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ルイ王太子とマリア・ヨゼファ|フランス宮廷とマイセンを結んだアウグスト強王の孫娘

フランス国王ルイ15世と妃マリー・レクザンスカの長男であるルイ・フェルディナン(Louis Ferdinand de France1729-1765)は、生まれながらのドーファン(Dauphin、王太子)として誕生しました。

有名な愛人だけでもポンパドゥール夫人にデュ・バリー夫人などなど、数多くの愛人を持ったことで知られる奔放な父王ルイ15世とはタイプの違う人物であったというルイ・フェルディナンは、ローマ教皇とイエズス会の保護を行っていたというほど敬虔なカトリックで厳格な人物だったのだそう!(顔はそっくりですが、性格は真逆な親子だったんですね)


マクシミリアン3世とマリア・アンナ・ゾフィア|神聖ローマ帝国の継承権をマリア・テレジアと争った姉妹の子供たちが創設したニンフェンブルク窯

ドイツ・バイエルン選帝侯マクシミアリアン3世ヨーゼフは、バイエルン選帝侯から神聖ローマ皇帝となったカール7世と、妃マリア・アマーリエの間に、ミュンヘンで生まれます。

一方、彼の妻となるマリア・アンナ・ゾフィアは、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世(ポーランド王アウグスト3世)と、妃マリア・ヨーゼファの間に、ドレスデンで生まれます。

この頃のドイツは、大小の諸侯が乱立する領邦国家。その中でも特に力をもっていたのは、神聖ローマ帝国の皇帝に関する選挙権をもち「選帝侯」と呼ばれた7諸侯ですから、有力諸侯同士の政略結婚ですね。

そして、双方の母親同士は姉妹!ですから、マクシミリアン3世は一つ年下の従妹を花嫁に迎えることとなるわけです。


カルロス3世とマリア・アマリア|ドイツから、イタリア、そしてスペインへ!政略結婚によって広まったマイセン磁器の技術

ナポリ・シチリアの王として即位し、後に王位を息子に譲ってスペイン王となるカルロス3世(1716-1788)は、スペイン王フェリペ5世と、彼の2番目の妃でイタリア北部のパルマ公女エリザベッタ・ファルネーゼとの間に生まれます。

父フェリペ5世には既に世継ぎとして先妻の子フェルナンド6世がいたため、カルロス3世は、母エリザベッタがイタリア北部のパルマ公国出身であったこともり、王子時代にはパルマ公を務めていました。


マルセイユ|太陽溢れるフランス最古の港町が生んだ、バラエティに富んだプロヴァンス陶器

マルセイユの街の歴史は紀元前600年前に遡ります。古代ギリシアで繁栄したフォカイア人が築いた植民都市「マッシリア」、が現在のマルセイユの起源とされ、フランス最古の街となっています。

現在は人口の約半分が移民で北アフリカの国々との結びつきも強く、国際色豊かな街。またマルセイユは暖かい土地にみられるとても陽気でオープンな土地柄でもあります。


ヘキスト|マイセンに次ぎ、ドイツで2番目に長い歴史を誇る「幻の名窯」

ドイツの窯と言えば、マイセン(Meissen)をまず思い浮かべる方が多いでしょう。

しかし、マイセン以外には思い浮かばない方もいらっしゃるかもしれませんね。実はドイツには、日本ではまだ知名度が高いとは言えない窯がたくさんあるのです。

今回は、マイセンに次いでドイツで2番目に歴史のある「ヘキスト陶磁器工房(Höchster Porzellan-Manufaktur)」という窯を紹介します。

注文を受けてから職人が下絵なしで絵付けするという、由緒ある窯なのです。


エインズレイ|炭鉱経営者の趣味から、王室御用達へ。「枯れない花」を生み出すイギリスの名窯

エインズレイ(Aynsley)は18世紀から続く長い伝統をもち、高品質なボーンチャイナなど高い技術と優美なデザインが評価され、イギリス王室からこよなく愛されている陶磁器メーカーです。

その創業者であるジョン・エインズレイ(John Aynsley)は、イギリスの中西部の街ストーク・オン・トレント(Stroke-on-Trent)で炭鉱を経営し、陶器の窯元に対して石炭を納品していました。そして、個人的な趣味としても、陶器やラスター彩のコレクションに情熱を傾けていました。

ジョン・エインズレイは、次第にコレクションするだけでは飽き足らず、1775年、とうとう、ストーク・オン・トレントのレイエンド(Lane End)、現在のロングトン(Longton)に陶磁器を製造するための窯を作ってしまいます。


ディゴワン、サルグミーヌ|「カフェオレボール」の産地として有名な、フランスとドイツの間で揺れ動いた街

1870年、アルザス・ロレーヌ地方の領有権をめぐっておきた、フランスとプロイセン(ドイツ)間の普仏戦争により、サルグミーヌ窯は大きな問題に直面します。

この戦争の結果、サルグミーヌが、それまでのフランス領から、プロイセン(ドイツ)領へ組み入れられることとなったのです。

そして、ドイツからフランス国内への輸出に対しては、多額の税金がかけられることとなりました。


ムルシア、トタナ|地中海近くの温暖な街で作られる昔ながらの手作り陶器と「ベレン」

ムルシアの歴史は大変古く、580年ごろには、イベリア半島の北東からこの辺りまでギリシャ人がやってきて、陶器産業を作る元となったとされています。

825年には現在の場所にムルシアという名前の都市ができており、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン2世以降は、しばらくイスラム王朝の統治下の時代が続き、この間に、陶工たちがやってきたそうです。


マリー・ルイーズ|政略結婚のため憎むべき存在「皇帝ナポレオン」の二番目の妃となったハプスブルク家の皇女

マリー・ルイーズ(Maria Luisa、1791-1847)は、神聖ローマ皇帝フランツ2世(Franz II、1768-1835)の長女として、現オーストリアのウィーンで成長しました。

幼少の頃から、「ナポレオン」と名付けた人形をいじめながら育ち、10代の頃にはナポレオンのヨーロッパ侵略によってシェーンブルン宮殿を追われる経験を2度も経験したマリー・ルイーズ。

決して、ナポレオンに対して良い印象を抱いたことはありませんでした。


ジョゼフィーヌ|夫の成功は妻次第?!皇帝ナポレオンの最初の妻は幸運の女神

ジョゼフィーヌ(Joséphine de Beauharnais、1763-1814)は、いわゆる没落貴族の娘として、マルティニック島のトロワ・ジレに生まれます。

生家は経済的には困窮していたものの、もって生まれた人目を惹く美貌を活かし、生涯を通じて様々な男性を魅了し、派手で豪華な暮らしを送ります。

また、彼女の魅力は、その美貌だけではありません。彼女と一緒になった男性は幸運に恵まれ、別れた男性はツキに見放されるという不思議な体質。


ニュルンベルク|クリスマスマーケットと、世界最大のおもちゃ見本市で有名な職人の街

ドイツ南部にあるニュルンベルク(Nürnberg)は、人口50万人を超え、バイエルン州では2番目に大きな都市で、州都ミュンヘン(München)からは特急で1時間。

駅前はすぐに旧市街とアクセスも非常に便利であり、ドイツの中でも歴史あるクリスマスマーケットや、世界最大のおもちゃ見本市が開催されることでも有名です。

現在のドイツ連邦のもととなったバイエルン王国ザクセン公国、現在のチェコ西部のボヘミア王国など、かつては神聖ローマ帝国の領邦国家として自治権をもっていた諸国の境界に位置し、重要な街道が交わる地点でもあったことから、ニュルンベルク城(カイザー・ブルク)は神聖ローマ帝国皇帝の拠点として重要視されてきました。


ロイヤルクラウンダービー|これぞ王室御用達!「ロイヤル」と「クラウン」二つの称号を冠する英国の名窯

ロイヤルクラウンダービー(Royal Crown Derby)は、イングランド中部の都市ダービー(Derby)の磁器会社です。

創業は1750年。現在も操業している窯としては、イギリス最古の陶磁器メーカーと言われています。

ロイヤルウースター(Royal Worcester)の創業が1751年ですので、わずか1年違いですが「イギリス最古」となり、また、ヨーロッパで最初に硬質磁器の製造に成功したマイセン(Meissen)が1710年、最も有名な陶磁器メーカーともいえるウェッジウッド(Wedgewood)が1759年に事業を開始したことを考えても、いかも長い伝統を誇る窯ですね。


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