ヨーロッパ中世は「暗黒時代」?!
アジアの陶磁器がヨーロッパに紹介され、ヨーロッパ風の洗練された品質やデザインで生産・流通されることになるのは、16世紀の大航海時代より後の、「近世」と呼ばれる時代になってからのことです。
これより前の時代「中世」とは、一般的には、ヨーロッパ全域を支配した大帝国であったローマ帝国が東西に分裂してから、東ローマ帝国が滅亡するまでの5-15世紀ころを指します。
17世紀のヨーロッパ人は、ギリシャ・ローマ時代(古代)と自分たちが生きる時代(近世)との間の時代を、古代の輝かしい文明や道徳が失われ、政治・経済的にも衰退してしまった「暗黒時代」と呼びました。
また、中世は戦乱の時代でもあったので、この時期に教会や図書館に収蔵されていた貴重な歴史資料は焼失・散逸し、記録や文献上の「暗黒時代」ともなっています。
一方で、この「中世」は、動乱の中で、ギリシャ・ローマの古典文明、キリスト教、ゲルマン人の文化が次第に融合し、いわゆるヨーロッパらしさが形成された面白い時代でもあります。
ローマ帝国の衰退は、氷河期が原因?!
ローマ帝国は、2世紀にはトラヤヌス帝のもとでその領土を最大に広げましたが、盛者必衰の理のとおり、395年には東西に分裂したのち、西ローマ帝国は100年ももたず476年に滅亡。
出典:Wikipedia(トラヤヌス帝)
一方、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は、その後1,000年ほどを生き残りますが、1453年についには滅亡し、およそ1,500年にもわたる長い歴史に幕をおろします。
出典:Wikipedia(ビザンツ帝国の紋章)
この大帝国の滅亡の原因は諸説あげられており、それぞれが複雑にからみあっているため、単純には説明できませんが、その一因として有力なのは、この時期、地球を襲った寒冷化ともいわれています。
寒冷化でどうして大帝国が滅びることになるのか、寒かったら厚着したら風邪ひかないんじゃないの?!なんて考えてしまうのは、豊かな暮らしに慣れてしまった現代人ならではの認識かもしれませんね。
寒冷化したらどうなるか。まず、気温が下がってくれば、北方の騎馬民族は馬にたべさせる牧草がありません。
出典:depositphotos.com
では、生活できなくなった騎馬民族(フン族)はどうするか。
暖かい気候を求めて南下します。中央アジアの南は砂漠、北は寒帯なので、東は匈奴という別の騎馬民族が隆盛を誇っていたので、進む先は、西側の一択です。
出典:Wikipedia(フン族)
この地域には、もともと住んでいた民族(ゲルマン民族)がいたのですが、これがフン族に押し出され、また、人口増加で耕作地が不足していたこともあって、当時、ラテン民族が中心となって統治していたローマ帝国の領土内に侵入してくるようになります。
出典:Wikipedia(ゲルマン民族の移動)
ローマ帝国は、東西ふたりの皇帝のもとで分裂
最初のうちこそ、精強なローマ軍はゲルマン民族の侵入を撃退することができましたが、なにしろ広大な帝国のことなので、管理も大変です。
そのうちに、ゲルマン民族に侵入をゆるすことは日常茶飯事となり、これではいかんということで、西と東に皇帝を一人ずつおいて防衛することにしましたが、西側は暗殺や戦死で短命な皇帝が多く、一方、東は長命な皇帝に恵まれて、西と東の差が大きくなっていく。
出典:depositphotos.com(ローマ、コロッセオ)
いつしか、西ローマの領土は、ゲルマン民族が勝手に王国をつくりはじめ群雄割拠する虫食い状態となっていきます。
そして、これを東ローマは切り捨てるという形で分裂していくことになります。
寒冷化からはじまったローマ帝国の分裂。まさに、「風が吹けば桶屋が儲かる」状態。歴史も人生も、何がきっかけで大きな変化がおきるか、先のことはわからないものですね。
“風(かぜ)が吹けば桶屋(おけや)が儲(もう)かる ... 風が吹くと土ぼこりがたって目に入り盲人が増える。 盲人は三味線で生計を立てようとするから、三味線の胴を張る猫の皮の需要が増える。 猫が減るとねずみが増え、ねずみが桶をかじるから桶屋がもうかって喜ぶということ。“ 出典:コトバンク