「アンティーク風の食器もいいけど、北欧デザインも好き」「毎日使いたいから、シンプルかつデザイン性のあるものがいいな」―食器に関する希望は尽きないものですね。
そんな方にお勧めのが「ローゼンタール(Rosenthal)」です。
この「ローゼンタール」は19世紀から続く伝統ある窯なのですが、シュルレアリスムの巨匠サルバドール・ダリやポップアート界の巨人アンディ・ウォーホルなど、世界の名だたるアーティストやデザイナーとコラボして次々と新しい作品を世に送り出してきた食器ブランドなのです。
クラシカルなデザインだけでなく、モダンなデザインや北欧デザインも好きな方は要チェックです!
「食器は割れやすいものだから耐久性があり、お手入れも簡単なものがいい。でも、毎日使っても飽きない、素敵なデザインのものがいいな・・・」。
そんな風にお考えの方もいらっしゃるかもしれませんね。そんな方にぴったりなのが「ビレロイ&ボッホ(Villeroy&Boch)」です。
日本で「ビレロイ&ボッホ」を有名にしたのは、実は皇后雅子様。この「ビレロイ&ボッホ」の食器をお嫁入りの道具として選ばれたのです!
今回は、そんな由緒あるブランドの創立の歴史や、人気シリーズをご紹介します。普段遣いの食器の購入を考えている方、必見です!
創始者であるアウグスト強王によってその歴史が始まって以来、今なお300年以上に渡り愛され続ける、ドイツが誇る老舗磁器ブランドのマイセン。
その始まりから初期の頃、多大な功績を残し、その発展に大貢献した人物として有名なのが「3人のヨハン」と称されることも多い3人の天才たちでした。
マイセン磁器の誕生に直接関わったヨハン・フリードリヒ・ベトガー、その後、マイセン磁器における色彩の技術を向上させ、これを確立させたヨハン・グレゴリウス・ヘロルト、そして最後に登場するのが、マイセン磁器における造型の分野を著しく発展させ、これを確立したヨハン・ヨアヒム・ケンドラー(Johann Joachim Kaendler、1706~1775)です。
錬金術師のヨハン・フリードリヒ・ベトガーが当時まだ謎に包まれていた白磁器の製法を解き明かし、ヨーロッパで初めてその焼成に成功したことから、今なおドイツが誇る名窯マイセンの歴史が始まりました。
そのベトガーは37才という若さで死去。ベトガーを失ったちょうどその頃、マイセンも低迷期を迎えることとなってしまいます。
そんなマイセンにベトガーの死の翌年、彼と入れ替わるかのように登場するのが、伝説的な天才絵付け師として知られるヨハン・グレゴリウス・ヘロルト(Johann Gregorius Höroldt、1696~1775)です。
艶やかに輝く純白が特徴のこうした硬質磁器は、当時のヨーロッパで作ることができなかったこともあり、金や宝石にも匹敵する宝物とされていたことから「白い金」と呼ばれたほど!
18世紀初頭、アウグスト強王はこうした磁器をただ買い集めるだけでは飽き足らず、その謎に包まれた製法を解き明かし、自国で製造したいという野望を抱くように。
そんな彼の耳にある人物のうわさが飛び込んできます。 そのうわさの人物こそが"金を作ることができる"錬金術師を自称していたヨハン・フリードリヒ・ベトガー(Johann Friedrich Böttger、1682-1719)です。
陶磁器が好きな方なら、耳にしたことがあるであろう「マイセン」。
「最高級の食器」「ちょっと高そう・・・」、そんなイメージを持っている方もいらっしゃるかもしれませんね。
マイセンは、約300年前、ヨーロッパで初めて硬質磁器を生み出したドイツの名窯。東洋に憧れ、それを模倣するところから始まり、西洋で独自の進化を遂げました。
その優美さやクオリティの高さから、今なお、ヨーロッパ白磁界の王者として君臨しています。
今回は、マイセンがトップの地位を不動のものにしている理由や人気シリーズをご紹介します。これを読めば、あなたもマイセンのとりこになるかも!
フランス国王ルイ15世と妃マリー・レクザンスカの長男であるルイ・フェルディナン(Louis Ferdinand de France、1729-1765)は、生まれながらのドーファン(Dauphin、王太子)として誕生しました。
有名な愛人だけでもポンパドゥール夫人にデュ・バリー夫人などなど、数多くの愛人を持ったことで知られる奔放な父王ルイ15世とはタイプの違う人物であったというルイ・フェルディナンは、ローマ教皇とイエズス会の保護を行っていたというほど敬虔なカトリックで厳格な人物だったのだそう!(顔はそっくりですが、性格は真逆な親子だったんですね)
ドイツ・バイエルン選帝侯マクシミアリアン3世ヨーゼフは、バイエルン選帝侯から神聖ローマ皇帝となったカール7世と、妃マリア・アマーリエの間に、ミュンヘンで生まれます。
一方、彼の妻となるマリア・アンナ・ゾフィアは、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世(ポーランド王アウグスト3世)と、妃マリア・ヨーゼファの間に、ドレスデンで生まれます。
この頃のドイツは、大小の諸侯が乱立する領邦国家。その中でも特に力をもっていたのは、神聖ローマ帝国の皇帝に関する選挙権をもち「選帝侯」と呼ばれた7諸侯ですから、有力諸侯同士の政略結婚ですね。
そして、双方の母親同士は姉妹!ですから、マクシミリアン3世は一つ年下の従妹を花嫁に迎えることとなるわけです。
ナポリ・シチリアの王として即位し、後に王位を息子に譲ってスペイン王となるカルロス3世(1716-1788)は、スペイン王フェリペ5世と、彼の2番目の妃でイタリア北部のパルマ公女エリザベッタ・ファルネーゼとの間に生まれます。
父フェリペ5世には既に世継ぎとして先妻の子フェルナンド6世がいたため、カルロス3世は、母エリザベッタがイタリア北部のパルマ公国出身であったこともり、王子時代にはパルマ公を務めていました。
ドイツの窯と言えば、マイセン(Meissen)をまず思い浮かべる方が多いでしょう。
しかし、マイセン以外には思い浮かばない方もいらっしゃるかもしれませんね。実はドイツには、日本ではまだ知名度が高いとは言えない窯がたくさんあるのです。
今回は、マイセンに次いでドイツで2番目に歴史のある「ヘキスト陶磁器工房(Höchster Porzellan-Manufaktur)」という窯を紹介します。
注文を受けてから職人が下絵なしで絵付けするという、由緒ある窯なのです。
ドイツ南部にあるニュルンベルク(Nürnberg)は、人口50万人を超え、バイエルン州では2番目に大きな都市で、州都ミュンヘン(München)からは特急で1時間。
駅前はすぐに旧市街とアクセスも非常に便利であり、ドイツの中でも歴史あるクリスマスマーケットや、世界最大のおもちゃ見本市が開催されることでも有名です。
現在のドイツ連邦のもととなったバイエルン王国やザクセン公国、現在のチェコ西部のボヘミア王国など、かつては神聖ローマ帝国の領邦国家として自治権をもっていた諸国の境界に位置し、重要な街道が交わる地点でもあったことから、ニュルンベルク城(カイザー・ブルク)は神聖ローマ帝国皇帝の拠点として重要視されてきました。
膨大な磁器コレクションを集め、マイセンを創設するなど、"強健王"として有名なアウグスト2世と、彼の妃クリスティアーネの間に唯一の子どもとして誕生したアウグスト3世(August III Sas、1696-1763)。
政治の世界での鬱憤を晴らすかのように、アウグスト3世は、芸術を愛し、ザクセンの都ドレスデンにヨーロッパ屈指のコレクションを築き上げ、ドレスデンを芸術の都として今日の発展の礎を築き上げます。