彫刻と陶器の融合
東洋における焼き物彫刻は、日本では縄文時代の土偶、弥生時代の埴輪などに続き、奈良時代の仏像の製作を最後に途絶えてしまいます。
中国も同様で、秦の始皇帝陵に見られた兵馬俑を最後に焼き物への興味は器や壺へと完全にシフトしてしまいました。
しかし、ヨーロッパでは焼き物の彫刻も、大理石や青銅の彫刻と同様に、魅力ある芸術作品として長い間歴史に残っています。
陶彫の種類は多様で、紀元前7-6世の釉を使わない自然な色合いを生かしたエトルリアのテラッコッタや、紀元前4世紀の部分的に彩色されたギリシャのタナグラの人形などに始まり、17-18世紀の人物小像のように多彩色で飾られたもの、18世紀の白磁の彫像のような釉薬をかけたものなど、例を挙げればキリがないほどです。
出典:Wikipedia(ルーブル美術館に納められているタナグラ人形)
なぜヨーロッパでは陶彫がこれほど好まれたのかというと、粘土は大理石や青銅に比べ形が作りやすく、さらに陶土が各地で簡単に手に入ったことにあるようです。
また施釉し焼成すれば色彩も保護され、風雨にも強くなるという利点もありました。
イタリアでは陶芸の技術に秀でたエトルリア人が等身大の陶棺や大彫刻を多数制作していましたが、ローマ人は大理石を好んでいたため、陶芸は長い間廃れてしまいました。
ところが、ルネサンス期を迎えた14-15世紀にマヨリカ焼きの文化がもたらされます。
この錫釉薬を使った陶器の到来により、焼き物彫刻が再び注目され、そこに新しい芸術が誕生するのです。
マヨリカ陶器の技術を活かした彩色テラコッタの誕生
1401年にルネサンスの幕開けともいわれる、洗礼堂の門の彫刻制作のためのコンクールがフィレンツェで開かれます。
当時フィレンツェにはこのコンクールの勝者となったギベルティー(Ghiberti)をはじめ、ライバルでのちに大聖堂の丸天井(Cupola)の設計に携わるブルネレスキ(Brunelleschi)、ブルネレスキの友人のドナテッロ(Donatello)など錚々たる彫刻家たちが活躍していました。
そのドナテッロと競作することとなった、フィレンツェの大聖堂のための大理石の聖歌台(Cantoria)を作ったのがルカ・デッラ・ロッビア(Luca della Robbia、1400-1481)でした。
ちなみに、現在はどちらも大聖堂付属博物館に保管されています。
出典:Opera di Santa Maria del Fiore di Firenze(大聖堂付属博物館)
このルカ・デッラ・ロッビアこそが、マヨリカ陶器の技術に着目し、釉薬で彩色したテラコッタ彫像という新しい陶彫を作り出した彫刻家でした。
ロッビア一族の陶彫
ルカがいつ最初の釉を用いて彩色した彫刻を作り始めたのかははっきりわかっていません。
しかし、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(Cattedrale di Santa Maria del Fiore)の巨大なレリーフの「キリストの復活(Risurrezione di Cristo)」(1445年)、「キリストの昇天(Ascensione di Cristo)」(1446年)を見れば、この時期には既に、彩色技術の完璧な使い手であったことは明らかです。
出典:Wikipedia(キリストの復活、ルカ・デッラ・ロッビア)
出典:Wikipedia(キリストの昇天、ルカ・デッラ・ロッビア)
ルカが始めた陶彫は成功を収め、工房は代々ロッビア一族によって受け継がれていきました。
中でもルカの甥のアンドレア(Andrea della Robbia、1435-1525)はマヨリカ陶器による彫刻に専念し、この技法をより発展させました。
アンドレアの作風はルカに比べてより親しみのある人物像と優美な女性像が特徴です。出典:Wikipedia(智天使と聖母子、アンドレア・デッラ・ロッビア)
ロッビア一族が作り出す陶器彫刻はルネサンス期の建築にもふさわしい装飾として、イタリアだけでなくヨーロッパ各地に広まって行きます。
また人物彫刻だけでなく、極めて写実的な果物や野菜、小動物なども手掛けており、腐らず変色しない、まるで食品サンプルのようにリアルな陶彫作品は、ヨーロッパ中で人気を博しました。
16世紀には、他のルネサンス芸術と共に、錫釉薬を使った陶器彫刻もアルプスを越え、北に伝えられます。
そしてフランスのルーアン窯をはじめ、ヨーロッパ各地でこの技術が模倣されるようになります。
フィレンツェ出身のカトリーヌ・ド・メディシス(Caterina de' Medici、1519-1589)によって「国王御用陶工」に命じられたベルナール・パリシー(Bernard Palissy、1510-1590)もロッビア一族の作品から影響を受けた一人だったかもしれません。
また18世紀には、マイセン磁器の大陶彫家ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー(Johann Joachim Kändler、1706-1775)らもロッビア派の伝統を継ぎ、発展させたと考えられています。
そして日本における西洋の陶彫は、大正時代に農商務省給費生として日本人ではじめてフランス国立セーヴル陶磁器研究所に学び、「陶彫の父」とも呼ばれた沼田一雅(1873-1954)によりもたらされます。
沼田一雅の陶彫は現在六本木のサントリー美術館で開催中の「フランス宮廷の磁器 セーヴル、創造の300年」展で見ることができます。
参考資料
すぐわかるヨーロッパ陶磁の見かた、東京書籍
西洋やきものの世界―誕生から現代まで、平凡社