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カンペール|ケルト文化が色濃く残る街で作られる、独特のタッチの絵付けが愛らしい「カンペール焼き」

カンペール焼きの歴史は、17世紀に絶対王政の元でフランス絶頂期を演出し、「太陽王」とも呼ばれたルイ14世の時代にまで遡ります。

15世紀頃から作られていた素朴な陶器が、ルイ14世の庇護の下、大きく発展していきます。

王家により設立された陶器工房(のちのHB社)は、手書き絵付け陶器のフランスで最も古い企業としても有名です。


マラガ|アンダルシアの黄金の輝き「ラスター彩陶器」

マラガの街の起源は、紀元前3000年頃にペルシア湾から地中海地方へ移住してきたと言われる海上交易の民フェニキア人が、紀元前1000年頃に現在の場所に「マラカ」(Malaka)という都市を建てたことに始まります。

「マラカ」という名はフェニキア語の「塩」から来ていて、港で魚が塩漬けにされていたことによると言われています。


セビリア|カラフルな色彩と立体感のある模様が特徴の「セビリア焼き」

セビリアの街は大西洋へとつながるグアダルキビール川の恩恵を受け、海洋貿易の拠点として長らく繁栄を誇っていました。

1492年に新大陸(アメリカ)を発見したコロンブスはここセビリアから出帆。セビリアが果たした重要な役割は今も語り継がれています。

711年から1248年まで、アル・アンダルス(現在のアンダルシア地方)の他の町々と同様イスラムの支配下におかれ、その影響を強く受けたセビリアの街には現在もイスラム文化が色濃く残されており、例えば、現存するヒラルダの塔は当時モスクの鐘楼だったものです。

しかしセビリアの街を彩るのは、イスラム文化だけではありません。


グラナダ|イスラム文化の結晶「アルハンブラ宮殿」と、青と緑が特徴の素朴な「グラナダ焼き」

キリスト教徒がイスラム教徒から支配権を取り戻そうとするレコンキスタ(国土回復運動)が進む13世紀以降のイベリア半島において、最後までイスラム王国の首都として栄えたグラナダは、今も色濃くアラブの香りを残しています。

1469年に、イベリア半島ではアラゴン王国のフェルナンド5世と、隣国のカスティリャ王国の王女イサベルが結婚し、「スペイン王国」として両国を共同統治し、1492年には、両王が率いるキリスト教徒軍によって街は無血開城されました。


アルバート公|「ヘレンド」が世に注目される契機となったロンドン万博開催の立役者

1851年、ロンドンのサウスケンジントンにある王立公園ハイド・パークにて世界最初の万国博覧会が開催されました。

当時の君主、ヴィクトリア女王の治世を象徴する祭典ともいわれるほどの一大イベントであったこのロンドン万博、参加国は34ヶ国にのぼり、5月から10月にかけての会期141日間で総入場者数はのべ604万人という大盛況ぶり!

そんな史上初の万博を大成功させた立役者こそ、ヴィクトリア女王の最愛の夫アルバート公(1819-1861)です。


ロッビア一族|ルネッサンス期のイタリアに、マヨリカ陶器の技術で新しい陶彫を生み出した

1401年にルネサンスの幕開けともいわれる、洗礼堂の門の彫刻制作のためのコンクールがフィレンツェで開かれます。

当時フィレンツェにはこのコンクールの勝者となったギベルティーをはじめ、ライバルでのちに大聖堂の丸天井の設計に携わるブルネレスキ、ブルネレスキの友人のドナテッロなど錚々たる彫刻家たちが活躍していました。

そのドナテッロと競作することとなった、フィレンツェの大聖堂のための大理石の聖歌台を作ったのがルカ・デッラ・ロッビア(Luca della Robbia、1400-1481)でした。


モンテルーポ|フィレンツェの食卓を彩ったマヨリカ陶器

フィレンツェから電車に乗って15分も走ると、その景観は一遍し、車窓にはのどかな田園風景が広がります。

普通列車で30分ほどで、モンテルーポ・カプライア(Montelupo-Capraia)駅に到着、駅員のいない無人駅です。

古くからモンテルーポには特出した産業はありませんでした。唯一この街を支えた陶器作り以外には。

この街の陶器が注目されるようになったのは1406年フィレンツェが念願だった港、ピサ(Pisa)を手中に治めてからのことです。


トレド|中世の約1000年間、イベリア半島の中心として栄えた都市

トレドの歴史はとても長く、最初にこの地が「首都」とされたのは560年で、ローマ帝国の東西分裂、ゲルマン系王国でキリスト教を国教とする西ゴート王国、そして、その後の数百年はイスラム勢力の支配下となりますが、文化面でいえばキリスト教世界からも学者が訪れ、イスラム教とキリスト教の融合する文化都市として発展します。

1085年に、キリスト教勢力であるカスティーリャ=レオン王国のアルフォンソ6世がトレドに入城し、以降、1561年に、フェリペ2世がマドリードに遷都するまでの数百年間、文化・政治・経済の中心として、鉄製品や陶器などの生産地として繁栄しました。


ラ・ビスバル・デ・アンポルダ、ジローナ|カタルーニャ地方の素朴な陶器の街

ラ・ビスバルに着いて、まず目に飛び込んでくるのは、色鮮やかな、しかし素朴な陶器です。

この辺りの陶器はアラブの文化の影響を強く受けた南スペインのものとは違い、地中海を経由してやってきたギリシャの文化の影響を強く受けているそうです。

もちろんフランス国境にも近いので、フランスやイタリアの影響も受けていることは間違いなさそうです。


ストラスブール|アルザス陶器を生んだ、フランス文化とドイツ文化が融合する国際都市

王侯貴族向けに格調高い陶磁器を中心に製造されたフランス北部・パリ近郊のヴァンセンヌやセーヴルとは異なり、アルザス地方で作られた陶器は、素朴な暖かさを感じさせ、フランスののどかな地方での生活を思い起こさせる優しい陶器です。

そんなアルザス陶器の製造では、ストラスブールの北東部に位置するふたつの小さな村が有名です。


ウルビーノ|「マヨリカのラファエロ」が生んだ鮮やかな黄色い陶器

ルネサンス期、フィレンツェやローマにも劣らない素晴らし芸術が花開いていたウルビーノでは陶器の製作も非常に盛んで、各地から優れたイストリアート(説話画)の陶芸家が集まり、腕を競っていました。

その中でも特に優れた才能を発揮していたのは、ニッコロ・ペッリパリオ(Niccolò Pellipario)通称二コラ・ダ・ウルビーノ(Nicola da Urbino)です。

二コラは作風や芸術レベルの高さから同郷のラファエロとよく比較され、「マヨリカのラファエロ」とも呼ばれています。


セーヴル|ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人が育てた300年の歴史をもつ王立窯をもつ街

パリ西部近郊、セーヌ川に面したところに位置するセーヴル(Sèvres)は、イル=ド=フランス地域圏オー=ド=セーヌ県に属し、現在は閑静な住宅街として人気のある地域です。

そしてここには約300年の歴史を誇るフランス王立セーヴル窯があり、今もなお、フランス国家機関や、国の贈答品向けに製造が続けられています。

さて、そんなセーヴルで一番の見所は、やはり国立陶磁器美術館(Musée national de Céramique)でしょう 。


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