なんで騎士が活躍する時代になったの?
ヨーロッパ中世の騎士というと、ゲームの世界だとドラゴンクエストやファイナルファンタジー、映画の世界だとロード・オブ・ザ・リングなど、お城と姫とドラゴンのイメージで馴染みが深いかもしれませんね。
この時代の花形ともいえる「騎士」ですが、実際はどんな存在だったのでしょうか。
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地中海をまたいだ大帝国であったローマ帝国が分裂(5世紀)した後、混迷の時代が続いたヨーロッパでしたが、カール大帝が西側地域をまとめあげ、一旦は、いまのヨーロッパ・キリスト教的な世界の基礎をつくりました。
ただし、彼の死後は、再び混迷の時代となっていきます。
出典:Wikipedia (カール大帝)
特に、8世紀以降は、イスラム教徒、マジャール人(ロシア西側のウラル山脈の周辺に住んでいた遊牧民族で今のハンガリー人)、ノルマン人(北欧のスカンジナビア・バルト海の沿岸の海賊でいわゆるヴァイキング)など、異民族が続々とヨーロッパに侵入してきます。
出典:Wikipedia(ヴァイキング)
侵入というと言葉は優しいですが、実際には、暴行や略奪などで土地や財産を奪っていく、ということなので、当然ながら、社会は混乱し経済や文化も衰退していきます。
このため、人々は自己防衛のために、地域の有力者を見つけ保護してもらう、という関係をつくっていったのです。
社会が混乱していると、お金の価値は不安定になります。
例えばですけど、日本円を発行している、日本という国が、異民族の侵入で存亡の危機にさらされていたら、日本円で物を売ってくれる人なんかいませんよね。。。
このような時代なので、物々交換を中心とした農村社会での自給自足が経済の中心となり、各人が自分の生命や財産を守るために、リーダーシップのある人(主君)の元に集まるようになります。
土地の所有者は自分の領地を守るため、その地域の有力者に土地を差し出したあとで改めて借りるようになり、また、ひとびとは有力者から保護してもらう代わりに、従士(騎士)として主君に忠誠を尽くすという形になり、「荘園」と言われる生活単位を形成するようになりました。
出典:Wikipedia(荘園、「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」)
騎士は同時代のエリート?!
騎士になるには、6-7歳ころから主君の小姓となって、雑用をしながら勉強や武術などを学びます。
10歳を超えるようになると、従騎士として主人である騎士の身の回りの世話をしたり、実戦経験も積んだりして、成人する頃になると、主君から叙任の儀式をしてもらい正式の騎士となりました。
叙任の儀式は、叙任者となるものが、騎士となる若者の腰に剣をつけてやり、剣の平な方で肩を三度叩いたり、頬を平手で打ったりするなどの儀式で、いまでいう成人式のような一生に一度の晴れ舞台、だったのでしょうね。
出典:Wikipedia(騎士の叙任)
このように、騎士になるためには、小さいころから手をかけられて、長い修行の末にようやく手にすることのできる名誉ある地位でしたので、当時の社会では相当なエリート階級だと言えそうで、高い社会的地位にふさわしい倫理として騎士道が発達します。
騎士道は当時もっとも影響力のあったキリスト教の考え方を強く反映しているので、主君に対する忠誠のほか、女性に対する献身や弱いものを助けるなどの価値観を含んだものになっています。
でも、騎士ってそんなに立派だった?!
主君から評価の高いエリートで女性や子供にやさしくて、まさに完璧超人といった感じの騎士ですが、実はこれ、後世の創作なんかが多大に影響してかなり美化され過ぎなようで、現在の我々の感覚からすると、それってどうなの、と首をかしげるところもあるみたいです。
転職するのは普通?!
どんなに主君がピンチでも最後の最後までひとりの主君に忠誠を尽くす、という騎士道精神も実際にはフィクションの世界みたいです。
もちろん、なかには立派な騎士もいたのでしょうが、そういうのは少数だから「アーサー王と円卓の騎士」や「ローランの歌」のような物語が生まれるのでしょうね。
出典:Wikipedia(アーサー王と円卓の騎士)
そもそも、中世の主君・騎士の関係は、騎士が一方的に主君に尽くすものではなく、主君も騎士の働きに応じて新たな領土を与えるのが当然と考えられていたのです。
このため、甲斐性のない主君は見限られても已む無しで、戦をするたびに主君が違うなんてことも別に珍しいことではなかったみたいですね。
自分の命と人生がかかっているだけあって、このあたりはかなりドライな関係だったんですかね。
不倫が理想の恋愛?!
そもそも、中世ヨーロッパの世界では、恋愛という概念が一般的ではなく、結婚といえば政略結婚が普通でした(「ロミオとジュリエット」が大ヒットしたのも、普通はありえないから、こそなんでしょうね)。
普通の恋愛のかわりに、世の中で流行していたのは「宮廷風の恋愛」。
恋愛の対象として、一般的なのは、主君の奥さんでした。
出典:Wikipedia(宮廷風恋愛)
といっても、性的な関係はマナー上の禁止事項。まるでキリスト教徒が聖母マリアを思慕するかのように主君の奥さんに尽し、騎士の実力を披露する機会である馬上槍試合トーナメントなんかでは、意中の貴婦人に愛の思いを伝えるために張り切って戦ったそう。
出典:Wikipedia(馬上槍試合、ジョスト)
一方で、主君である領主の方は、こういう関係に嫉妬の炎を燃やしていた、、、なんてことはなくて、自分の妻の魅力によって、できるだけ有能な騎士をで自分の手元にひきとめようと利用していた、のだとか。
こうしてみると、この三角関係は、健全なんだか、不健全なんだか、現代に生きる我々には判断が難しい人間模様ですね。
ならず者も多数?!
長男は領主として主君になるので、騎士になるものの多くは、相続する領地のない次男坊や三男坊が中心でした。
彼らは、相続する領地を持っていないので、戦争で大きな手柄を立てて領地を得るか、領地をもっている未亡人と結婚するチャンスをねらって、ヨーロッパ中をふらふらしていました。
もちろん、みんながみんな幸運に恵まれるはずもなく、食い詰めてならず者のような生活をする元騎士や、運よく(?)戦争に参加できても、民間人に対する略奪行為で私腹を肥やしたり、身分の高い貴族の捕虜を捕まえて身代金で生計をたてる、ような荒っぽい者も多かったようです。
騎士の活躍と衰退
これら騎士が華々しく活躍した時代は、領主は荘園内の税金や裁判ですら意のままにし、国王や教皇であっても侵すことのできない権利を確立していたため、国王の力は弱まり、各地域の有力者は、十字軍やレコンキスタ(イスラム勢力からのヨーロッパ地域の解放運動)で存在感を示した時代でもありました。
しかし、14~15世紀にはイギリス対フランスの「百年戦争」やイギリスの内乱である「ばら戦争」など長期にわたる戦争や、イタリアからはじまったルネサンスでの商業の発展(貨幣経済の復興)は彼らの経済力を衰退させました。
出典:Wikipedia(百年戦争)
さらには、大砲や鉄砲の導入といった技術革新は騎馬戦術を中心とした騎士の存在意義を失わせ、騎士は歴史の表舞台から次第に消えていくこととなりました。