フランス、ベルギー、ルクセンブルクの国境近くの城塞の街ロンウィ
パリからTGVで約1時間半のところにある北フランスのロレーヌ地方。自然豊かな県がたくさんあり、また独自の文化やバラエティー豊かな伝統の味がある事でも有名です。
キッシュ・ロレーヌやマカロン、マドレーヌなどフランスを代表する食文化のあるこの地方。
出典: tourisme-lorraine.fr (キッシュ)
そんなロレーヌ地方のムルト=エ=モゼル県にロンウィ(Longwy)という街があります。
出典:https://www.republicain-lorrain.fr/(ロンウィ)
フランス、ベルギー、ルクセンブルクの三国の国境に近く、要塞の街、製鉄の街、七宝焼きの街として発展してきました。
そのロンウィには、ユネスコ世界遺産にも登録されている「ヴォーバンの要塞施設群」の要塞のひとつがあります。
出典:tourisme-lorraine.fr (ロンウィのウォーバンの要塞)
フランスのルイ14世が、イギリスのチャールズ2世と密約を結んだうえで仕掛けたオランダ侵略戦争(1672年)の後、ロレーヌ公国(現在のフランスのロレーヌ地方北東部、ルクセンブルク、ドイツの一部からなる)から、フランスに併合されたロンウィ。
国境の守備を重視したルイ14世によって築城を命じられた軍事建築家セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン(Sébastien Le Prestre de Vauban)が、1679年から1684年の間に建設しました。
ヴォーバンは150の戦場の要塞を建設・修理したとされる要塞攻城で有名な人物で、その中の12箇所がヴォーバンの防衛施設群です。
また星型要塞と呼ばれる火砲に対応するための築城方式で、ヴォーバンは『ヴォーバン様式』と言われるまで技術を発展させました。
出典: Wikipedia (ウォーバン)
ちなみに、「オランダ侵略戦争」の頃、オランダは、世界の貿易を独占し、新興国として黄金時代と呼ばれるほどの繁栄を謳歌する一方、宗教面では新教(プロテスタント)を信奉する国でした。
旧教国(カトリック)のフランスや、チャールズ2世のもとで旧教(カトリック)に回帰しようとしていたイギリスにとっては、面白くない存在だったのですね。
フランスとイギリスの共同攻撃を受け、窮地に陥るオランダですが、これを率いて2大強国から国を守ったのはオランダ総督のウィレム3世。
このウィレム3世は、この10年後に、なんと、ウィリアム3世としてイギリス国王になります。人生は本当に、なにが起きるかわからないですね。
また、ロンウィにはこの要塞群の他に、博物館や多数の歴史ある教会があります。
例えば、Eglise Romaine教会という、モン=サン=マルタンにあるこの教会は11世紀から12世紀に作られたとても美しい教会です。
天候に恵まれれば、ここからフランスにベルギー、ルクセンブルクの三国の壮大な景色を見渡すことができるでしょう。
出典: longwy-tourisme.com (Eglise Romaine教会)
皇帝ナポレオンも愛したロンウィの陶器の歴史
古い時代より、ロレーヌ地方では陶器作りという美しい伝統が続いていました。
ロンウィでは1798年、シャルル・レニエ(Charles Régnier)が3人のパートナーとともに、かつての修道院に最初の陶器工場が作ったところから始まります。
そんなロンウィの陶器が一躍脚光を浴びたのは、かの皇帝ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte、1769-1821)が、1804年に要塞を見るためにこの街を訪れ、この陶器を気に入り、テーブル食器を注文した事でした。
出典: Wikipedia (ナポレオン・ボナパルト)
出典: Wikipedia(ナポレオンが注文した軍団記章入りのスープ皿)
1835年からはダート一族(D’huart)が140年に渡りこの工場を守ります。
1872年に、当時中国や日本から輸入される磁器に押されつつあったこの工場に、イタリア人アメディ―・ドゥ・カレンツア(Amedéé de Carenza)を招き入れました。
この人物は日本の磁器工場で指導をしていたこともあり、クロワゾネ(cloisonné、七宝焼き)の技術を確立し、ここにロンウィのエナメル焼き(Emaux de Longwy)が誕生し、現在までも続く名声を手に入れました。
また、1918年から始まるアールデコスタイルが新たなオリエンタリズムという風を呼び込みます。
出典: Wikipedia (リンゴの花をモチーフにしたエナメル陶器)
そして、1925年、プリマヴェーラ(Primavera)というブランドと提携しアールデコの万国博覧会に登場し、ロンウィ焼きの栄光は頂点に達します。アメリカやヨーロッパ中にもその名が知られることとなりました。
第二次世界大戦後、1932年には日本の伝統的な素材や製法は七宝焼きを愛する人々によって、さらなる影響を受けたとされています。
その後、50年代にはアーティスト不足などにより失速を余儀なくされますが、近年になって、昏睡状態だったこの地にまた、新しい形・装飾・色が吹き込まれます。コンテポラリーアートとしての作品は、世界中の高級ブティックに置かれるようになりました。
ロンウィ陶器の特徴と作品
ロンウィのエナメル焼きの最も大きな特徴であるクロワゾネ(cloisonné)。
クロワゾネとは、土台となる金属の上に、さらに金属線を貼り付けて輪郭線を描き、できた枠内をエナメルで埋めて装飾する技法で日本のブロンズに影響を受けたと言われています。
この特徴的なクロワゾネの技術、取得するまでには何年もかかるそうです。そんな全行程手作業の陶器を守るべく、一つ一つのロンウィ焼きには製造元マークがついています。
また、もう一つの特徴として色合いがあります。最もポピュラーな色がターコイズブルー。
こちらは、Maurice-Paul Chevallierにより作られ1931年にパリの国際博覧会でアールデコ部門にて金メダルに輝いた作品です。
コロニアルボールと呼ばれおり、鮮やかな色使い、オリエンタルな図解。この少し日本を感じられるこの陶器、まさにヨーロッパと東洋の融合作品。とても美しく華やかですね。
出典:Musée des Emaux et Faïences de Longwy (コロニアルボール)
また、コンテンポラリーアート(現代アート)としてのロンウィ焼きの発展も著しいです。
様々なアーティストとのコラボレーションにより今も活発に工場では手作業で作られています。機会があればぜひ一度手にとって、隅々まで眺めて見てください。
出典: Wikipedia (Paul Mignon作のロンウィ陶器)