ショッピングカート

閉じる

カート内に商品がありません。

ログイン

閉じる

Blog

グスタフ3世|もはやオペラそのもの!「仮面舞踏会」の題材になったスウェーデンの名君の華麗なる生涯とは?
美貌の才女でパワフルな母から英才教育を受けて育つ!? スウェーデンの歴史上、人気の高い君主の一人としても知られ、優れた外交手腕や文化芸術の発展に貢献した偉業のみならず、そのドラマティックな生涯も語り継がれることとなるグスタフ3世(Gustav III、1746-1792)。 出典:Wikip...

ヌヴェール|皇后ウジェニーの愛したお菓子と陶器の街

パリから電車で約2時間、フランスのほぼ中心に位置し、ワインで有名なブルゴーニュ地方ニエーヴル県の県庁所在地ヌヴェール(Nevers)。

ロアール川とニエーヴル川の合流点にあり、中世にはニベルネ公領の首都、河港都市として繁栄しました。現在は工業の中心で繊維・化学工業などが盛んな発達した街です。


サンタマン・レゾー|カマイユブルーが古典的で美しい、サンタマン陶器を生んだ北フランスの水の街

フランス北部ノール県ヴァランシエンヌ郡にあるサンタマン・レゾー(Saint-Amand-les-Eaux)という街。

ベルギーにほど近く北フランスの拠点の街リールから約40キロほど離れた場所にあります。またトヨタの工場があることで有名なヴァランシエンヌから約10キロ。

この辺りを含むオランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけては、中世にフランドル地方として毛織物業を中心に商業、経済が発達しヨーロッパの先進的地域として繁栄しました。


ロールストランド|ノーベル賞の晩餐会でも使われている!北欧スウェーデンの由緒正しき洋食器ブランド

アラビアイッタラの食器も素敵だけど、北欧にはまだまだ他にもすばらしい食器ブランドがあるんです。

中でも北欧スウェーデンの「ロールストランド」はおすすめ!

実はロールストランドはノーベル賞授賞式後の晩餐会でその食器が使用されるだけでなく、スウェーデン王室御用達のブランドでもあるのです!

今回はロールストランドの歴史や、ノーベル賞授賞式後の晩餐会で実際に使われている食器の写真、さらにロールストランドの名作デザインでもあり人気商品でもある3つのシリーズを本国公式サイトの情報を交えて、どこよりも詳しくご紹介します!


アーリー・ジョージアン様式|王や王妃のサロンの様に豪華なイギリス風ロココ(1720-1760年頃)

ドイツからやってきたジョージ1世がイギリス国王の座についた1714年から、3代後のジョージ4世が亡くなる1830年までの約100年間のハノーヴァー朝の治世を、「ジョージアン時代」と呼びます。

外国人芸術家に頼りっきりで、これと言った傑作が見いだせなかったイギリス芸術において、強い愛国心からようやくイギリス独自のスタイルが生まれ始めたのはまさにこの時期のことです。


シノワズリ|中国“風”であってパクリではない、東洋への憧れが生んだ美術様式(1560年頃~)

シノワズリ(中国趣味)とは、中国製品の“コピー”ではなく、あくまでも中国“風”のものということで、西洋人の東洋の文化へのあこがれから生まれた西と東の美術のコラボレーションなのです。

中国人がコピーした有名キャラクターや東京オリンピックのエンブレムの盗作問題など、“パクリ”はとかく大きな問題になっています。

しかしなぜ“パクリ”、いわゆる複製やコピーがこれほど大きな問題になるのでしょうか?


ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト|マイセン磁器に鮮やかな色彩をもたらした天才絵付け師!

錬金術師のヨハン・フリードリヒ・ベトガーが当時まだ謎に包まれていた白磁器の製法を解き明かし、ヨーロッパで初めてその焼成に成功したことから、今なおドイツが誇る名窯マイセンの歴史が始まりました。

そのベトガーは37才という若さで死去。ベトガーを失ったちょうどその頃、マイセンも低迷期を迎えることとなってしまいます。

そんなマイセンにベトガーの死の翌年、彼と入れ替わるかのように登場するのが、伝説的な天才絵付け師として知られるヨハン・グレゴリウス・ヘロルト(Johann Gregorius Höroldt、16961775)です。


マイセン|ヨーロッパで最初に白い磁器を生み出し、美術品に洗練させたドイツの最高級磁器

陶磁器が好きな方なら、耳にしたことがあるであろう「マイセン」。

「最高級の食器」「ちょっと高そう・・・」、そんなイメージを持っている方もいらっしゃるかもしれませんね。

マイセンは、約300年前、ヨーロッパで初めて硬質磁器を生み出したドイツの名窯。東洋に憧れ、それを模倣するところから始まり、西洋で独自の進化を遂げました。

その優美さやクオリティの高さから、今なお、ヨーロッパ白磁界の王者として君臨しています。

今回は、マイセンがトップの地位を不動のものにしている理由や人気シリーズをご紹介します。これを読めば、あなたもマイセンのとりこになるかも!


ヘレンド|創業以来、一貫して手仕事にこだわり続け、王侯貴族に愛されてきた東欧ハンガリーの名窯

洋食器と言えば、マイセンやウェッジウッドに代表される超有名ブランドだけなく、近年はアラビアなどの北欧食器やポーランド食器なども人気がありますよね。

しかし、東欧ハンガリーにも名窯があることをご存知でしたか?

その名は「ヘレンド」。

19世紀に創立され、幾多の試練を乗り越えながら、一貫して丹念な手仕事で伝統の意匠を守り続けてきた窯です。


クレイユ、モントロー|イギリス風のフランス陶器「クレイユ・モントロー」を生んだ2つの街

1811年に、サン・クリク・カゾー(Charles Gaspard Alexandre Saint-Cricq Casaux)がクレイユ窯の経営者となり、1819年にモントロー窯を買収。

その後、工場経営を引き継いだルイ・マーティン・レベフ(Louis-Martin Lebeuf、1792-1854) とジャン・バプティスト・グラシアン・ミレー(Jean Baptiste Gratien Milliet、1797-1875)のもと 1840年には合併します。

ともにライバルとしてそれほど遠くない場所で陶器工場を営んでいたクレイユとモントローが共同で陶器を作ることとなりました。この名前は1840年から1874年まで“Lebeuf Milliet et Cie ”のマークで残ることとなります。


フリードリヒ1世|「磁器の間」で知られるシャルロッテンブルク宮殿を妻に贈った、見栄っ張りで猫背の国王

フリードリヒ1世(Friedrich I、1657-1713)は、ブランデンブルク選帝侯であったフリードリヒ・ヴィルヘルムと、オランダ総督の娘であった妻ルイーゼ・ヘンリエッテとの間に、東プロイセンの中心都市であったケーニヒスベルク(現 ロシアのカリーニングラード)で生まれます。

この当時のプロイセンはというと、神聖ローマ帝国を形成する領邦国家のひとつではありましたが、多数の諸侯が入り乱れるうちの、要するに、田舎の地方政権といった様相。


「ヘレンド展 皇妃エリザベートが愛したハンガリーの名窯」(パナソニック汐留ミュージーアム・汐留)|ハプスブルク家の美貌の皇后が愛した名窯

2018年1月13日からパナソニック汐留ミュージアムで始まった「ヘレンド展 皇妃エリザベートが愛したハンガリーの名窯」に行って来ました。

ヘレンド窯の作品が日本で紹介されるのはこれで3回目。初回は1993年、名工の手によるマスターピースを中心に、2回目は2000年から2001年にかけてヘレンド窯とハプスブルク宮廷の関わりに焦点を当てた展覧会でした。

そして3度目となる今回は、繊細な絵付けの施された装飾用磁器や、美しい装飾の実用磁器を中心に、ヘレンド窯190年の歴史沿って精選されたおよそ230点が紹介されています。


%H時間
%M議事録
%S
%-d日々
%H時間
%M議事録
%S
%-w週間
%-d日々
%H時間
%M議事録
%S
%H時間
%M議事録
%S
%-d日々
%H時間
%M議事録
%S
%-w週間
%-d日々
%H時間
%M議事録
%S