フリードリヒ1世(Friedrich I、1657-1713)は、ブランデンブルク選帝侯であったフリードリヒ・ヴィルヘルムと、オランダ総督の娘であった妻ルイーゼ・ヘンリエッテとの間に、東プロイセンの中心都市であったケーニヒスベルク(現 ロシアのカリーニングラード)で生まれます。
この当時のプロイセンはというと、神聖ローマ帝国を形成する領邦国家のひとつではありましたが、多数の諸侯が入り乱れるうちの、要するに、田舎の地方政権といった様相。
皆さんは、ドイツの「陶磁器街道」という名を耳にされたことがあるでしょうか。
グリム童話で有名なメルヘンゆかりの町をつなぐ「メルヘン街道」や、古城が点在する「古城街道」などのように、この「陶磁器街道」は、陶磁器の製造で有名な町をつないでいるルートです。
ドイツの南東部のバイエルン地方からチェコまで続く、全長550kmに及ぶこの陶磁器街道の一角に位置するのが、今回ご紹介するクロイセン(Creußen、Creussen)です。
ザクセン選帝侯としてのフリードリヒ・アウグスト1世(Friedrich August I)と、ポーランド・リトアニア共和国の王としてのアウグスト2世(August II Mocny)という2つの顔をもち、"強健王"や"ザクセンのヘラクレス"などとも呼ばれるほど驚異的な怪力の持ち主としても有名なアウグスト強王(1670-1733)。
その異名を証明するため?!しばしば蹄鉄をへし折って見せ、自慢していた!という驚きの逸話も残る彼は、1670年にザクセン選帝侯領の首都ドレスデンに生まれます。
ドイツ南部に位置するバイエルン州にあるアンスバッハ(Ansbach)の町は、ドイツのマンハイムからチェコのプラハまで100kmにも続き、中世から近世にかけて建てられたお城がレストランやホテルとして運営されている「古城街道」にあります。
人口4万人ほどの小さな町ですが、近郊にあるローテンブルク(Rothenburg)やニュルンベルク(Nürnberg)などに劣らない魅力があり、18世紀にはアンスバッハ・ロココと呼ばれる豪華絢爛な文化が花開きました。