ピカソの生まれ故郷
マドリードからAVE(高速鉄道)で約2時間30分、飛行機なら約1時間、イベリア半島の南端に位置し、地中海に面するマラガ(Málaga)は、スペイン語で「太陽の海岸」を意味するコスタ・デル・ソル(Costa del Sol)の中心に位置しています。
スペイン南部に位置するアンダルシア地方は、温暖な気候と「白い街」に代表される美しい街並みで世界有数の観光地となっています。
出典:depositphotos.com(マラガ)
1936年に、スペイン内戦でフランコの反乱軍とイタリア軍により、激しい空爆にさらされ街は大きな打撃を受けました。
しかし、1960年代以降は、コスタ・デル・ソルの観光業によってマラガの経済は大きく発展し、現在では人口56万人、非常に活気のあるスペイン第6の街に成長しました。
また、マラガと言えば、忘れるわけにいかないのがパブロ・ピカソ(Pablo Picasso)です。ここはピカソの生まれ故郷なのです。旧市街から少し離れた場所には、今も生家が残っています。
出典:depositphotos.com(ピカソの生家。このアパートの2階)
1881年に生まれたピカソはこの家で10歳まで過ごしました。
内部は現在博物館として一般に公開されていて、画家だったピカソの父ホセ・ルイス・ブラスコの作品や、ピカソの洗礼式の衣装や幼少期の写真などが展示されています。
また生家の前にあるメルセー広場は幼少期のピカソの遊び場だったそうで、今でもその広場にはピカソの銅像が残されています。
出典:Wikimedia Commons(メルセー広場のピカソ銅像)
生家から歩いて10分程の旧市街の中にはパリ、バルセロナ、アンティーブなどに続いて、2003年にオープンしたピカソ美術館が有ります。
ここはピカソの孫とその母(ピカソの息子の妻)により寄贈されたおよそ200点のピカソの作品を所蔵しています。
親族が所有していた作品なので、より身近なピカソの世界に触れられるというのが美術館のキャッチフレーズで、小さいながら非常に充実した展示を行っている美術館で、年中行列が後を絶ちません。
アンダルシアの黄金の輝き「ラスター彩陶器」
街の起源は、紀元前3000年頃にペルシア湾から地中海地方へ移住してきたと言われる海上交易の民フェニキア人が、紀元前1000年頃に現在の場所に「マラカ」(Malaka)という都市を建てたことに始まります。
「マラカ」という名はフェニキア語の「塩」から来ていて、港で魚が塩漬けにされていたことによると言われています。
その後は、ギリシアの支配、カルタゴの支配の後、カルタゴの領土だったイベリア半島の他の地域と共にローマ人の支配下となり、5世紀には西ゴート王国に支配されることになりました。
この後もマラガの歴史は征服の歴史と言っても過言でないほど、常に他国に脅かされつづけました。
そして8世紀には、イスラム教徒に征服されたイベリア半島において、マラガは重要な貿易の中心地へと発展し、その後、キリスト教徒によるレコンキスタ(イベリア半島の国土回復運動)によって、1487年スペイン王国に征服されるまでイスラムの支配は続きました。
しかしイスラム教徒の支配は、マイナスの要素ばかりではありません。そのイスラムによって、イベリア半島には最先端の文化が花開き、繁栄したからです。
イスラム支配下におけるイベリア半島の陶器は、一般的にイスパノ・モレスク(ムーア風スペイン)陶器と呼ばれ、錫釉陶器なかでもラスター彩陶器が代表的です。
ラスター彩とは、金を使わず、金属の酸化物で陶器の上に薄い皮膜をつくる特殊な技法で、金にも似た光沢を放ちます。
イスラム教の教えでは贅沢品の金を多用することを禁じたため、ラスターの技術が発展したと言われています。
出典:https://wabbey.net/ (バレンシアで作られたラスター彩の陶器。バルジェロ美術館)
この技法は9世紀頃メソポタミアに始まったと言われ、その後イスラム文化圏の拡大に伴って13世紀中頃までに、港町マラガに伝わったとされています。
1350年にマラガを訪れたアラブの旅行者で中国からスペインまでを旅したイブン・バットゥータが、旅行記にマラガの街から美しい金色の陶器が遠国まで輸出されていることを記していることから、その時期既にマラガではラスター彩の陶器が名産になっていたことが分かります。
ただ15世紀に入ると、レコンキスタの影響か、マラガのラスター彩陶器の生産は突如として途絶えてしまい、その技術はバレンシア地方へと移って行きました。
出典: Wikipedia(イブン・バットゥータ)
マラガのラスター彩陶器の代表的なものは、「アルハンブラの翼壺」と俗に呼ばれている象の耳のような大きな持ち手の付いた壺です。
この壺はグラナダのアルハンブラ宮殿に置かれていたことから、このような名前で呼ばれていますが、完成形を保っているのは世界中でわずか8点という大変貴重なものです。
いずれも高さ1メートルを超える大きな壺に、特徴的な鳥の翼にも似た大きな把手が付いています。
イスラム美術において、鳥のイメージはしばしば現れますが、この翼の意味は現在でも解明されていません。
出典:Wikipedia(アルハンブラの翼壺)
当時のヨーロッパにおいて群を抜いて優れていたマラガの陶器、特に市場をほぼ独占していたラスター彩陶器はバレンシアやバルセロナだけでなく、フランス、イタリア、エジプトなどの地中海沿岸の国々や、果てはイングランドにも渡っています。
1289年、エドワード1世(1239-1307)の妃でカスティーリャ出身のエレオノーラが、マラガから「不思議な色の」鉢や皿、壺など46点を輸入したという記録が残っています。
出典:commons.wikimedia.org(エドワード1世とエレオノーラ)
イワシの炭火焼き
紀元前1000年頃から漁業が盛んだったマラガでは現在も至る所で美味しい魚料理が味わえます。中でも特に有名なのは「イワシのエスペト(Espeto de sardinas)」と呼ばれるイワシの炭火焼きです。
出典:depositphotos.com(エスペト)
海岸ではこのようなスタイルで炭火焼きされているイワシをあちこちで見かけます。
ここではイワシを一匹では注文せず、皿で注文します。一皿5、6匹、だいたい2ユーロ程度です。
シンプルに塩とレモンをかけて頂くのですが、美味しくてあっという間に完食です。
夏は街中のレストランでも大抵食べることが出来ます。炭火焼きイワシを食べながら、地元のビールVictoriaを一杯なんて、まさに至福のひと時ですね。
参考資料
「西洋陶磁入門」岩波新書