愛国心から生まれた芸術様式
1714年アン女王が死去すると、母方を通じてジェイムズ1世の曾孫にあたるドイツのハノーヴァー選帝候ジョージが王位を継承しました。
出典:Wikipedia(ジョージ1世)
ドイツからやってきたジョージ1世がイギリス国王の座についた1714年から、3代後のジョージ4世が亡くなる1830年までの約100年間のハノーヴァー朝の治世を、「ジョージアン時代」と呼びます。
その中でも前期にあたるのジョージ1世・2世の治世(1720年から1760年)の芸術様式を「アーリー・ジョージアン様式」、ジョージ3世の治世で、ジョージアン時代の中期にあたる1760年から1800年までを「ミッド・ジョージアン様式」と区別しています。
外国人芸術家に頼りっきりで、これと言った傑作が見いだせなかったイギリス芸術において、強い愛国心からようやくイギリス独自のスタイルが生まれ始めたのはまさにこの時期のことです。
バロック様式からパッラーディオ様式
1666年のロンドンの大火災以降のイギリスでは、バロックからシンメトリー、円柱の大きな柱、神殿を思わせる大きな窓が特徴的な、イタリア人建築家アンドレーア・パッラーディオ(Andrea Palladio)による古典的な建築様式を踏襲したパッラーディオ様式の建物が増えていました。
出典:Wikipedia(アンドレーア・パッラーディオ)
このパッラーディオ建築ブームの中心にいたのが第3代バーリントン伯爵リチャード・ボイル (Richard Boyle, 3rd Earl of Burlington、1694年-1753年)です。
出典:Wikipedia(リチャード・ボイル)
彼はこの頃イギリスの裕福な貴族の子弟の間で大流行していた“グランドツアー”で1714年と1719年で2度イタリアを訪れました。
ヴェネツィアを訪れた際は、パッラーディオの「建築四書(I quattro libri dell'architettura)」 を携行し、余白に細かな書き込みを入れるほどの熱心さ。またローマ遺跡を詳細に検証したりするなど、イタリアでの見聞が彼の建築熱に火を付けたようです。
本国イギリスへ帰るとすぐにイタリアで見た知識を生かすべく、スコットランドの建築家コーレン・キャンベルと、歴史画家から転身したインテリア・デザイナーのウィリアム・ケントの手で、バーリントン・ハウスをロンドンのピカデリーの目立つ場所に、ネオ・パッラーディオ主義(neo-Palladianism)で建てました。
出典:Wikipedia(バーリントン・ハウス、 1873年)
バーリントン・ハウスが完成すると、バーリントン伯爵の興味はチジック・ハウス (Chiswick House) へと移りました。
チジック・ハウスは1729年に完成したイギリス、西ロンドンのチジック、バーリントン通りに現存するヴィラで、26.33ヘクタール(65.1エーカー)の敷地にはパッラーディオ建築の建物と建築家で造園家のウィリアム・ケント(1685年 - 1748年)によって新しいスタイルで造られた庭園があります。
出典:Wikipedia(チジック・ハウス)
それは庭を含めたすべての自然が1つの空間として見えるように設計された“イギリス式庭園(English landscape garden)” の初期の代表作の1つです。
この頃のイギリスは16世紀のテューダー朝期に蓄積した富と建築技術の著しい発達により、チジック・ハウスのような他国の宮殿に匹敵するような広壮なカントリー・ハウスの建設が盛んになりました。
ケントの活躍した時代以降、カントリー・ハウスでは景観に人工的に手を加えるのではなく、景観と調和するような設計が主流になっていきました。
バーリントン伯は他にもウェストミンスター・スクール、ノースウィック・パークなどを手がけました。
イングリッシュ・ロココ
パッラーディオ建築の流行ったジュージ1世の治世では、他の芸術への建築からの影響は見られませんでした。しかし、ジョージ2世の時代になると、フランスではロココ様式が流行しイギリスにも広まったので、この時代にはロココ様式の要素がたくさん見られます。
曲線的でアシンメトリー、華やかで繊細なスタイルのこの様式は「イングリッシュ・ロココ」とも呼ばれることがあります。
出典: https://www.flickr.com/(ノーフォークハウスのミュージックルーム)
フレンチ・ロココのパステルカラーと白のフレームのお姫様のようなかわいいイメージとはやや異なり、イングリッシュ・ロココは鮮やかな色やはっきりとした色も使われ、中でも特に金色がよく使われていたことから、お姫様というよりも王や王妃などのサロンの様な豪華な印象を与えます。
出典:Wikipedia(ジョージアン時代のインテリア、ホルカムホール)
また、この時代建築に合わせて内装装飾も発展したため、有名な家具デザイナーが誕生します。
イングリッシュ・ロココの代表的なアーティスト、トーマス・チッペンデール(Thomas Chippendale)です。チッペンデールは1754年に「紳士と家具師のための指針」という家具の専門書を出版し、一躍この時代の最も有名なデザイナーになりました。
ロココだけでなく、シノワズリやゴシックからも影響を受けた「チッペンデール様式」は、クイーン・アン様式の変形で、それにフランス・ロココの影響を受けています。彼の作品では特に椅子が有名で、背もたれにリボンを絡ませたような優雅な模様の透かし彫りが特徴的です。
出典:Wikipedia(チッペンデールの製作した椅子)
イギリス独自の絵画様式
長らく外国人画家に頼って来たイギリス絵画界にようやく待望のイギリス人画家の時代がやってきます。
彼の登場により、それまでのイギリス絵画の古い肖像画の伝統が一新され、イギリスの生活や文化に根を下ろした多種多様なタイプの絵画が生まれました。
ウィリアム・ホガース(William Hogarth 1697-1794)はロンドンの貧しい教師の家に生まれ、彫金師のもとで修業しつつ下町の庶民的環境で成長しました。
出典:Wikipedia(ウィリアム・ホガース)
肖像画家として家族の和やかな団らんという集団描いた「カンヴァセーション・ピース」を描き人気を博し、18世紀イギリスを代表するイギリス画家となりました。
出典:Wikiart(「The Strode Family」ウィリアム・ホガース)
また彼は社会の裏の現実、人生の有為転変を軽快に描いた一連の物語的教訓画などに力を注ぎ、<放蕩息子の遍歴>や<当世風の結婚>といった連作は、銅版画になりイギリス中に普及しました。
ホガースは肖像画の概念を刷新し即時の絵画様式を作っただけでなく、これまで王侯貴族クラスのものだけだった芸術を、一般大衆もが享受できるように導いたイギリス初の偉大な画家となりました。
参考資料
新西洋美術史、西村書店