サン・クルーへのアクセスと観光スポット
サン・クルー(Saint-Cloud)はイル・ド・フランス県のコミューン(フランスの最小行政単位。日本だと区みたいな感じでしょうか)で、北東部はセーヌ川を挟んでパリ16区に面しており、南部には広大なサン・クルー公園があります。
サン・クルーまでのアクセスはメトロ10番線のブーローニュ・ポン・ド・サンクルー駅(Boulogne Pont de Saint-Cloud)、またはサン・ラザール駅からSNCFでサン・クルー駅(Gare de Saint-Cloud)下車となります。
ここサン・クルー周辺にはロンシャン競馬場、ゴルフ場やブーローニュの森が広がっており、パリ高級住宅地のエリアとしても知られています。
そして特にお勧めの観光スポットは、サン・クルー城跡地に作られた460ヘクタール(東京ドームだと約100個分!)に及ぶ広大な公園、サン・クルー公園でしょう。
出典:https://www.gardenvisit.com/(サン・クルー公園)
ここにもともとあったサン・クルー城はフランス激動の歴史舞台となりました。
18世紀には、ナポレオンらがこの城でクーデターを起こし、バスティーユ牢獄の襲撃からはじまったフランス革命を終結に導きました。その後この城はナポレオンに非常に愛されたそうです。
しかし1870年フランスとドイツの間の歴史的戦争(普仏戦争)の際、この城はドイツ軍の猛攻にあい焼き尽くされてしまいます。
出典:Wikipedia(サン・クルー城の遺跡、1870)
そのような激動の時代を乗り越えてきたことが想像し難い、この優美で壮大なサンクルー公園内には、17世紀ヴェルサイユ宮殿の造園も担当したル・ノートルによって美しい噴水が設計され、パリ屈指の優美さを誇ります。
出典:Conseil départemental des Hauts-de-Seine(サン・クルー公園)
またそんなサン・クルーの歴史をより深く理解したい方は、是非サン・クルー歴史博物館(Musée des avelines)にもお立ち寄りください。
出典:Le Magazine de Proantic (サン・クルー歴史博物館)
フランス軟質磁器の先駆者であったサン・クルーの陶工たち
現代ではセーヴル、リモージュなどの名窯の作品を目にする機会が多く、サン・クルーの磁器は一般的にあまり知られていません。
しかし、ここサン・クルー窯はフランスで初めて軟質磁器を生産した窯と言われています。
17世紀ヨーロッパでは中国や日本を中心とした東洋磁器が空前のブームでしたというのもヨーロッパ磁器と比べて、東洋磁器は硬く、ナイフやフォークで傷つきにくい。そしてエキゾチックで美しい、白地に青のカラーリング。
そんな東洋磁器に魅了された陶工たちは製造方法を必死で研究し、王貴族がそれを支援しました。
しかし、致命的なことにフランスにはこの東洋の硬質磁器を作るのに必須の原料であったカオリン(カオリナイトを主成分として含む粘土。化粧品の成分にもよく含まれていますね)が存在せず、作ることが出来なかったのです。
そんな時、このサン・クルー窯で創業当初から活躍したピエール・シカノー(Pierre Chicaneau(~1677))を中心とした陶工達が、国内で手に入る原料を使って東洋磁器のような頑丈で白い磁器の開発に挑みます。
そして彼らが生み出したのが「軟質磁器」なのです。
出典:Le Magazine de Proantic(サン・クルー製陶磁器)
そのノウハウはピエール・シカノーの死後、彼の子ども達によって引き継がれ、軟質磁器生産のパイオニアとしてサン・クルー窯の栄光の時代を迎えます。
この製法はその後、王立名窯セーヴルを始め多くの窯で使用されるなど、大きな影響を与えました。
美しいテーブルセットの数々 ー サン・クルー磁器の特徴
さて、それではこのサン・クルー窯はどのように誕生し栄光を極めたのでしょう。
1664年クロード・レヴェラン(Claude Révérend)がフランス磁器生産の最初のライセンスを取得しました。
フランス北部ルーアンでファイアンス磁器に携わっていた彼は、このファイアンス磁器の生産拠点としてサンクルー窯を創設します。生産は好調に行われ、ヴェルサイユ宮殿の発注も受けるほどでした。
その後、レヴェランからこの窯を譲り受けた陶工ピエール・カシノーを中心とした陶工らが軟質磁器研究を進め、1690年頃からカシノーの息子たちの手によって軟質磁器の生産をフランスで初めて開始します。
そして現在パリの高級ブティックが立ち並ぶマドレーヌ界隈にも店舗を開くなど、サンクルー窯の全盛期を迎えたのです。
サン・クルー磁器の魅力を語る上で欠かせないのが充実したテーブル用品でしょう。ソース用の器、香辛料用の器、卵をのせる器、、、多種多様なテーブル製品を軟質磁器で製造しました。
出典:Le Magazine de Proantic (香辛料用の器)
当時、王貴族の間では新しい飲み物 ( コーヒー、ホットチョコレート、紅茶など)が流行し、それに合わせて新しいティーセット様式も使われ始めました。
その中の一つ「トランブルーズ(trembleuse)」と呼ばれる細身のティーカップとカップを固定する突起がついたソーサーのティーセットは、特にサン・クルー磁器の象徴となっています。
しかしその後、フランス陶磁器界の競争は激化していきます。
パリ近郊のシャンティイ窯やヴァンセンヌ窯が台頭し、腕利きの陶工たちの引き抜き競争が過熱していったのです。
このような厳しい争いの中、サンクルー窯は1766年に廃業となりました。