「ロココ」とはつる草や貝殻をあしらったロカイユ模様から発した言葉だと言われています。フランスの貴婦人たちによってブームになった淡いパステルカラーを多用した優雅で雅やかなスタイルです。
出典:Wikipedia(ロココの家具、1730年)
フランス独自の美術の誕生
17世紀のフランスはルイ14世とヴェルサイユ宮殿に象徴されるように、政治的にも文化的にも輝かしい時代を迎えています。しかしフランスには独自の美術はまだ生まれていなかったのです。
出典:Wikipedia(ルイ14世)
そこでフランスはイタリア美術界をお手本に王立アカデミーを作り、フランス独自の美術を作ろうと努力をしていました。しかしそこでお手本となったのは、古典やラファエロなどのルネサンス芸術で、そこから生まれたのは古典主義でした。
フランス古典主義絵画を確立したのは二コラ・プッサン(Nicolas Poussin)です。
出典:Wikipedia( 「自画像」二コラ・プッサン、1649-1650年 )
プッサンは30歳でローマに赴き、人生の大半をローマで過ごしました。当時バロック美術が隆盛を極めていたローマにおいて、彼の作品からはその特徴を読み取ることはあまりできません。
彼は劇的なバロックよりもラファエロや古典彫刻に傾倒し、代表作「アルカディアの牧人たち」に見られるような、理知的な構成や精神性の深い作品を描き、古典主義的な絵画を確立していきました。
出典:Wikipedia(「アルカディアの牧人たち」二コラ・プッサン作、1638 - 1640頃)
同じくローマに長期滞在していたクロード・ロラン(Claude Lorrain)も生涯古典的な風景画を描き続けました。彼の風景画は特にイギリス人に人気で、イギリスロマン主義の画家ターナーも影響を強く受けています。
出典:Wikipedia(「アポロとメルクリウスのいる風景」クロード・ロラン作、1645年)
貴婦人好みの元祖かわいい
18世紀になると、美術の中心はイタリアからフランスへと移り、ローマではなくパリがヨーロッパ美術の首都になります。
バロックが根付かず、古典主義へと移行し独自の道を歩み始めたフランス美術は、1715年絶大な権力を持っていた太陽ルイ14世が亡くなると、それまでの窮屈な政治、威圧的な壮麗さへの反動で、開放的なものが求められるようになります。
そこに誕生したのが「ロココ」という新しい様式でした。ロココ様式では、軽妙で洗練された女性的な曲線を多く使った装飾は好まれました。ここに初めて女性主導の美術様式が誕生するのです。
ロココの中心的な人物は、なんと言ってもルイ15世の公妾のポンパドゥール夫人(Madame de Pompadour)でしょう。ポンパドゥール夫人は熱心な芸術愛好家だったため、この時代多くの芸術家が彼女の庇護を受けました。
出典:Wikipedia(「ポンパドゥール夫人」フランソワ・ブーシェ作、1756年)
中でも特にお気に入りだったのが、この肖像画を描いたフランソワ・ブーシェ(François Boucher)で、生涯に1000点以上の絵画、少なくとも200点の版画、約10000点の素描を制作するという多作な作家というだけでなく、壁画装飾、タピスリーや磁器の下絵制作、舞台デザインの仕事をこなした「万能の人」でした。
またジャン・オノレ・フラゴナール(Jean Honoré Fragonard)は、奔放で明るい官能性に満ちた裸婦や享楽的な絵を描きました。
出典:Wikipedia(「自画像」ジャン・オノレ・フラゴナール作)
絶頂期に描かれた「ぶらんこ」は庭園に設けられたぶらんこに乗る若い女と、それを低い位置からのぞき見る、愛人の貴族男性を描いたもので、一歩間違えば下品とも思える主題を、幻想的なイメージで描いた傑作です。
出典:Wikipedia(「ぶらんこ」 ジャン・オノレ・フラゴナール 作、1768頃)
大成功を収めたフラゴナールでしたが、フランス革命や新古典主義の台頭で晩年は人々に忘れ去られ、この絵からは想像もできない失意と貧困のうちに生涯を閉じました。
また同時期に田園や森と言った豊かな自然の中で散歩したり、愛を語らったりする上流階級の男女の日常を描いた“雅宴画(フェート・ギャラン)”という新しいジャンルを確立したアントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau)もロココ期の代表的な画家の一人です。
出典:Wikipedia(「シテール島の巡礼」アントワーヌ・ヴァトー作)
ふんわりした女性らしさ
ロココは絵画のみならず、建築、インテリア、ファッション、家具、工芸など日常的なものへの影響もみられます。
ルイ14世の死後、ヴェルサイユ宮殿内には簡素で愛らしいプティ・トリアノン(le Petit Trianon)が建てられます。
出典: http://en.chateauversailles.fr/(プティ・トリアノン)
ポンパドゥール夫人のために建てられたこの小さな宮殿に彼女が足を踏み入れることはありませんでした。建物は新古典様式ですが、内装はロココ様式の最高峰と言われています。
出典: http://en.chateauversailles.fr/(プティ・トリアノン)
出典: http://en.chateauversailles.fr/(プティ・トリアノン)
のちにこの宮殿はルイ16世からマリー・アントワネットに贈られ、彼女が最も愛した場所だったことはあまりにも有名です。
この頃既に王権が弱まっていたため、公共事業も減りました。しかし貴族たちはパリに私邸(オテル)を建てるようになりました。そこに貴族趣味を反映させたインテリアや家具、食器などを置くようになりました。
室内装飾は白い壁に金のモールを使い、大きな窓とシャンデリアで室内を明るくしました。家具は女性の好みを生かし、曲線や曲面を多用しカブリオール(猫足)と呼ばれる曲線の脚を持った西洋ダンスや化粧机など多彩で女性的な繊細な装飾が施されたものが作られました。
出典: http://en.chateauversailles.fr/ (ヴェルサイユ宮殿、クィーンズアパートメント)
また多くの芸術家をパトロンとして庇護したポンパドゥール夫人は、セーヴル陶器製作所を創ります。セーヴル焼は色彩豊かで、ロココ様式の絵画表現を用いた装飾が最大の特徴で、非常に高価な陶器でした。
出典:The Metropolitan Museum of Art.Met(ポンパドゥール・ピンクのセーヴル陶磁器)
フランスの磁器生産技術はここセーヴルで発達し、後にはリモージュへと移っていきます。
参考資料
鑑賞のための西洋美術史入門、視覚デザイン研究所