フィレンツェとピサを繋ぐ街、モンテルーポ
フィレンツェから電車に乗って15分も走ると、その景観は一遍し、車窓にはのどかな田園風景が広がります。
普通列車で30分ほどで、モンテルーポ・カプライア(Montelupo-Capraia)駅に到着、駅員のいない無人駅です。
出典:https://wabbey.net(モンテルーポ・カプライア駅)
古くからモンテルーポには特出した産業はありませんでした。唯一この街を支えた陶器作り以外には。
この街の陶器が注目されるようになったのは1406年フィレンツェが念願だった港、ピサ(Pisa)を手中に治めてからのことです。
ちなみに、当時のイタリアは現在のようにひとつの国家として纏まっておらず、各都市は都市国家として互いに群雄割拠しており、海を持たないフィレンツェは長年にわたって、ピサの港を支配下に置くべく画策していました。
このころ、フィレンツェで書記官としてピサとの外交を担当していたのが、「君主論」(目的のために手段を選ばない的なあれです)で有名なマキャベリです。
フィレンツェからアルノ川を下り、ピサに出る途中に大窯をもつモンテルーポが有ったことから、モンテルーポの陶器はここから国際的な舞台へと船出し、1400年代には陶工は街の重要な産業に発展します。
出典:Wikipedia(アルノ川)
1490年9月からフランチェスコ・デリ・アンティノーリ(Francesco degli Antinori)は3年間に渡ってモンテルーポの23人の陶器職人の作品を、独占的に買い取る協定を結んでいます。
フランチェスコはそれまで使われることがなかった平坦な皿を使用し始めた人とも言われています。
当時のフィレンツェが世界の最先端の食文化を持っていたことは、カトリーヌ・ド・メディシス(Caterina de’Medici)がフランス王家に嫁ぐ際に、フォークを持参したことでも知られています。
出典:Wikipedia(カトリーヌ・ド・メディシス)
ちなみに、初期のフォークは2本歯で、今日、われわれがイメージする4本歯のフォークは、18世のナポリで発明されたと言われているので、いかに食文化が進んでいたか窺い知れますね。
この時期、フィレンツェの上流階級の食卓は大きく変化し、モンテルーポで作られたマヨリカ焼きのテーブルウェアが所狭しと並んでいました。
また食器だけではなく、メディチ家がピサへ向かう途中に立ち寄ったり、狩りの時に使っていた、4つの塔を持つアンブロジアーナのヴィラ(Villa Medicea dell’Ambrogiana)にはモンテルーポで作られた床タイルが残っています。
出典:Wikipedia(アンブロジアーナのヴィラ)
モンテルーポ陶器美術館(Museo della Ceramica, Montelupo)
駅から歩いて5分ほどで、旧市街の中心に出ます。
中心、といっても非常に小さく、200メートルもないメイン通りの両脇にお店が並んでいるだけです。陶器のお店も数件この通りに集まっています。
出典:https://wabbey.net(メインストリート)
出典:https://wabbey.net(陶器のお店)
ツーリストインフォメーションもそのメイン通りに有るので、地図や陶器に関する資料をもらうこともできます。
今はクリスマスの飾りつけがされていました。今回はここで美術館の入場割引券と地図をもらってから美術館へ向かいました。
美術館まではツーリストインフォメーションから歩いて10分もかかりません。
出典:https://wabbey.net(ツーリストインフォメーション)
メイン通りには陶器でできた「小舟(barca)」と呼ばれるオブジェも置かれていました。
出典:https://wabbey.net(小舟のオブジェ)
このオブジェを右に見ながらまっすぐ行くと陶器美術館に到着です。2008年に新しくなった建物には、一緒に市の図書館も入っています。
出典:https://wabbey.net(陶器美術館)
陶器美術館がモンテルーポに誕生したのは1983年のことで、
当時はポデスタリーレ宮殿(Palazzo Podestarile)に考古学博物館と一緒に入っていましたが、2007年考古学博物館がサンタ・ルチア・アッラ・アンブロジアーナ(Santa Lucia all’Ambrogiana)に移ったのち、陶器は現在の地に落ち着くことになりました。
建物は3階建てで、1階にはチケット売り場やインフォメーション、ゆっくりくつろげるバールが有ります。
美術館は2階と3階の8室で、1200年から1700年代の5500点の全コレクションの中から選ばれた選りすぐりのおよそ1000点のマヨリカ焼きが、時代と種類に分かれて展示されています。
展示作品の中には1973年偶然に旧市街の大きな井戸から日常使いの陶器やマヨリカ陶器の破片なども有ります。
その井戸からは1510年から20年頃に作られ、教皇レオ10世に収められたと思われる作品やグロテスク柄の作品の断片が見つかり、当時モンテルーポが国際的にも非常に重要な陶器作成を手掛けていたことを現代に伝えています。
出典:https://wabbey.net(マヨリカ陶器の破片)
井戸から発見された破片は細かいところまで修復されたのち美術館内に展示されています。また部屋の中だけではなく、廊下にも時代ごとにわかりやすく陶器が展示されています。
モンテルーポの赤
今年の6月「生産性と経済性に優れた優秀な技術(le Eccellenze del sistema produttivo ed economico)」というシリーズの記念切手にメディチ家のヴィラを背景にした通称“モンテルーポの赤(Rosso di Montelupo)“と呼ばれるモンテルーポで1509年に作られた水盤が選ばれました。
出典:「モンテルーポの赤」の記念切手
この水盤は1900年代にはパリのロスチャイルド家など錚々たる収集家のコレクションに加わっていましたが、現在はモンテルーポの陶器美術館所蔵となっています。
出典:https://wabbey.net(モンテルーポの赤、表面)
水盤には裏にLOというサインが入っていることからロレンツォ・ディ・ピエロ・サルトーリ(Lorenzo di Piero Sartori)の作品と考えられています。
出典:https://wabbey.net(モンテルーポの赤、裏面)
グロテスク模様が描かれた地には黄色と赤が使われていますが、この水盤がとても貴重なのは、この赤が当時の技術では非常に稀にしかできない色だったからです。
実は現在でもこの赤の製法ははっきりわかっていません。
この他にも17世紀ごろに始まったモンテルーポ特有の個性的な作品も見どころの1つです。それまではグロテスクやイストリアートなど凝ったデザインの装飾が多かったマヨリカ焼きに、大雑把ではあります。
生き生きとした人物像が描かれ、鮮やかな黄色を特徴とする民芸風の陶器は人気を博し、イタリア各地で陶芸が衰退し始めた17世紀でもモンテルーポの陶器作成は継続して隆盛を誇っていました。
出典:https://wabbey.net(モンテルーポのマヨリカ陶器)
例えばフランスに嫁いだマリア・デ・メディチ(Maria de' Medici)がリュクサンブール城の改築時、モンテルーポにタイルを床を注文したことが記録に残っています。
ただし、このタイルはフランスへは全て到着せず、一部はメディチ家のヴィラに運ばれました。
タイルは格子柄にフランス王家とメディチ家の紋章である白百合があしらわれています。
出典:https://wabbey.net(メディチ家の紋章があしらわれたタイル)
他にも美術館の展示には狼(モンテルーポの“ルーポ“は狼を意味する)のキャラクターを用いて、子供がより興味を持てる解説を加えたり、ビデオで色々なことを教えてくれたり、目の不自由な人のために、“触れる“陶器を設置するなど様々な工夫を凝らしたりととても近代的な美術館となっています。
また最後には陶工体験などのイベントを行えるスペースなども用意されています。
現在もモンテルーポでは陶器作りが盛んで、フィレンツェの陶器店で売られている商品はモンテルーポで作られたものが多いそうです。
参考資料
モンテルーポ陶器美術館(Museo della Ceramica di Montelupo)
火―日:10:00-19:00
水、木は21:00-23:30も開館。
休み:月曜日、復活祭、クリスマス、12月26日、1月1日、5月1日