セビリアの街は大西洋へとつながるグアダルキビール川の恩恵を受け、海洋貿易の拠点として長らく繁栄を誇っていました。
1492年に新大陸(アメリカ)を発見したコロンブスはここセビリアから出帆。セビリアが果たした重要な役割は今も語り継がれています。
711年から1248年まで、アル・アンダルス(現在のアンダルシア地方)の他の町々と同様イスラムの支配下におかれ、その影響を強く受けたセビリアの街には現在もイスラム文化が色濃く残されており、例えば、現存するヒラルダの塔は当時モスクの鐘楼だったものです。
しかしセビリアの街を彩るのは、イスラム文化だけではありません。
キリスト教徒がイスラム教徒から支配権を取り戻そうとするレコンキスタ(国土回復運動)が進む13世紀以降のイベリア半島において、最後までイスラム王国の首都として栄えたグラナダは、今も色濃くアラブの香りを残しています。
1469年に、イベリア半島ではアラゴン王国のフェルナンド5世と、隣国のカスティリャ王国の王女イサベルが結婚し、「スペイン王国」として両国を共同統治し、1492年には、両王が率いるキリスト教徒軍によって街は無血開城されました。
トレドの歴史はとても長く、最初にこの地が「首都」とされたのは560年で、ローマ帝国の東西分裂、ゲルマン系王国でキリスト教を国教とする西ゴート王国、そして、その後の数百年はイスラム勢力の支配下となりますが、文化面でいえばキリスト教世界からも学者が訪れ、イスラム教とキリスト教の融合する文化都市として発展します。
1085年に、キリスト教勢力であるカスティーリャ=レオン王国のアルフォンソ6世がトレドに入城し、以降、1561年に、フェリペ2世がマドリードに遷都するまでの数百年間、文化・政治・経済の中心として、鉄製品や陶器などの生産地として繁栄しました。
ラ・ビスバルに着いて、まず目に飛び込んでくるのは、色鮮やかな、しかし素朴な陶器です。
この辺りの陶器はアラブの文化の影響を強く受けた南スペインのものとは違い、地中海を経由してやってきたギリシャの文化の影響を強く受けているそうです。
もちろんフランス国境にも近いので、フランスやイタリアの影響も受けていることは間違いなさそうです。
マドリードは、15世紀以降、代々のスペイン王家により首都とされて栄えました。
歴史上でスペインが一番繁栄していたといわれるのは、8-15世紀にかけて、キリスト教徒がイスラム教徒からイベリア半島を取り返した国土回復運動(レコンキスタ)が完了し、1479年にスペイン王国が成立した少し後のことです。
1492年のイサベル1世の援助を受けたコロンブスによるアメリカ大陸の発見をきっかけとする大航海時代の始まりから、1659年のフランス・スペイン戦争での敗北あたりまでは、「スペイン黄金世紀」と呼ばれる時期となります。
陶器産業が隆盛となったのも、このころです。