「華やかでロマンチックなデザインが好き!」「せっかくティーカップを買うなら、ヨーロッパの貴婦人が使ったようなデザインがいいな」―そう思う方もいるかもしれませんね。
そんなあなたには「KPMベルリン」がおすすめです。
日本ではまだあまり知られていませんが、実はマイセンと肩を並べるドイツ主要7窯の1つにあげられる窯なのです(ちなみに、他は、ヘキスト、ニンフェンブルク、フュルステンベルク 、フランケンタール、ルドヴィヒスブルク )。
特に、ロココ調のデザインは種類が豊富。
「ロココ」とはつる草や貝殻をあしらったロカイユ模様から発した言葉だと言われています。
フランスの貴婦人たちによってブームになった淡いパステルカラーを多用した優雅で雅やかなスタイルです。
シノワズリ(中国趣味)とは、中国製品の“コピー”ではなく、あくまでも中国“風”のものということで、西洋人の東洋の文化へのあこがれから生まれた西と東の美術のコラボレーションなのです。
中国人がコピーした有名キャラクターや東京オリンピックのエンブレムの盗作問題など、“パクリ”はとかく大きな問題になっています。
しかしなぜ“パクリ”、いわゆる複製やコピーがこれほど大きな問題になるのでしょうか?
創始者であるアウグスト強王によってその歴史が始まって以来、今なお300年以上に渡り愛され続ける、ドイツが誇る老舗磁器ブランドのマイセン。
その始まりから初期の頃、多大な功績を残し、その発展に大貢献した人物として有名なのが「3人のヨハン」と称されることも多い3人の天才たちでした。
マイセン磁器の誕生に直接関わったヨハン・フリードリヒ・ベトガー、その後、マイセン磁器における色彩の技術を向上させ、これを確立させたヨハン・グレゴリウス・ヘロルト、そして最後に登場するのが、マイセン磁器における造型の分野を著しく発展させ、これを確立したヨハン・ヨアヒム・ケンドラー(Johann Joachim Kaendler、1706~1775)です。
洋食器と言えば、マイセンやウェッジウッドに代表される超有名ブランドだけなく、近年はアラビアなどの北欧食器やポーランド食器なども人気がありますよね。
しかし、東欧ハンガリーにも名窯があることをご存知でしたか?
その名は「ヘレンド」。
19世紀に創立され、幾多の試練を乗り越えながら、一貫して丹念な手仕事で伝統の意匠を守り続けてきた窯です。
ドイツ・バイエルン選帝侯マクシミアリアン3世ヨーゼフは、バイエルン選帝侯から神聖ローマ皇帝となったカール7世と、妃マリア・アマーリエの間に、ミュンヘンで生まれます。
一方、彼の妻となるマリア・アンナ・ゾフィアは、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世(ポーランド王アウグスト3世)と、妃マリア・ヨーゼファの間に、ドレスデンで生まれます。
この頃のドイツは、大小の諸侯が乱立する領邦国家。その中でも特に力をもっていたのは、神聖ローマ帝国の皇帝に関する選挙権をもち「選帝侯」と呼ばれた7諸侯ですから、有力諸侯同士の政略結婚ですね。
そして、双方の母親同士は姉妹!ですから、マクシミリアン3世は一つ年下の従妹を花嫁に迎えることとなるわけです。
ムルシアの歴史は大変古く、580年ごろには、イベリア半島の北東からこの辺りまでギリシャ人がやってきて、陶器産業を作る元となったとされています。
825年には現在の場所にムルシアという名前の都市ができており、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン2世以降は、しばらくイスラム王朝の統治下の時代が続き、この間に、陶工たちがやってきたそうです。
ロイヤルウースター(Royal Worcester)は1751年に創業され、現在も操業を続ける陶磁器メーカーとしては、イギリスで1、2を争う長い歴史を有しています。
ちなみに、ロイヤルクラウンダービーの創業が1750年なので、わずか1年の差で最古の窯という栄誉は逃していますが、ヨーロッパで最初に硬質磁器の製造に成功したマイセンの創業が1710年、イギリスで最も有名ともいえるウェッジウッドの創業が1759年ですから、いかに長い伝統を有している窯かイメージが湧くのではないでしょうか。
ロイヤルコペンハーゲンを2回に分けて総力特集!
前編の今回はロイヤルコペンハーゲンの歴史や、最初に作られたシリーズの秘密にせまります。
ロイヤルコペンハーゲンの中でも定番の絵柄は、1775年の創業後すぐに誕生したあるシリーズが元になっていることがわかりました。
ジャンヌ・アントワネット・ポワソン(Jeanne-Antoinette Poisson、1721-1764)、これがポンパドゥール夫人の誕生名です。
ポンパドゥール夫人は、平民という身分ではあったものの資産家の出身であり、貴族以上の教育をうけ豊かな教養を身につけ、19歳の時に徴税請負人のシャルル=ギヨーム・ル・ノルマン・デティオールと結婚します。
そこから、自分の美貌と頭の良さ、センスの良さをフル活用して、時の国王ルイ15世に取り入り、立身出世を果たしてくのです。
2018年1月13日からパナソニック汐留ミュージアムで始まった「ヘレンド展 皇妃エリザベートが愛したハンガリーの名窯」に行って来ました。
ヘレンド窯の作品が日本で紹介されるのはこれで3回目。初回は1993年、名工の手によるマスターピースを中心に、2回目は2000年から2001年にかけてヘレンド窯とハプスブルク宮廷の関わりに焦点を当てた展覧会でした。
そして3度目となる今回は、繊細な絵付けの施された装飾用磁器や、美しい装飾の実用磁器を中心に、ヘレンド窯190年の歴史沿って精選されたおよそ230点が紹介されています。
ドイツ南部に位置するバイエルン州にあるアンスバッハ(Ansbach)の町は、ドイツのマンハイムからチェコのプラハまで100kmにも続き、中世から近世にかけて建てられたお城がレストランやホテルとして運営されている「古城街道」にあります。
人口4万人ほどの小さな町ですが、近郊にあるローテンブルク(Rothenburg)やニュルンベルク(Nürnberg)などに劣らない魅力があり、18世紀にはアンスバッハ・ロココと呼ばれる豪華絢爛な文化が花開きました。