ルーアンへのアクセスと観光スポット
パリ・サンラザール駅から特急で約1時間10分の所に位置する古都ルーアン(Rouen)。
フランス北部ノルマンディ地方、セーヌ=マリティーム県の県庁所在地であり、自然豊かなノルマンディ地方の恩恵を受け、伝統的な可愛らしい木組み造りの家屋が今も建ち並びます。
出典:depositphotos.com(ルーアン、half-timbered house)
そんなルーアンは街の中心を流れるセーヌ川の水運で古くから栄えました。
そして、街のランドマークとされているのが、フランス・ゴシック最高建築の一つと言われるノートルダム大聖堂。
19世紀にはたくさんの印象派画家が此処を訪れ、巨匠クロード・モネが、光の加減で美しく変化するノートルダム大聖堂の様子を描いたことでも有名です。
出典:Wikipedia(ノートルダム大聖堂)
また、ルーアンはフランスの歴史的ヒロイン・ジャンヌダルクの運命と深い関係のある土地でもあります。
15世紀、百年戦争でイギリス軍の圧倒的攻撃を受けていたフランス。ジャンヌダルクはそんなフランスの窮地を救います。
しかし、様々な政治的圧力によって彼女はこのルーアンで魔女裁判を受け、ヴー・マルシェ広場(Place du vieux marché)で火刑に処され、19歳の若さでこの世を去ります。
そんな彼女の数奇な人生をジャンヌダルク博物館でじっくりご覧頂くのもお勧めです。
出典:Wikipedia(シャルル7世戴冠式のジャンヌ・ダルク)
そしてルーアンを訪れた際にはノルマンディ地方名産のカマンベールチーズもぜひご賞味ください。
出典:https://commons.wikimedia.org/(カマンベールチーズ)
フランス初の技法を確立した先見的な陶工ーマッセオ・アバケン
ルーアンといえば、色鮮やかな絵付けが特徴的な「ルーアン焼き」の街としても長い歴史を持ち、現在でもサン・ロマン通り(Rue Saint-Romain)を中心に数軒のアトリエが佇み、絵付師たちがその伝統を守り続けています。
そのルーアン焼きの創始者として知られるマッセオ・アバケン(Masséot Abaquesne、1500頃-1564)について少しご紹介しましょう。
フランス・ルネッサンス期を代表する陶工家の一人であるアバケン。
彼はルーアン窯のディレクターを務める一方、その多彩な技術力を生かし、フランス・ルネッサンス期の陶器芸術の繁栄を後ろ盾したモンモランシー元帥の居城・エクアン城や、ウルフェ城のタイル張り装飾を担当するなど、幅広く活躍をしました。
出典:Wikipedia(エクアン城の床タイル、1540年頃)
当時、ヨーロッパではイタリアのマヨルカ焼という、ファイアンス焼によって製法された白地の軟質陶磁器に、歴史上の光景などを多彩な色使いで描写した技法が大きく花開き、ヨーロッパ全土でも大きなブームになり始めていました。
アバケンはいち早くこの技法をフランス陶器に取り入れます。
そして、彼の高い技術を証明するのは、その信じられないほどの製作スピードでしょう。
一説によると、時には薬局から4152本もの大壺製作の注文を一度に受けるなど、全ての工程が手作りであった当時では考えられない数を製作していたのです。
そんな彼のアトリエ跡地は、セーヌ川左岸のサン・セヴェール(Saint-Sever)にあります。
時代の変遷と共に大きく開花したルーアン焼デザイン
色鮮やかでどこか愛らしいルーアン焼のデザイン。
実は、時代の流れと共に、同じルーアン焼とは思えないほど、様々なデザイン変遷を遂げているのも見どころです。
まず、16世紀ルーアン焼は、アバケンによって、フランス陶器界の先駆けとなる色鮮やかなマヨルカ焼風のデザインと製法を始めます。
出典:Wikipedia(ルーアン焼き、1545年)
その後、17世紀になると方向はよりシックな青一色の優雅なデザインに移行します。
このデザインは特にルイ14世が好み、当時「高貴と洗練」の象徴とされたため、多くの貴族がこぞってコレクションしたそうです。
そして18世紀に向かって、女性らしい華やかで曲線的デザイン様式が特徴のロココ調美術や東洋風美術の流行によって、ルーアン焼の彩色も徐々にカラフルな方向へと発展。
出典:Wikipedia(ルーアン焼きの水差し、1720年)
色鮮やかなカーネーション、ユリ、果物、フェニックスなどのモチーフや、シノワズリ(中国趣味)の意匠が、私たちの目を楽しませてくれます。
出典:Wikipedia(シノワズリのルーアン焼き、1730年)
このように、時代の変遷と共にその伝統技術を守りながら、新しく変化し続けていったルーアン焼き。
是非、ノルマンディ地方独特のゆっくり穏やかな時間の流れを楽しみながら、アトリエを巡ってみてくださいね。