タラベラが育んだ陶器文化は南米まで至る
タラベラ・デ・ラ・レイナ(Talavera de la Reina、以下タラベラ)は、マドリードやトレドの近郊に位置し、人口は9万人程度。カスティーリャ=ラ・マンチャ州では4番目、トレド県においては2番目に人口が多い都市となっています。
”ラ・レイナ(la Reina)”は、スペイン語で”女王”という意味。カタルーニャ州にあるタラベラと区別するために、「女王のタラベラ」という名になったと言われています。
タラベラは、電車だとマドリード・アトーチャ駅から約2時間、バスだと約1時間半です。駅は少し中心部から離れているので、もしかするとバスの方がアクセスが良いかもしれません。
1492年のコロンブスのアメリカ大陸への到達から、フランスが30年戦争に関与したことではじまり、1659年に終結したフランス・スペイン戦争までの期間は、一般的に「スペイン黄金世紀」と呼ばれていますが、この時期にスペインの陶器産業も成長しています。
タラベラでは、1561年にフェリペ2世がマドリードに遷都した後、エスコリアル宮殿を飾るタイルをはじめとした陶器が発注され、「タラベラ焼き」の名を知らしめることとなります。
出典:abc.es (タラベラ陶器)
この陶器産業の発展は、当時、南米大陸に大きな植民地を有していたスペイン帝国全体にも及びます。
メキシコでは、プエブラ(Puebla)という街から陶器職人をスペインに送り、メキシコの「タラベラ焼き」が生まれることとなり、現在でも主要な産業となっています。
出典:depositphotos.com(メキシコ、プエブラのタラベラ焼き)
また、ブラジルでも、タラベラという名前の付いた泉があるなど、影響がそこかしこに見られます。
現在はポルトガルのものとして知られている「アズレージョ」という装飾タイルも、もともとはタラベラのモザイク・タイルが発展したものと言われています。
出典: guias-viajar.com (タレベラ・デ・ラ・レイナのアズレージョ)
タラベラの公式観光ホームページでは、陶器のお店の一覧も公開されていますが、なんとその数30軒以上!
10万人を下回る街の人口・規模を考えると驚きの数です。
街中では至るところに陶器が使われており、この地における陶器の重要性を感じることができます。このような状況から、街は別名「陶器の街」とも呼ばれています。
タラベラ陶器の復興と再生に尽力したルイス・デ・ルナの残した功績
この街の陶芸作品をまとめた博物館としては、ルイス・デ・ルナ博物館(Museo de Ruiz de Luna)があります。
1900年ごろからタラベラ焼きの復興と再生に当たったフアン・ルイス・デ・ルナ(Juan Ruiz de Luna)が1996年に設立した博物館で、現在は市の所有するコレクションとなっています。
また、タラベラ焼きの影響がみられるスペイン以外の国の作品も展示されています。
ルイス・デ・ルナは、スペイン黄金時代のタラベラ焼きを再現し、また、彼はこれまでその歴史が明確に記録されてこなかったタラベラの陶器産業について体系的にまとめた書物も残しています(ディオドロ・バカ・ゴンザレスと共著)。
ルイス・デ・ルナの作品は、バシリカ・ヌエストラ・セニョーラ・デル・プラド(Basílica de Nuestra Señora del Prado、プラド聖母教会)とその庭園でも見ることができます。
出典: depositphotos.com (バシリカ・ヌエストラ・セニョーラ・デル・プラド)
バシリカの内部装飾も素晴らしいもので、スペイン黄金期を彩った時期の陶器が残されています。
中には、聖母マリアの生涯やキリストの系譜を示すアズレージョ(装飾タイル)が展示されています。
出典: depositphotos.com (プラド聖母教会の陶器の装飾タイル)
この公園の噴水も、フランシスコ・アロヨというデザイナーとともに、ルイス・デ・ルナが制作したものとして知られており、タラベラらしさを残す庭園として、市民にも愛されています。
出典: Wikipeia (公園の噴水)
また、毎月第一土曜日には、手芸品を売る市場も開かれており、冬時間でも朝11時から夜9時までとかなり長い時間開かれています。
陶器はもちろんのこと、骨とう品も含めて売り出されているので、時期が合えば街の中心にあたるサン・アウグスティン広場に足を延ばしてみてはいかがでしょうか。