ショッピングカート

閉じる

カート内に商品がありません。

ログイン

閉じる

Blog

ロココ様式(ルイ15世様式)|フランスの貴婦人たちに愛された元祖“かわいい”(1720-1774年頃)

「ロココ」とはつる草や貝殻をあしらったロカイユ模様から発した言葉だと言われています。

フランスの貴婦人たちによってブームになった淡いパステルカラーを多用した優雅で雅やかなスタイルです。


バロック|「ゆがんた真珠」のようなダイナミックな動きとドラマチックな演出(1680-1720年頃)

ポルトガル語で「ゆがんだ真珠」を意味するバロック美術を知るためのキーワードは「ドラマチックな演出」です。

ルターの宗教改革以降プロテスタント(新教)に押されていたカトリック教会(旧教)は、起死回生を狙って、信者獲得のため親近感のある教会づくりに挑みます。そのような目的に伴って発展したのがバロック芸術です。


シノワズリ|中国“風”であってパクリではない、東洋への憧れが生んだ美術様式(1560年頃~)

シノワズリ(中国趣味)とは、中国製品の“コピー”ではなく、あくまでも中国“風”のものということで、西洋人の東洋の文化へのあこがれから生まれた西と東の美術のコラボレーションなのです。

中国人がコピーした有名キャラクターや東京オリンピックのエンブレムの盗作問題など、“パクリ”はとかく大きな問題になっています。

しかしなぜ“パクリ”、いわゆる複製やコピーがこれほど大きな問題になるのでしょうか?


マニエリスム|ルネサンスの三大巨匠をお手本にして、奇抜な美術様式に発展(1530-1600年頃)

マニエリスムのキーワードは「お手本は巨匠」です。

ミケランジェロを師と仰いでいたヴァザーリ(Giorgio Vasari)は著書「画家・彫刻家・建築家列伝」(Le Vite delle più eccellenti pittori, scultori, e architettori)でミケランジェロを筆頭に3人の巨匠の「手法(マニエラ maniera)」を芸術的最高のものとし「美しい様式(ベルラ・マニエラ)」と称えました。


リュネヴィル|オートクチュール刺繍と、鮮やかなリュネヴィル陶器をうみだす職人の街

リュネヴィルの特産は、カラフルで楽しい陶器やオートクチュールール刺繍(ビーズやスパンコールを使用した高級注文服用の刺繍)として有名なリュネヴィル刺繍。

ロレーヌ地方には、他にも、「カフェオレボール」で有名なでディゴワン・サルグミーヌ焼きのサルグミーヌ(Sarreguemines)の街や、19世紀末から20世紀初頭にヨーロッパで開花した美術様式「アール・ヌーヴォー」の発祥の地のナンシー(Nancy)という街もあります。

ちなみに、王室御用達の高級クリスタルブランドとして有名なバカラ(Baccarat)も車で約30分の隣町にあります。

このあたりは、芸術的な製品の産まれる土地柄なのかもしれませんね。


ルイ王太子とマリア・ヨゼファ|フランス宮廷とマイセンを結んだアウグスト強王の孫娘

フランス国王ルイ15世と妃マリー・レクザンスカの長男であるルイ・フェルディナン(Louis Ferdinand de France1729-1765)は、生まれながらのドーファン(Dauphin、王太子)として誕生しました。

有名な愛人だけでもポンパドゥール夫人にデュ・バリー夫人などなど、数多くの愛人を持ったことで知られる奔放な父王ルイ15世とはタイプの違う人物であったというルイ・フェルディナンは、ローマ教皇とイエズス会の保護を行っていたというほど敬虔なカトリックで厳格な人物だったのだそう!(顔はそっくりですが、性格は真逆な親子だったんですね)


マルセイユ|太陽溢れるフランス最古の港町が生んだ、バラエティに富んだプロヴァンス陶器

マルセイユの街の歴史は紀元前600年前に遡ります。古代ギリシアで繁栄したフォカイア人が築いた植民都市「マッシリア」、が現在のマルセイユの起源とされ、フランス最古の街となっています。

現在は人口の約半分が移民で北アフリカの国々との結びつきも強く、国際色豊かな街。またマルセイユは暖かい土地にみられるとても陽気でオープンな土地柄でもあります。


ディゴワン、サルグミーヌ|「カフェオレボール」の産地として有名な、フランスとドイツの間で揺れ動いた街

1870年、アルザス・ロレーヌ地方の領有権をめぐっておきた、フランスとプロイセン(ドイツ)間の普仏戦争により、サルグミーヌ窯は大きな問題に直面します。

この戦争の結果、サルグミーヌが、それまでのフランス領から、プロイセン(ドイツ)領へ組み入れられることとなったのです。

そして、ドイツからフランス国内への輸出に対しては、多額の税金がかけられることとなりました。


マリー・ルイーズ|政略結婚のため憎むべき存在「皇帝ナポレオン」の二番目の妃となったハプスブルク家の皇女

マリー・ルイーズ(Maria Luisa、1791-1847)は、神聖ローマ皇帝フランツ2世(Franz II、1768-1835)の長女として、現オーストリアのウィーンで成長しました。

幼少の頃から、「ナポレオン」と名付けた人形をいじめながら育ち、10代の頃にはナポレオンのヨーロッパ侵略によってシェーンブルン宮殿を追われる経験を2度も経験したマリー・ルイーズ。

決して、ナポレオンに対して良い印象を抱いたことはありませんでした。


ジョゼフィーヌ|夫の成功は妻次第?!皇帝ナポレオンの最初の妻は幸運の女神

ジョゼフィーヌ(Joséphine de Beauharnais、1763-1814)は、いわゆる没落貴族の娘として、マルティニック島のトロワ・ジレに生まれます。

生家は経済的には困窮していたものの、もって生まれた人目を惹く美貌を活かし、生涯を通じて様々な男性を魅了し、派手で豪華な暮らしを送ります。

また、彼女の魅力は、その美貌だけではありません。彼女と一緒になった男性は幸運に恵まれ、別れた男性はツキに見放されるという不思議な体質。


クレイユ、モントロー|イギリス風のフランス陶器「クレイユ・モントロー」を生んだ2つの街

1811年に、サン・クリク・カゾー(Charles Gaspard Alexandre Saint-Cricq Casaux)がクレイユ窯の経営者となり、1819年にモントロー窯を買収。

その後、工場経営を引き継いだルイ・マーティン・レベフ(Louis-Martin Lebeuf、1792-1854) とジャン・バプティスト・グラシアン・ミレー(Jean Baptiste Gratien Milliet、1797-1875)のもと 1840年には合併します。

ともにライバルとしてそれほど遠くない場所で陶器工場を営んでいたクレイユとモントローが共同で陶器を作ることとなりました。この名前は1840年から1874年まで“Lebeuf Milliet et Cie ”のマークで残ることとなります。


ロンウィ|皇帝ナポレオンも愛した華やかなエナメル装飾「ロンウィ焼き」と、世界遺産となった城塞の街

古い時代より、ロレーヌ地方では陶器作りという美しい伝統が続いていました。

ロンウィでは1798年、シャルル・レニエ(Charles Régnier)が3人のパートナーとともに、かつての修道院に最初の陶器工場が作ったところから始まります。

そんなロンウィの陶器が一躍脚光を浴びたのは、かの皇帝ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte、1769-1821)が、1804年に要塞を見るためにこの街を訪れ、この陶器を気に入り、テーブル食器を注文した事でした。


%H時間
%M議事録
%S
%-d日々
%H時間
%M議事録
%S
%-w週間
%-d日々
%H時間
%M議事録
%S
%H時間
%M議事録
%S
%-d日々
%H時間
%M議事録
%S
%-w週間
%-d日々
%H時間
%M議事録
%S