ウーバンアビーのアンナ・マリア
今でこそ紅茶といえば英国!というイメージが定着している現代ですが、英国に紅茶の習慣が広がっていった背景には、王侯貴族が宮廷内で流行らせたことをきっかけに、それが徐々に中産階級へ広がり、やがて一般市民へと浸透していった、という経緯がありました。
しかし!紅茶にまつわる習慣は何でも王族が始めたとは限りません…
たとえば、アフタヌーンティーを始めたのは国王や女王ではなく、あるお屋敷に住んでいた貴婦人。
しかも彼女のちょっとしたお悩みがきっかけとなって生まれたアフタヌーンティーは、やがて女王をも楽しませる習慣として定着していくこととなるのです。
その貴婦人は、ロンドンから北へ100キロほど離れた所にあるウーバンアビーという大邸宅に住む、第7代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセルの妻で、名をアンナ・マリア(1783-1857)といいました。
出典:Wikipedia(アンナ・マリア)
ちなみに、世界初のペットボトル入り紅茶としても有名なKIRIN「午後の紅茶」のラベルに描かれた女性もアンナ・マリアがモデルなんだとか!
出典:Kirinホームページ(ラベルに描かれたアンナ・マリア)
はじまりは、貴婦人の憂鬱
1840年頃、ベッドフォード公爵とアンナ・マリアは、お住まいのウーバンアビー(Woburn Abbey)で毎日大勢のお客をもてなす日々を送っていました。
ウーバンアビーはベッドフォードシャー州ウーバンの地に建てられた歴史ある豪邸ですが、そんなお屋敷へ嫁いだアンナ・マリアもまた高貴な人物でありました。
生まれも育ちも良いアンナ・マリアですが、公爵と結婚した後は、公爵夫人としての務めだけでなく、当時の君主ヴィクトリア女王が即位してからの数年間は彼女の側近も務めていたほどです。
そんなウーバンアビーには、公爵夫妻を訪ねて連日たくさんのゲストが訪れ、滞在していたといい、多いときには年間で1万人以上ものお客をもてなしていたという記録もあるんだとか!
出典:Woburn Abbeyホームページ
それほどたくさんのお客様に食事やお部屋を提供するのに気を配っていたのですから、アンナ・マリア夫妻はさぞかし大忙しだったに違いありません。
そんなアンナ・マリアのちょっとしたお悩みは、夕方になるとお腹が空いてしまって憂鬱になる、、、というものでした。
彼女はそれを夫にも打ち明け、訴えたといいます。
ところで、当時の食事は、豪華な朝食と社交を兼ねた晩餐の1日2回が基本であり、お昼はピクニックに出かけ、少量のパンや干し肉、チーズやフルーツといった軽食で簡単に済ませるのが普通でした。
しかも、この頃のイギリスは産業革命によって人々の生活習慣が変わりつつあった時期でもあり、特に家庭用のランプの普及によって、人々は日が暮れた後も活動できるようになりました。
そのため、夕食は音楽会や観劇が終わってからの夜8時ごろ。大邸宅でお客様をもてなしていたアンナ・マリアでなくても、夕方にはお腹が空いてしまうのも無理はありませんよね。
そこでアンナ・マリアは、午後3時から5時頃になると、紅茶にサンドイッチや焼き菓子を添えて空腹を満たすという新習慣を始めました。
最初は一人だけの楽しみだったようですが、これが後のアフタヌーンティーの原型となります。
女性客に大好評!そして、ついにヴィクトリア女王も!
当時のイギリスは、ヴィクトリア女王の下で、貴族の作法やマナーが重んじられた時代でありましたから、現在のように、いつでも好きなように食事ができるわけではなく、またこうした慣習は簡単には変えられないものでありました。
出典:Wikipedia(ヴィクトリア女王)
しかし、アンナ・マリアが、始めたアフタヌーンティーは女性たちから大好評!
アンナ・マリアは、男性陣が狩りなどの娯楽で出かけてしまうと、女性客たちを応接間に集めて紅茶にサンドイッチやスコーン、ケーキといったティーフードを添えてもてなしましたが、これが大評判になり、上流階級の人々の間で流行することとなります。
アンナ・マリアは、側近を務めていたこともあってヴィクトリア女王と仲が良かったため、女王は夫のアルバート公とともにウーバンアビーを何度も訪れていたといいますが、ついに女王もアンナ・マリアのこのもてなしを大変気に入り、自身も宮廷内で彼女のようにアフタヌーンティーを始めるようになりました。
出典:Woburn Abbeyホームページ(Queen Victoria’s Bedroom)
ときには王室主催のアフタヌーンティーパーティーを催すこともあったようです。
こうして、アンナ・マリアの始めた午後のひとときは、批判されるどころかイギリスの慣習として受け入れられることとなり、定着していったのです。
アンナ・マリアは優しく気さくな人柄で、ベッドフォード所有地に住む人々からも愛される人物だったと伝わるようですが、普通なら既存の食事習慣に逆らうのはタブーとされるようなこの時代に、新習慣を流行らせてしまったのですから、彼女は女王も認める大変洗練されたセンスの持ち主であったことがうかがえますね!
出典:https://alchetron.com/(アンナ・マリア)
ちなみに、アンナ・マリアが女性客を集めてお茶のおもてなしをした応接間、ブルー地に金色の花模様の壁紙にシャンデリアや純白の暖炉が印象的な「ブルー・ドローイング・ルーム」と呼ばれる華やかで美しいお部屋も有名です。
現在もテーブルには当時を思わせるティーポットやカップが並び、観光客に一般公開されているのだとか。当時招かれたお客の気分で訪れてみたいですね!
出典:Woburn Abbeyホームページ(ブルー・ドローイング・ルーム)
当時のスタイルを垣間見られる?ティースタンド
ところで、アフタヌーンティーといえば、3段重ねのティースタンドに華やかに並べられたお菓子やサンドイッチを思い浮かべる方、多いのではないでしょうか?
出典:depositphotos.com(アフタヌーンティー)
実は、あのティースタンドはアフタヌーンティーが始まった頃と同時期に登場したものでした。
当時、邸宅に住む貴族たちは、ダイニングと応接間を別々に持っており、裕福さを誇示する意味もあって、応接間でちょっとした食事を出すときには優雅な応接間に合うよう、機能性よりデザイン性を重した小さなテーブルを用いていました。
そのため、お茶に添えるお菓子などは少しずつ順番に運ばせていましたが、お客によって食べるペースは違いますから、狭い場所にもあらかじめたくさん置けるよう、縦のスペースを活用できるスタンドが登場したというわけです。
ちなみに、このティースタンドには、下段にサンドイッチ、中段にスコーン、上段にケーキ、、、といったように並べられるのが定番ですが、一緒に食べる方とタイミングを合わせながら、下から順に食べていくのが基本なのだそうで、一度次の段に移ったあとで元の段に戻るのはマナー違反とされたのだそう。
今ではそこまで厳密に構えることはないかもしれませんが、当時の貴族たちの気分になって食べてみるとより楽しめそうですね!
一方、アフタヌーンティーに出される肝心の紅茶は、インドのダージリン、スリランカのウバ、中国のキーマンという世界三大銘茶が主流ですが、最近ではハーブティーやフレーバーティーのほか、緑茶や中国茶など、お好みのお茶を楽しむのもありだそうです。
ちなみに、アンナ・マリアのお茶会ではアッサムといったインドのお茶やラプサン・スーチョンという中国のお茶を楽しんでいたということが、招待状や茶園からの請求書といった貴重な資料からわかっているのだとか!
出典:Fortnum&Mason(ラプサン・スーチョンの紅茶)
一息つきたい午後のティータイムには、ちょっと珍しいお茶を選んで、当時の貴族たちが異国のお茶をいただきながら楽しんだ贅沢な時間、、、に思いを馳せてみたいですね。