きの焼き物の製作を止め、マヨリカ焼きの製法での陶器作りを専門的に行うようになります。
先史時代から陶器作りが盛んだったカルタジローネに、中世になるとマヨルカ島の商人によってイスパノ・モレスク陶器(「イスパニア・ムーア人の陶器」の意味でこの地域の錫釉陶器の総称)が輸入され、その技法もムーア人(アフリカ北西部に住むイスラム教徒)の陶工たちによってもたらされました。
その後、マヨルカ島からやって来たその陶器は、錫釉を塗ることで陶器表面が不透明で真っ白になり、その上に絵付けをすると非常に鮮やかに色が映えることから、瞬く間にイタリア各地へ広まってゆき、もっぱら16世紀までにイタリアで作られた錫釉陶器は「マヨリカ焼き」と呼ばれるようになりました。
地中海沿岸の地域では古くから陶器が製造されていましたが、その中でも良質な土が取れることから名を馳せていたのが、ここヴァロリスです。
しかしこのヴァロリスの陶器も衰退していた時期があります。 それを救ったのがピカソでした。
現代ではセーヴル、リモージュなどの名窯の作品を目にする機会が多く、サン・クルーの磁器は一般的にあまり知られていません。
しかし、ここサン・クルー窯はフランスで初めて軟質磁器を生産した窯と言われています。
アジアの陶磁器がヨーロッパに紹介され、ヨーロッパ風の洗練された品質やデザインで生産・流通されることになるのは、16世紀の大航海時代より後の、「近世」と呼ばれる時代になってからのことです。
これより前の時代「中世」とは、一般的には、ヨーロッパ全域を支配した大帝国であったローマ帝国が東西に分裂してから、東ローマ帝国が滅亡するまでの5-15世紀ころを指します。
17世紀のヨーロッパ人は、ギリシャ・ローマ時代(古代)と自分たちが生きる時代(近世)との間の時代を、古代の輝かしい文明や道徳が失われ、政治・経済的にも衰退してしまった「暗黒時代」と呼びました。
ヨーロッパ中世の騎士というと、ゲームの世界だとドラゴンクエストやファイナルファンタジー、映画の世界だとロード・オブ・ザ・リングなど、お城と姫とドラゴンのイメージで馴染みが深いかもしれませんね。
この時代の花形ともいえる「騎士」ですが、実際はどんな存在だったのでしょうか。
ヴァンセンヌは、フランスパリ東部、ヴァル・ド・マルヌ県のコミューン。パリメトロ1号線の終着駅・シャトードヴァンセンヌ(Chateau de Vincennes)にあります。
ヴァンセンヌ観光の際のお勧めスポットといえば、ヴァンセンヌの森でしょう。
皇居の6-7倍もの敷地面積を誇るこの広大な森には、12世紀建造の古城・ヴァンセンヌ城が佇んでいます。
古くは王族が利用し、17世紀にはルイ14世がハネムーンにも訪れたそう。