思うようにいかなかったアウグスト3世の治世
膨大な磁器コレクションを集め、マイセンを創設するなど、"強健王"として有名なアウグスト2世と、彼の妃クリスティアーネの間に唯一の子どもとして誕生したアウグスト3世(August III Sas、1696-1763)。
出典: Wikipedia (アウグスト3世)
ザクセン選帝侯であり、かつポーランド国王でもあった父の死後、アウグスト3世は、「ザクセン選帝侯」を継承しました。しかし、「ポーランド王位」は、当時のポーランドが選挙王制であったため、いくら王の息子であってもそのまま継承というわけにいかず、なかなか国王の地位につけませんでした…
それでもロシアやオーストリアの支援を得て、どうにかポーランド国王に就くことには成功した彼ですが、この頃のポーランドは国力も弱く、外国の干渉を避けられない不安定な状態。
そして晩年には、ポーランドだけでなく、ザクセンの国力も弱まりつつある中、ハプスブルク家がオーストリア継承戦争で失ったシュレージエンをプロイセンから奪回しようとはじまった七年戦争(1754-1763)に巻き込まれ、ザクセンはプロイセンに占領されてしまうことに…
こんな激動の時代にあって、彼の治世はなかなか思うようにいかない!といった印象です。
父譲りの芸術愛?!アウグスト3世が集めた絵画はヨーロッパ屈指のコレクションに!
政治の世界での鬱憤を晴らすかのように、アウグスト3世は、芸術を愛し、ザクセンの都ドレスデンにヨーロッパ屈指のコレクションを築き上げ、ドレスデンを芸術の都として今日の発展の礎を築き上げます。
父であるアウグスト2世も大変な芸術品の収集家として知られ、工芸品、とりわけ磁器の収集に熱心でしたが、息子アウグスト3世のコレクションは絵画が中心!
次々と貴重な絵画を買い集めては、父のコレクションに加え、その価値を大きく上げました。
歴代のザクセン君主たちも芸術品の収集は代々行ってきたものの、当時、こうした芸術品の中で、絵画の重要度は高くなかったといいますから、いち早く、絵画を積極的に収集し始めたのがアウグスト親子であった!ということは特筆すべき点といえるでしょう。
なお、このた貴重なコレクションは、ドレスデンにある12もの美術館・博物館の内の一つであり、特に人気が高いアルテ・マイスター絵画館で見ることができます。
出典: depositphotos.com (アルテ・マイスター絵画館)
"アルテ・マイスター"(英語でオールド・マスター) とは、18世紀以前に活躍した著名な画家とその作品を指す美術用語ですが、ここにはその名に相応しい名画がそろっており、その主要な絵画の多くがアウグスト3世によって購入されたものとなっています。
中でも有名なのは、アウグスト3世が多額の費用をかけて購入に成功したというラファエロの傑作「サン・シストの聖母」や、ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」、フェルメールの「取り持ち女」及び「窓辺で手紙を読む少女」など。
出典: Wikipedia (「サン・シストの聖母」ラファエロ画)
そして、アルテ・マイスター絵画館で人気の高い絵画の一つに、"世界一美しいパステル画"と称されるリオタールの作品「チョコレートを運ぶ女」という絵画があります。
この絵に描かれている女性が盆に載せて運んでいる食器の中には、ザクセンが誇るマイセン磁器だといわれるカップを見ることもできます!
出典: Earl Art Gallery (「チョコレートを運ぶ女」リオタール画)
アウグスト3世は愛妻家?!妃マリア・ヨーゼファへの贈り物からマイセンの伝統装飾が誕生!
アウグスト3世の妻マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ(Maria Josepha von Österreich、1699-1757)は、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の娘であり、後のハプスブルク家の女帝マリア・テレジアのいとこにあたります。
出典: Wikipedia (マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ)
実は、マリア・ヨーゼファは、マリア・テレジアよりも、神聖ローマ皇帝の承継順位が上でしたが、父であった神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世が在位6年で急死。その弟カール6世(マリア・テレジアの父)が皇帝となったことで状況がかわります。
新たに皇帝となったカール6世は、自分の後継者を娘のマリア・テレジアとすべく、アウグスト3世とマリア・ヨーゼファの結婚を認めるにあたって、「皇位継承権の放棄」を条件とします。
出典:Wikipedia(カール6世)
結局、1719年、マリア・ヨーゼファは継承権を放棄してアウグスト3世と結婚!夫妻は15人もの子宝に恵まれ、その内11人は成人していますから、かなり子だくさんな夫婦となりました。
また、父アウグスト2世が創始した「マイセン」で、1739年より作られている伝統的な「スノーボール」と呼ばれる美しい装飾は、アウグスト3世が最愛の妃マリア・ヨーゼファに"枯れない花を贈りたい"という願いから生まれたというロマンチックなエピソードも残っています。
出典:Wikipedia(スノーボールの花)
出典: マイセン公式サイト(スノーボール)
小さな白い花が集まったような形が特徴であることから、英語で雪の玉「スノーボール」と呼ばれるこの装飾は、現在でも高い人気を誇るマイセンの代表的な装飾として今もなお愛され続けています。
陶磁器とゆかりの深い3人の娘たち
さて、成人した子どもだけでも10人以上という子だくさん夫妻アウグスト3世とマリア・ヨーゼファですが、中でも有名なのは、ヨーロッパ各地の王侯貴族へと嫁いだ3人の娘たちです。
1738年にはマリア・アマリアがスペイン王カルロス3世と結婚、1747年にはマリア・アンナ・ゾフィアがバイエルン選帝侯マクシミリアン3世結婚、そして、マリア・ヨーゼファ(マリー=ジョゼフ・ド・サクス)がフランスの王太子ルイ・フェルディナンと結婚します。
ちなみに、マイセンの創始者である父王アウグスト2世は、苦労して解き明かした磁器の製法が外部に漏れないよう、門外不出としていたようですが、孫娘たちの国境を越えた結婚や、あるいはマイセンの職人の裏切りなどによって秘法の流出は避けられなかったようです。
しかしながら、こうしてヨーロッパ各地へと広まっていったマイセンの秘法のおかげで、新しい窯が続々と誕生し、次第にヨーロッパ各地が独自のスタイルを完成させ、現在まで残る伝統的な磁器窯となったり、あるいは各地の磁器の歴史に多大な影響を与えたりすることとなるわけで、結果的には、ヨーロッパ磁器のさらなる発展につながっていったのでした。
マリア・アマリア
出典: Wikipedia (マリア・アマリア)
成人した娘では最年長のマリア・アマリア(Maria Amalia Christina von Sachsen、1724-1760)は、当時イタリア・ナポリの国王であった後のスペイン王カルロス3世の妻となりますが、そのお輿入れの際、嫁入り道具として祖国自慢のマイセン磁器をたくさん持参しました。
すると、それを見たカルロス3世は磁器に興味を持ち、自分もマイセンのように優れた磁器窯を持ちたいと考えるように!
そして、妻のおかげもあって、ついにナポリ近郊のカポディモンテにて念願の窯を開きました。
残念ながら、それから16年後、彼がスペイン王として即位することになった際、設備から原料、職人に至るまで全てをスペインのマドリード郊外へ持ち去ってしまいましたので、このカポディモンテ窯自体は短命に終わることになりますが、このカポディモンテ窯の伝統は、イタリアを代表する陶磁器メーカーのリチャード・ジノリに引き継がれることになります。
マリア・アンナ・ゾフィア
マリア・アマリアの4つ年下の妹マリア・アンナ・ゾフィア(Maria Anna Sophia Sabina Angela Franziska Xaveria von Sachsen、1728-1797)は、バイエルン選帝侯マクシミリアン3世の元へ嫁ぎますが、マクシミリアン3世もまた、ミュンヘン近郊に磁器窯を開いたことで知られる人物!
その開窯に際し、妻マリア・アンナ・ゾフィアはマイセン磁器の秘法を彼に伝えたといわれており、夫妻の庇護のもと、この窯は後にニンフェンブルク宮殿に移転し、バイエルン公国の王立窯として発展していきました。
このニンフェンブルク窯は、1862年より民間で運営されるようになった後も、現在まで生産を続ける伝統的な窯となっており、ニンフェンブルク宮殿内の陶磁器博物館では貴重なニンフェンブルク磁器のコレクションを見ることもできます。
マリア・ヨーゼファ(マリー=ジョゼフ・ド・サクス)
出典: Wikipedia (マリア・ヨーゼファ)
マリア・アンナ・ゾフィアと同年に結婚した、彼女より3つ年下の妹マリア・ヨーゼファ(Marie-Josèphe Caroline Éléonore Françoise Xavière de Saxe、1731-1767)は、フランスの王太子ルイ・フェルディナンへ嫁ぎ、名をマリー=ジョゼフ・ド・サクスとフランス式に改めています。
彼女は、後のルイ16世の母となり、彼の妻となるマリー・アントワネットにとっては義理の母、にあたる人物としても知られています。
当時のフランスでももちろん磁器は流行中で、特に有名だったのはパリ郊外のヴァンセンヌ窯で作られた磁器で、こうした磁器はマーシャン・メルシーと呼ばれる上流階級向けの店で扱われ、売買されていました。
そんな店の一つで当時、有力だったとされるラザール・デュヴォウの店の販売記録にはヴァンセンヌ磁器の顧客リストが残っており、中にはルイ15世や彼の愛妾ポンパドゥール夫人らと共に、マリー・ジョゼフも名を連ねているのだそう!
マリー・ジョゼフは、ヴァンセンヌで作られた磁器製のブーケを彼女自身の結婚祝いの返礼として父アウグスト3世に贈ったといい、娘からの贈り物に喜んだアウグスト3世は、これに合う花瓶と台座をマイセンで作らせ、ツヴィンガー宮殿に飾ったという逸話も!
磁器にゆかりの深い父娘ならではの絆を感じさせるエピソードですね。
参考資料
「美の壺 洋食器」 NHK「美の壺」製作班編、NHK出版(2009)