バレンシアといったらオレンジ?パエリア?
首都マドリードから東へAVE(新幹線)で2時間弱、スペイン第二の都市バルセロナからは南へ特急で3時間ほど旅すると、バレンシア州の州都であり、スペイン第三の人口(80万人)を誇る港湾都市バレンシア(Valencia)へ到着です。
出典: depositphotos.com(バレンシア)
温暖な気候を目当てにマドリードから近いリゾート地としても人気で、沖合には保養地として名高いイビサ島、マヨルカ島が浮かびます。
出典: depositphotos.com (スペイン、イビサ島)
自らの文化、価値観、言語を大切にしてきた独立心が旺盛なカタルーニャ地方(中心都市はバルセロナ)に言語面では大きな影響をうけつつも、バレンシアに住む人は、自分たちは「バレンシア人」と強い地域アイデンティティを持ち、独自の文化を発展させてきました。
多くの日本の人は、バレンシアという名前を聞いたら、「バレンシア・オレンジ!」を思い浮かべることでしょう。
出典:Wikipedia(バレンシア・オレンジ)
また、目の前の地中海からとれる魚介類をふんだんに使った「パエリア」の発祥地としても有名です。
出典:Wikipedia(伝統的なパエリアの料理法)
その次は、時折日本でもテレビで放映されるスペインの3大祭りのひとつ「火祭り(Falles、ファジャス)」でしょうか。
出典: https://www.visitvalencia.com/ (バレンシアの火祭り)
期間限定ですが、火祭りは3月に行われます(かなり混みます)。きらびやかな電飾や、人形のコンテストもあります。この人形は、最終日に燃やされ、まるで火事が起きているように見えます。当日は爆竹の音も激しく、お祭り好きなスペイン人が非常に盛り上げる日でもあります。
しかし、バレンシアには食べ物やお祭りだけではなく、建築や文化の面でも非常に魅力のある都市で、1年中楽しめることのできる場所です。
「スペイン黄金時代」の隆盛から「大航海時代」の到来による衰退まで
バレンシアは、紀元前138年にローマ人の植民市として建設された集落ワレンティア(Valentia 、強さ・活力の意)に起源をもち、長らく河口の都市として栄えていました。
その後、支配者が変わっても交易都市として発展を続け、16世紀、フェリペ2世のもとで「スペイン黄金時代」が到来する頃までは、地中海岸でもっとも影響力のある都市のひとつであり、金融機関の中心地として知られるようになります。
出典: Wikipedia(フェリペ2世)
しかし、その後の大航海時代の到来によりスペイン帝国が新大陸を発見すると、貿易の中心が大西洋ルートへ移行してしまいます。
さらには、跡継ぎがなく空位となったスペイン王座をかけて、フランスのルイ14世(ブルボン家)と神聖ローマ帝国のカール6世(ハプスブルク家)が争ったスペイン継承戦争(1701-1714年)では、バレンシア王国は、負けてしまったカール6世側についたことで、バレンシア王国の政治的な独立は終了し、衰退の道をたどってしまいます。
出典:Wikipedia(カール6世)
ブルボン朝出身の啓蒙専制君主による豊かさの象徴「ジュスティシア宮殿」
スペイン継承戦争後、一度は、衰退したバレンシアですが、スペインの啓蒙専制君主と言われたブルボン朝出身のカルロス3世の治世(1759-1788年)のもとで経済が回復します。
出典:Wikipedia(カルロス3世)
ちなみに、このカルロス3世、もともとはイタリアのナポリ・シチリア王として即位しますが、その王位を息子にゆずりスペイン王として即位した人物です。そして、その妻はあのマイセンを創業したポーランド国王アウグスト2世の孫娘であるマリア・アマリア・フォン・ザクセン。
出典: Wikipedia(マリア・アマリア)
この夫婦は、イタリアでも幻の磁器と呼ばれるカポディモンテ窯(後の、リチャードジノリ)を開窯し、スペインへ移る際にも、職人をすべて引き連れ、マドリード近郊のブエン・レティーロに陶磁器窯を創設するなど、陶磁器産業や絹製品など、啓蒙専制君主として産業育成に取り組み、バレンシアでも農業や工業などに様々な改良が導入され経済成長が促進されたのです。
この、ブルボン朝カルロス3世の治世(1759年-1788年)の象徴として、バレンシアでは、ジュスティシア宮殿(Palacio de Justicia)があげられます。
出典:Wikipedia(ジュスティシア宮殿)
科学教育と芸術のための複合施設「芸術科学都市」
近年のバレンシアを代表する建築物としては「芸術科学都市(Ciutat de les Arts i les Ciències)」という名の、地元を代表する建築家カラトラバたちが設計した施設があります。
基本的には博物館なのですが、全体が大きな公園のようにもなっている代表的な観光地となっています。
出典: https://www.cac.es/en/home.html (芸術科学都市)
この地域は、リーマンショック後の金融危機で大きな打撃を受けたものの、最近ではカタルーニャ独立運動の影響で、バルセロナの次の本拠地としてバレンシアを選んだ企業も少なくありません。
バレンシアの建築家であるカラトラバらが設計した現代建築群は、この街の重要な現代建築群です。1つの建築がランドマークのようになっているのではなく、5つの建築と池、公園で構成されています。周辺にはバーなどもあり、夜もにぎわいます。
中には、劇場、映画館、博物館、水族館、庭園があり、まさに「芸術」「科学」のすべてを網羅しています。庭園では、バレンシア固有の植物種が植えられるなど、地域性も出しています。昼間の時間帯だと、遠足で学校の子供たちが訪問していることもあります。観光客にとっても見ごたえのある場所で、この周辺で1日を過ごすこともできます。
「リヤドロ」と「マニセス焼き」を産んだ陶磁器の名産地
意外と知られていないことに、バレンシア地方では磁器の製造に必須となるカオリン磁土が産出されており、陶磁器の名産地でもあります。
バレンシアが発祥の有名ブランドといえば、フィギュリン(磁器人形)で知られる「リヤドロ」。
出典: リヤドロ本国公式サイト
そして、もうひとつは「マニセス焼き」です。実は、マニセス(MANISES)は、バレンシアに隣接する空港近くの陶磁器の街で、バレンシア語では「マニゼス」、しかし、カスティーリャ語読みの「マニセス」として知られています。
出典:Wikipedia(マニセス焼きの彩釉鳥文皿、1430年-1450年)
中世やルネサンス期には、イスラム教の影響を受けた「イスパノ・モレスク陶器(スペイン風ムーア人陶器、の意味。ムーア人は北西アフリカのイスラム教徒の呼称)」、そして、特にタイル生産地としてはセビリアと並んで、ヨーロッパ向けの生産・輸出の拠点でした。
マニセス焼きの特徴は、マラガから技術を持ち込んだラスター彩陶器の黄金と青色の釉薬がかかった陶器で、ルネサンスの最盛期にはイタリアに大量に輸出され宮殿を彩りました。
出典:Wikipedia(マニセス焼きのラスター彩獅子文皿、15世紀-16世紀)
バレンシアの中心街で、建物と陶器を楽しめる場所としては、国立陶器博物館があります。もともと侯爵家の家として、時代ごとの影響を受けた改装を重ねています。
学者兼芸術家だったマヌエル・ゴンサレス・マルティが集めたコレクションは、生活の必需品から装飾品までそろっており、マニセス焼きのほかにも、バレンシア3大陶器と言われるパテルナ焼き、アルコラ焼きのものも多く所蔵されています。
参考資料