フランス人にとっても「異郷の地」
フランス、ブルターニュ地方をご存知でしょうか。
古代に中央アジアの草原から移り住み、紀元前後にイタリアを中心に大帝国を築いたローマ人からガリア人とも呼ばれた先住民族「ケルト人」の文化が根強く残り、フランス人にとっても「異郷の地」の趣です。
このフランス北西部の土地は、ゲランドの塩やそば粉のクレープの発祥の地としても有名です。
海の国であり、森の国でもある。そして、海辺や断崖絶壁、荒地に中世の街、沢山の顔を持った土地で、フランス国外からも多くの観光客で賑わっています。
そんなブルターニュ地方のフィニステール県の県庁所所在地がカンペール(Quimper)です。
パリからTGVで約4時間半、カンペール焼きの本場へようこそ。
市内には、80メートルの二つの塔が印象的なサン・コランタン大聖堂、そのとなりの県立ブルターニュ民族博物館も有名です。
また、サン・コランタン大聖堂周辺の旧市街には1階から屋根にむけてだんだん大きくなる伝統的な建物も見ものです。
出典:depositphotos.com(カンペール)
出典:quimper-tourisme(民族博物館)
また、ガトーブルトンと呼ばれる、バターをたっぷり使ったケーキや、クイニーアマンで休憩し、そば粉のガレットや、シードルと呼ばれるりんごのお酒で夕食をいかがでしょうか。
ブルターニュ独特の文化を、建築や風景、そして食事から存分に楽しむことができます。
出典: france.fr (そば粉のクレープとシードル)
ルイ14世の時代から続く「カンペール焼き」の歴史
カンペール焼きの歴史は、17世紀に絶対王政の元でフランス絶頂期を演出し、「太陽王」とも呼ばれたルイ14世の時代にまで遡ります。
15世紀頃から作られていた素朴な陶器が、ルイ14世の庇護の下、大きく発展していきます。
王家により設立された陶器工房(のちのHB社)は、手書き絵付け陶器のフランスで最も古い企業としても有名です。
また、1699年、マルセイユからやって来たジャン・バブティスト=ブケ(Jean-Baptiste Bousquet)がカンペールにやって来た事で、カンペール焼きにプロヴァンスのより洗練された陶器技術が加えられました。
彼の死後、その息子ピエール・ブケ(Pierre Bousquet)がカンペール焼き(Faïence de Quimper)の工場を設立し(のちのHenriot社)、世代を経て、またアーティストである陶工たちにより、カンペール焼きは更なる発展をとげます。
出典:Wikipedia(カンペール焼き、1910)
そこにはヌヴェール(Nevers)やルーアン(Rouen)の技術も加えられ、フランスでも最上級の陶器をなっていきます。
そして、陶器でありながらその優れた芸術性は、ゴーギャンやセザンヌ、ピカソなど多くの画家に影響を与えたとも言われています。
1968年には、HB社とHenriot社が合併し、名前をHB-Henriot(アッシュベー・アンリオ)社とし、2011年には社名を変更し、新たにHenriot-Quimper(アンリオ・カンペール)社として、カンペール焼きの象徴となっています。
独特のタッチの絵付けが特徴の「カンペール焼き」
カンペール焼きは製造から加工まで、常に発祥の地である、カンペールのロクマリア地区(Loc-Maria)で、全てハンドメイドで制作されています。
「カンペールタッチ」と呼ばれる、カンペール独特のペイントは、 長期間の訓練を要します。
陶器に細密に描かれる絵付けの技術は、最高級の芸術と言われおり、同じものがひとつとないその温かみのある絵柄が、フランスやまた世界でも多くのコレクターに愛されています。
花のモチーフや伝統的な民族衣装を着た男女が有名です。
カンペール焼きにはお皿や、ポット、小皿やバター入れなど様々なものがあり、食卓がとても可愛らしく、柔らかな雰囲気になります。
またカンペールの焼きのボウルは日本では珍しいですが、非常にブルターニュらしい陶器です。
そのボウルには名前を入れる事ができ、ブルターニュ地方ではそれぞれの名前の入ったボウルが各家庭にあり、朝食にはボウルに入れたカフェオレに、クレープを浸して食べるというのが、まさにブルトン(ブルターニュ的)です。
ブルターニュ地方のエスプリ、「地元に定着しながらも新しいものを取り入れる」革新的な挑戦はまだまだ続いており、現在も新しいアーティストとのペイントコラボレーションや、カンペール焼きのアクセサリーなど、更なる発展が見逃せません。