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エインズレイ|炭鉱経営者の趣味から、王室御用達へ。「枯れない花」を生み出すイギリスの名窯

エインズレイ(Aynsley)は18世紀から続く長い伝統をもち、高品質なボーンチャイナなど高い技術と優美なデザインが評価され、イギリス王室からこよなく愛されている陶磁器メーカーです。

その創業者であるジョン・エインズレイ(John Aynsley)は、イギリスの中西部の街ストーク・オン・トレント(Stroke-on-Trent)で炭鉱を経営し、陶器の窯元に対して石炭を納品していました。そして、個人的な趣味としても、陶器やラスター彩のコレクションに情熱を傾けていました。

ジョン・エインズレイは、次第にコレクションするだけでは飽き足らず、1775年、とうとう、ストーク・オン・トレントのレイエンド(Lane End)、現在のロングトン(Longton)に陶磁器を製造するための窯を作ってしまいます。


ロイヤルクラウンダービー|これぞ王室御用達!「ロイヤル」と「クラウン」二つの称号を冠する英国の名窯

ロイヤルクラウンダービー(Royal Crown Derby)は、イングランド中部の都市ダービー(Derby)の磁器会社です。

創業は1750年。現在も操業している窯としては、イギリス最古の陶磁器メーカーと言われています。

ロイヤルウースター(Royal Worcester)の創業が1751年ですので、わずか1年違いですが「イギリス最古」となり、また、ヨーロッパで最初に硬質磁器の製造に成功したマイセン(Meissen)が1710年、最も有名な陶磁器メーカーともいえるウェッジウッド(Wedgewood)が1759年に事業を開始したことを考えても、いかも長い伝統を誇る窯ですね。


ロイヤルウースター|イギリス陶磁器界で最初にロイヤルワラント(王室御用達)の栄誉を受けた名窯

ロイヤルウースター(Royal Worcester)は1751年に創業され、現在も操業を続ける陶磁器メーカーとしては、イギリスで1、2を争う長い歴史を有しています。

ちなみに、ロイヤルクラウンダービーの創業が1750年なので、わずか1年の差で最古の窯という栄誉は逃していますが、ヨーロッパで最初に硬質磁器の製造に成功したマイセンの創業が1710年、イギリスで最も有名ともいえるウェッジウッドの創業が1759年ですから、いかに長い伝統を有している窯かイメージが湧くのではないでしょうか。


ロイヤルドルトン|時代と共に移り変わるイギリスのモダンを紡ぐ名窯

1815年、イギリスの首都ロンドンのテムズ河近くの街ランベス(Lambeth)にて、ロイヤルドルトン(Royal Doulton)は産声を上げました。

創業者のジョン・ドルトン(John Doulton、1793–1873)が、ビジネスパートナーであるジョン・ワット(John Watts)、マーサ・ジョーンズ(Martha Jones)とロイヤルドルトンを創業した当時は、素朴で重厚な炻器(せっき、陶器と磁器の中間のような性質を持ち、光も水も通さない硬く引き締まった風合いが特徴)で、ビールのピッチャーや水差しなどの日用品を作っていたようです。


ロイヤルアルバート|紅茶をおいしく飲むための究極のシェイプと、イギリス国花の赤いバラ

ロイヤルアルバートの特徴は、英国王室御用達の名にふさわしいエレガントな佇まいと、美しい花柄のデザインにあります。

まずは代表的なシリーズである、オールド・カントリー・ローズについてご紹介したいと思います。

「オールド・カントリー・ローズ」は1962年に誕生し、単一デザインで一億ピース以上を売り上げ、大ベストセラーとなりました。

一億ピースというと、日本国民の成人のほぼ全員が持っているくらいの数ですから、いかにすごい人気であったか想像ができますね。


ポートメリオン|英国キャリアウーマンの先駆けが生んだ自然の魅力あふれるテーブルウェア

ポートメリオン(Portmeirion)は、陶器デザイナーのスーザン・ウィリアムズ・エリス(Susan Williams Ellis、1918-2007)と夫ユーアン(Euan)によって設立された陶磁器メーカーです。

若いころのスーザンは、20世紀のイギリスを代表する彫刻家ヘンリー・ムーア(日本でも「箱根 彫刻の森美術館」で作品を見ることができます)と、画家グレアム・サザーランドのもとで学んだ陶器デザイナーでしたが、1953年に夫のユーアンと共に、父親からウェールズの土産物店を引き継ぎ、ポートメリオン村で営んでいました。


トーマス・リプトン|斬新な経営戦略で、小さな食料品店から世界で愛される紅茶ブランドへ発展させた紅茶王

世界各国から愛される有名紅茶ブランド、リプトン。

日本で初めて輸入された紅茶はリプトンであり、日本人にとっても大変なじみの深い紅茶といえるでしょう。

そんなリプトンの創業者トーマス・リプトン(Thomas Lipton、1850-1931)はもともと食料品店を営んでおり、紅茶の事業を始めるのは意外にも?39才頃のこと!


アルバート公|「ヘレンド」が世に注目される契機となったロンドン万博開催の立役者

1851年、ロンドンのサウスケンジントンにある王立公園ハイド・パークにて世界最初の万国博覧会が開催されました。

当時の君主、ヴィクトリア女王の治世を象徴する祭典ともいわれるほどの一大イベントであったこのロンドン万博、参加国は34ヶ国にのぼり、5月から10月にかけての会期141日間で総入場者数はのべ604万人という大盛況ぶり!

そんな史上初の万博を大成功させた立役者こそ、ヴィクトリア女王の最愛の夫アルバート公(1819-1861)です。


リチャード・トワイニング|高すぎるお茶の税金が引き起こしたアメリカ独立戦争と、トワイニング社4代目の活躍

17世紀に、国力をつけたイギリスとフランスは、いずれも積極的な植民地獲得に乗り出し、インド、アメリカ新大陸で互いに争い、ヨーロッパにおいても、スペイン継承戦争、オーストリア継承戦争、七年戦争などで度々、敵対しました。

これら植民地政策や相次ぐ戦争で、多額の費用がかさんでいた18世紀のイギリス。

そこでイギリスは、苦しまぎれに新たな課税を始めることとなりますが、これが国内のみならず、"国外"からも大きな反発を受けることとなります。


ジョージ4世|「スポード」にロイヤル・ワラントの称号を与えた、悪名高いイギリス国王
ジョージ4世はなぜそんなに悪名高い? ジョージ4世(1762-1830)は1762年、国王ジョージ3世とその妻シャーロットの長男として生まれました。  出典:Wikipedia(ジョージ4世) 若い頃から、ハンサムで教養も深く、「イングランド一のジェントルマン」と呼ばれたこともあるほど魅力的...

スポード|「ボーン・チャイナ」を生んだイギリスの名窯

ロイヤルコペンハーゲン、ロイヤルデルフトに代表されるように、世界中にはたくさんのブルー&ホワイトで有名な食器ブランドがあります。

実はイギリスにも、青と白の食器で知られるブランドがあるのです。

その名は「スポード(Spode)」。あのピーターラビットの作者、ビアトリクス・ポターも愛した食器ブランドとか。

今回は、イギリスの「スポード」の知られざる歴史や有名シリーズをのぞいてみましょう。


チャールズ・グレイ|紅茶アール・グレイの名前は元イギリス首相の名前から?

チャールズ・グレイは、政治活動を始めた当初、あまり人脈がありませんでした。自分の売り出しにも悩んでいた時に、社交界で一人の女性と知り合います。

それは、当時社交界の華として大変な人気を誇っていた、デヴォンシャー侯爵夫人(ジョージアナ・キャヴェンディッシュ)でした。

デヴォンシャー夫人の後押しもあって、チャールズ・グレイは自分の名を広めることに成功します。しかし、デヴォンシャー夫人との間は、ただの政治仲間ではすみませんでした。


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