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クレイユ、モントロー|イギリス風のフランス陶器「クレイユ・モントロー」を生んだ2つの街

1811年に、サン・クリク・カゾー(Charles Gaspard Alexandre Saint-Cricq Casaux)がクレイユ窯の経営者となり、1819年にモントロー窯を買収。

その後、工場経営を引き継いだルイ・マーティン・レベフ(Louis-Martin Lebeuf、1792-1854) とジャン・バプティスト・グラシアン・ミレー(Jean Baptiste Gratien Milliet、1797-1875)のもと 1840年には合併します。

ともにライバルとしてそれほど遠くない場所で陶器工場を営んでいたクレイユとモントローが共同で陶器を作ることとなりました。この名前は1840年から1874年まで“Lebeuf Milliet et Cie ”のマークで残ることとなります。


ロンウィ|皇帝ナポレオンも愛した華やかなエナメル装飾「ロンウィ焼き」と、世界遺産となった城塞の街

古い時代より、ロレーヌ地方では陶器作りという美しい伝統が続いていました。

ロンウィでは1798年、シャルル・レニエ(Charles Régnier)が3人のパートナーとともに、かつての修道院に最初の陶器工場が作ったところから始まります。

そんなロンウィの陶器が一躍脚光を浴びたのは、かの皇帝ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte、1769-1821)が、1804年に要塞を見るためにこの街を訪れ、この陶器を気に入り、テーブル食器を注文した事でした。


ザクワディ・ツェラミチネ・ボレスワヴィエツ|唯一、社名に「ボレスワヴィエツ」という地名を入れることを許された由緒正しき窯

前回、ポーリッシュ・ポタリーのふるさと「ボレスワヴィエツ」の街についてご紹介しました。

そこで、今回は、ボレスワヴィエツ陶器の代名詞とも言える「ザクワディ・ツェラミチネ・ボレスワヴィエツ窯(Zakłady Ceramiczne “BOLESŁAWIEC”)」を紹介します。

数ある窯の中で唯一、社名に「ボレスワヴィエツ」という地名を入れることを許された窯なのです。


ロイヤルウースター|イギリス陶磁器界で最初にロイヤルワラント(王室御用達)の栄誉を受けた名窯

ロイヤルウースター(Royal Worcester)は1751年に創業され、現在も操業を続ける陶磁器メーカーとしては、イギリスで1、2を争う長い歴史を有しています。

ちなみに、ロイヤルクラウンダービーの創業が1750年なので、わずか1年の差で最古の窯という栄誉は逃していますが、ヨーロッパで最初に硬質磁器の製造に成功したマイセンの創業が1710年、イギリスで最も有名ともいえるウェッジウッドの創業が1759年ですから、いかに長い伝統を有している窯かイメージが湧くのではないでしょうか。


ロイヤルコペンハーゲン|東洋の磁器に魅せられて誕生した上品なブルーが輝く、デンマーク王室ゆかりの窯-前編(歴史編)

ロイヤルコペンハーゲンを2回に分けて総力特集!

前編の今回はロイヤルコペンハーゲンの歴史や、最初に作られたシリーズの秘密にせまります。

ロイヤルコペンハーゲンの中でも定番の絵柄は、1775年の創業後すぐに誕生したあるシリーズが元になっていることがわかりました。


アウグスト3世と3人の娘|ヨーロッパ屈指の絵画コレクションを築いた父と、陶磁器とゆかりの深い3人の娘

膨大な磁器コレクションを集め、マイセンを創設するなど、"強健王"として有名なアウグスト2世と、彼の妃クリスティアーネの間に唯一の子どもとして誕生したアウグスト3世(August III Sas、1696-1763)。

政治の世界での鬱憤を晴らすかのように、アウグスト3世は、芸術を愛し、ザクセンの都ドレスデンにヨーロッパ屈指のコレクションを築き上げ、ドレスデンを芸術の都として今日の発展の礎を築き上げます。


フリードリヒ1世|「磁器の間」で知られるシャルロッテンブルク宮殿を妻に贈った、見栄っ張りで猫背の国王

フリードリヒ1世(Friedrich I、1657-1713)は、ブランデンブルク選帝侯であったフリードリヒ・ヴィルヘルムと、オランダ総督の娘であった妻ルイーゼ・ヘンリエッテとの間に、東プロイセンの中心都市であったケーニヒスベルク(現 ロシアのカリーニングラード)で生まれます。

この当時のプロイセンはというと、神聖ローマ帝国を形成する領邦国家のひとつではありましたが、多数の諸侯が入り乱れるうちの、要するに、田舎の地方政権といった様相。


ロイヤルドルトン|時代と共に移り変わるイギリスのモダンを紡ぐ名窯

1815年、イギリスの首都ロンドンのテムズ河近くの街ランベス(Lambeth)にて、ロイヤルドルトン(Royal Doulton)は産声を上げました。

創業者のジョン・ドルトン(John Doulton、1793–1873)が、ビジネスパートナーであるジョン・ワット(John Watts)、マーサ・ジョーンズ(Martha Jones)とロイヤルドルトンを創業した当時は、素朴で重厚な炻器(せっき、陶器と磁器の中間のような性質を持ち、光も水も通さない硬く引き締まった風合いが特徴)で、ビールのピッチャーや水差しなどの日用品を作っていたようです。


ロイヤルアルバート|紅茶をおいしく飲むための究極のシェイプと、イギリス国花の赤いバラ

ロイヤルアルバートの特徴は、英国王室御用達の名にふさわしいエレガントな佇まいと、美しい花柄のデザインにあります。

まずは代表的なシリーズである、オールド・カントリー・ローズについてご紹介したいと思います。

「オールド・カントリー・ローズ」は1962年に誕生し、単一デザインで一億ピース以上を売り上げ、大ベストセラーとなりました。

一億ピースというと、日本国民の成人のほぼ全員が持っているくらいの数ですから、いかにすごい人気であったか想像ができますね。


マリー・アントワネット|フランス革命に散った悲劇の王妃は、贅沢三昧で無知だったのか?

マリー・アントワネット(Marie-Antoinette、1755-1793)は、オーストリア皇帝のフランツ1世とその妻マリア・テレジアとの間に、第15子としてウィーンに誕生します。

オーストリアとフランスは、数百年間にわたって、ヨーロッパ大陸での覇権を争う宿敵関係でしたので、一旦は同盟関係を結べたものの、いつ瓦解してもおかしくない状態のため、早いうちに一層の関係強化を図る必要がありました。

そこで白羽の矢がたったのが、オーストリア側は14歳のマリー・アントワネット、フランス側は15歳の王太子(後のルイ16世)です。幼いマリー・アントワネットは、両家融和の象徴として、フランスに輿入れすることになります。


ポートメリオン|英国キャリアウーマンの先駆けが生んだ自然の魅力あふれるテーブルウェア

ポートメリオン(Portmeirion)は、陶器デザイナーのスーザン・ウィリアムズ・エリス(Susan Williams Ellis、1918-2007)と夫ユーアン(Euan)によって設立された陶磁器メーカーです。

若いころのスーザンは、20世紀のイギリスを代表する彫刻家ヘンリー・ムーア(日本でも「箱根 彫刻の森美術館」で作品を見ることができます)と、画家グレアム・サザーランドのもとで学んだ陶器デザイナーでしたが、1953年に夫のユーアンと共に、父親からウェールズの土産物店を引き継ぎ、ポートメリオン村で営んでいました。


ロイヤル・ティヒラー・マッカム|400年以上も伝統製法を守り続けるオランダのもう一つの「ロイヤル」窯

オランダの陶器と言えば、デルフト・ブルーが有名で、このサイトでも以前、「ロイヤル・デルフト」を紹介しました。

しかし、オランダにはもう1つ、「ロイヤル」を冠する陶器ブランドがあるのをご存知でしたか。

今回は、日本ではまだあまり、知られていない「ロイヤル・ティヒラー・マッカム(Royal Tichelaar Makkum)」を紹介します。


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