メディチ家がパトロンとして支えた15世紀のルネサンス
世界中の人々が憧れ、一度は行ってみたいと思う国、イタリア。その中でも特に人気が有る街が、フィレンツェです。
街全体が美術館のようなフィレンツェは、特に目的を決めずに散歩するだけでも心が躍るようなことがいっぱいあります。
フィレンツェは、ローマ時代に街としての基礎がつくられましたが、ローマ帝国の滅亡後、中世には、一時的に神聖ローマ帝国(西ローマ帝国)の支配下となったものの、基本的には、毛織物業や金融業で栄えた中小の貴族や商人による自治の元で発展しました。
こういった商人たちの中で、フィレンツェにヨーロッパ一の繁栄をもたらしたのは、メディチ家。
メディチの名前が「医学」や「医薬」をあらわすとおり、もともとの出自は薬屋だったとも言われており、メディチ家の丸薬を模した紋章を今も街中でよく見かけます。
出典:depositphotos.com(メディチ家の紋章)
そのメディチ家は、14世紀に銀行家として大きな成功をおさめ、その財力を背景に、フィレンチェの共和国政府にもメンバーを送り込むなど、政治家としても台頭しています。
また、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなどの芸術家に対するパトロンとしても知られ、15世紀に最盛期を迎えたルネサンス運動(ギリシア・ローマ時代の文化を復興しようとする活動)に大きな役割を果たします。
こうしてメディチ家の隆盛とともに栄華を極めたフィレエンツェですが、16世紀に入ると宗教改革が進み、ローマ・カトリック教会を中心とするイタリアの影響力が低下します。
スペイン・ポルトガル・オランダ・イギリスが海上での覇権を求めて争った大航海時代の到来で地中海貿易の役割も低下、しだいに斜陽の時代となり、メディチ家自体も1737年には断絶していまいます。
もっとも、当時の面影は、いまでも街中の至る所に残され、市街中心部は「フィレンチェ歴史地区」として、ユネスコの世界遺産にも登録されているほどです。
また、フィレンツェの見どころは、芸術だけではありません。
街中をしっかり歩いてお腹が空いたら、フィレンツェ名物のTボーンステーキ(ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ)はいかがですか?
フィレンツェの郷土料理「トスカーナ料理」は、肉、野菜、豆、チーズ、オリーブオイルなど地元の食材を、素朴な料理法で豪快に仕上げたものです。
もちろん、トスカーナ産の赤ワインもお忘れなく。
出典:Wikipedia(ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ)
洋食器関連の見どころ
フィレンツェのシンボルは、細部に至るまで美しい装飾が施された世界最大の石積み建築である、「ドゥオーモ(花の聖母教会)」、そして、見逃せないのが、メディ家がその財力を結集したルネサンス美術の総本山ともいえる「ウフィツィ美術館」です。
出典:depositphotos.com(ウフィツィ美術館)
洋食器好きなら是非、訪れたいのがメディチ家の住まいであったピッティ宮の裏手のボーボリ庭園内にある「陶磁器博物館(Museo delle Porcellane)」です。
メディチ家は偉大な芸術家のパトロンとして有名ですが、様々な美術工芸品のコレクターでもありました。
そのコレクションの1つが磁器で、この博物館ではフィレンツェの支配者であったメディチ家に対して、他のヨーロッパ諸国から贈られたセーヴルやマイセンといった著名な陶磁器が収蔵されています。
出典:Wikipedia(陶器博物館)
また、ピッティ宮の1階には、「銀器博物館(Museo degli Argenti)」もあります。
17世紀のフレスコ画で装飾されたこの博物館は、もともとはトスカーナ大公一家が夏を過ごした宮殿であり、銀製の家具・装飾品だけでなく、宝飾品、カメオ、象牙、古代の壺などのコレクションが展示されています。
ヨーロッパで初めての磁器製造に挑戦したメディチ家
芸術家のパトロンとしてはもちろんのこと、美術工芸品のコレクターとしても有名なメディチ家すが、実は、このメディチ家が、ヨーロッパで最初に磁器の製造に挑戦したことはあまり知られていません。
ヨーロッパに初めて、東洋の陶磁器とその製造方法を紹介したのは、13世紀のヴェネチア商人であり、「東方見聞録」の作者でもあったマルコポーロだと言われています。
白地に青で装飾された美しい東洋磁器にヨーロッパ中の人が魅了されるのに時間はかかりませんでしたが、ただ、磁器製造は広まるには至りませんでした。
ところが1575年頃、錬金術が趣味だったメディチ家の7代目の当主、フランチェスコ1世・デ・メディチ(Francesco I de’ Medici、1541-1587)が、磁器の製造に挑戦します。
ヨーロッパで最初の磁器製造に成功したのは1709年のマイセンですので、メディチ家による挑戦はこれよりも150年も前のことです。
出典:Wikipedia(フランチェスコ1世・デ・メディチ)
しかし、残念なことに、この試みは、当時のヨーロッパでは、磁器の製造に欠かせない「カオリン」が産出されなかったため、磁器に良く似た「軟質磁器」が誕生するにとどまります。
また、この軟質磁器の製造も1587年、大公の死と共に途絶えてしまいましたが、 “メディチの磁器”と呼ばれたヨーロッパ初の磁器は、外交の重要なアイテムとしてヨーロッパ中に広まりました。
フランチェスコ1世の亡くなった際には、数百点の「メディチ磁器」が残されたと言われていますが、現存するの、フランスのセーヴル美術館、ルーブル美術館、イギリスの大英博物館、ヴィクトリア・アルバート美術館などにわずか数十点が残されているのみとなっています。
出典:Wikipedia(メディチ磁器、1575–87年、ルーブル美術館蔵)
リチャード・ジノリのカップでコーヒーを
その後、イタリアでの磁器製造は、1720年、ウィーンの製造技術を受け継いだベネチアのヴェッツィ窯の開窯まで待つ事となります。
ここフィレンツェでは、1735年にトスカーナ大公のカルロ・ジノリ侯爵が、自領にドッチア窯を開き、イタリア初の白磁を完成させます。
その後改良が重ねられ、“トスカーナの白い肌”と呼ばれるほど透明感のある白磁を作ることに成功したジノリは、1896年にミラノのリチャード製陶社と合併。
ここに今日まで続くリチャード・ジノリが誕生し、イタリア最大の陶磁器メーカーとなります。
出典:リチャードジノリ公式サイト(Vecchio Ginori)
現在リチャードジノリのお店は、フィレンツェの中心と、ジノリ侯爵が窯を開いた場所に程近いセスト・フィオレンティーノ(Sesto Fiorentino)にあります。
フィレンツェの街中にあるお店は、一時、経営難に陥ったリチャードジノリの支援に名乗りをあげたグッチの援助を得て改装され、前にもまして洗練された高級感溢れる店内になりました。
おすすめはフィレンツェから電車で15分程のセスト・フィオレンティーノ(Sesto Fiorentino)にあるアウトレットです。
こちらでは定番のシリーズなどが正規の価格よりかなりかなりお買い得になっています。
また掘り出し物に出会える可能性が高く、クリスマスの時期になると、自宅のパーティー用なのか、それともプレゼントなのか、大量に磁器を買い求めるイタリア人でとても賑わっています。
セスト・フィオレンティーノまで行ったら、是非こちらのBarにも寄ってみてください。
PASTICCERIA PICCHIANI Via Di Cafaggio, 4 - 50019 Sesto Fiorentino (FI)
出典:PASTICCERIA PICCHIANI公式ホームページ
ここは地元で大人気のお菓子屋さんです。お菓子は何を食べてもおいしいですし、お昼時にはパスタなどの軽食を取ることもできます。
中庭もあり、ゆっくり座ってお茶を飲むことができるので、買い物の疲れを癒してちょっと休憩するのもいいでしょう。
そして是非帰りにはカントゥッチ(Cantucci)というクッキーをお土産に!
出典:depositphotos.com(カントゥッチ)
これはもともとプラート(Prato)という街の伝統的なクッキーだったのですが、今はトスカーナの伝統的なお菓子としてお土産にも大人気です。
ただカントゥッチは、本来ヴィン・サント(Vin santo)という甘いお酒に浸して食べるため、お店によってはそのまま食べるにはちょっと固いことがあります。
でもこのお店のものはちょうど良い硬さで甘さも日本人好みです。
日本に戻ったら、リチャードジノリのカップにコーヒーを注ぎ、一緒に食べて頂きたい一品です。