デルタでは既に1280年代にマヨリカ焼きを作成していた記録が残っており、そして産出された陶器は、地元の人たちが使うだけでなく、ペルージャやアッシジ(Assisi)にも運ばれていたとのことから、かなりの量が製造されていたことが伺われます。
当初のデルタ製陶器は、植物や幾何学模様が描かれた極めてシンプルなデザインのものでしたが、15世紀初め、それまで作られていたテラコッタと呼ばれる素焼きの焼き物の製作を止め、マヨリカ焼きの製法での陶器作りを専門的に行うようになります。
先史時代から陶器作りが盛んだったカルタジローネに、中世になるとマヨルカ島の商人によってイスパノ・モレスク陶器(「イスパニア・ムーア人の陶器」の意味でこの地域の錫釉陶器の総称)が輸入され、その技法もムーア人(アフリカ北西部に住むイスラム教徒)の陶工たちによってもたらされました。
その後、マヨルカ島からやって来たその陶器は、錫釉を塗ることで陶器表面が不透明で真っ白になり、その上に絵付けをすると非常に鮮やかに色が映えることから、瞬く間にイタリア各地へ広まってゆき、もっぱら16世紀までにイタリアで作られた錫釉陶器は「マヨリカ焼き」と呼ばれるようになりました。
古くから陶器作りが行われていたヴィエトリ・スル・マーレには、1020年サンティッシマ・トリニタ・ディ・カバ・デイ・ティレッニ修道院(Abbazia della SS. Trinità di Cava dei Tirreni)の建設を機に多数の工房が出来、この辺りでは有数の陶器の街となります。