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ロンウィ|皇帝ナポレオンも愛した華やかなエナメル装飾「ロンウィ焼き」と、世界遺産となった城塞の街

古い時代より、ロレーヌ地方では陶器作りという美しい伝統が続いていました。

ロンウィでは1798年、シャルル・レニエ(Charles Régnier)が3人のパートナーとともに、かつての修道院に最初の陶器工場が作ったところから始まります。

そんなロンウィの陶器が一躍脚光を浴びたのは、かの皇帝ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte、1769-1821)が、1804年に要塞を見るためにこの街を訪れ、この陶器を気に入り、テーブル食器を注文した事でした。


ロイヤルコペンハーゲン|東洋の磁器に魅せられて誕生した上品なブルーが輝く、デンマーク王室ゆかりの窯-前編(歴史編)

ロイヤルコペンハーゲンを2回に分けて総力特集!

前編の今回はロイヤルコペンハーゲンの歴史や、最初に作られたシリーズの秘密にせまります。

ロイヤルコペンハーゲンの中でも定番の絵柄は、1775年の創業後すぐに誕生したあるシリーズが元になっていることがわかりました。


ロイヤルドルトン|時代と共に移り変わるイギリスのモダンを紡ぐ名窯

1815年、イギリスの首都ロンドンのテムズ河近くの街ランベス(Lambeth)にて、ロイヤルドルトン(Royal Doulton)は産声を上げました。

創業者のジョン・ドルトン(John Doulton、1793–1873)が、ビジネスパートナーであるジョン・ワット(John Watts)、マーサ・ジョーンズ(Martha Jones)とロイヤルドルトンを創業した当時は、素朴で重厚な炻器(せっき、陶器と磁器の中間のような性質を持ち、光も水も通さない硬く引き締まった風合いが特徴)で、ビールのピッチャーや水差しなどの日用品を作っていたようです。


エリザベート|「ヨーロッパ宮廷一の美貌」といわれたハプスブルグ家最後のオーストリア皇后

エリザベート・アマーリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバッハ(Elisabeth Amalie Eugenie von Wittelsbach、1837-1898)、「シシィ」の愛称で知られる后妃は、バイエルン王国(現ドイツ)に生まれ育ちます。

エリザベートの父親であったマクシミリアン公爵は、バイエルン王家(ヴィッテルスバッハ家)の中でも傍系であったこともあり、そうとうな自由人であったようで、エリザベートも自由気ままに伸び伸びと生きていました。


「ヘレンド展 皇妃エリザベートが愛したハンガリーの名窯」(パナソニック汐留ミュージーアム・汐留)|ハプスブルク家の美貌の皇后が愛した名窯

2018年1月13日からパナソニック汐留ミュージアムで始まった「ヘレンド展 皇妃エリザベートが愛したハンガリーの名窯」に行って来ました。

ヘレンド窯の作品が日本で紹介されるのはこれで3回目。初回は1993年、名工の手によるマスターピースを中心に、2回目は2000年から2001年にかけてヘレンド窯とハプスブルク宮廷の関わりに焦点を当てた展覧会でした。

そして3度目となる今回は、繊細な絵付けの施された装飾用磁器や、美しい装飾の実用磁器を中心に、ヘレンド窯190年の歴史沿って精選されたおよそ230点が紹介されています。


アルバート公|「ヘレンド」が世に注目される契機となったロンドン万博開催の立役者

1851年、ロンドンのサウスケンジントンにある王立公園ハイド・パークにて世界最初の万国博覧会が開催されました。

当時の君主、ヴィクトリア女王の治世を象徴する祭典ともいわれるほどの一大イベントであったこのロンドン万博、参加国は34ヶ国にのぼり、5月から10月にかけての会期141日間で総入場者数はのべ604万人という大盛況ぶり!

そんな史上初の万博を大成功させた立役者こそ、ヴィクトリア女王の最愛の夫アルバート公(1819-1861)です。


ジョージ4世|「スポード」にロイヤル・ワラントの称号を与えた、悪名高いイギリス国王
ジョージ4世はなぜそんなに悪名高い? ジョージ4世(1762-1830)は1762年、国王ジョージ3世とその妻シャーロットの長男として生まれました。  出典:Wikipedia(ジョージ4世) 若い頃から、ハンサムで教養も深く、「イングランド一のジェントルマン」と呼ばれたこともあるほど魅力的...

アウガルテン|マイセンに次ぎ古い歴史をもつ、ハプスブルク家の皇室磁器窯

アウガルテンは、その正式名称を「ウィーン磁器工房アウガルテン(Wiener Porzellanmanufaktur Augarten)」といいます。

マイセンに次ぎ古い歴史をもち、神聖ローマ帝国の皇帝を世襲したハプスブルク家の庇護をうけて発展した由緒正しい窯ですが、その出自のわりに、マイセンやウェッジウッド等の他のヨーロッパの陶磁器と比べて、日本での知名度はそれほど高くないように思います。

アウガルテンの魅力は、工房内での独自の粘土の調合と熟成が実現した滑らかで艶やかな白磁と、ハプスブルク家のお膝元でもあった芸術の都ウィーンの華やかな文化の中で生み出された様々なパターンの絵付(いまなお、すべてハンドペイントと言われます)にあります。


「フランス宮廷の磁器セーヴル、創造の300年」(サントリー美術館・六本木)|20年ぶりに来日した豪華なコレクション

2017年11月22日より、六本木のサントリー美術館開館10周年記念、「フランス宮廷の磁器セーヴル、創造の300年」が始まったので、早速行ってきました!

今回はその見どころなどをご紹介したいと思います。

会場は「18世紀」、「19世紀」、「20世紀」、そして「現代」の4部構成になっていて、およそ300年のセーヴルの歴史を時間軸に沿って鑑賞することができます。


ウィリアム・フォートナム|召使いの副業から始まった、イギリス王室御用達の店「フォートナム&メイソン」

ウィリアム・フォートナムは、1707年に、「フォートナム&メイソン」を設立した人物として有名ですが、その出自に関しては謎が多く、資料も大変少ない人物です。

ウィリアム・フォートナムの名前が歴史に登場するのは、名誉革命後のスチュアート朝最後の女王となった、アン女王のフットマン(footman)として王室で働いていた時のことです。

ちなみに、footmanとは、王族・貴族の馬車の車輪が、ぬかるみにはまったり、木の根に乗り上げたりしないよう、徒歩で馬車のまわりをついていく、要するに下級召使いのことです。


シャーロット王妃|芸術と自然をこよなく愛し、「ウェッジウッド」を見出したドイツ出身の王妃

母と元家庭教師(母の愛人?)の下で、従順な国王として人形扱いされていたジョージ3世ですが、このふたりの意見を、一度だけ突っぱねたことがあったのです。

それは結婚相手の選定。

しかし、ビュート伯や母親の目があり、表だって結婚相手探しは出来ませんでした。そこで、最も信頼していたグレイム大佐に花嫁探しを任せます。

そして、グレイム大佐が連れてきたのが、シャーロット・オブ・メックレンブルク=ストレリッツ(1744-1818)、後のシャーロット王妃です。


ヴェネツィア|「アドリア海の女王」と呼ばれるムラーノ・ガラスの産地

ヴェネツィア共和国は当時最も進んだ技術を持っていたシリアのアンティオキアと協定を結びます。

原料や燃料だけでなくガラス職人までもヴェネツィアに輸入し、ローマ帝国やイスラム世界で発展した伝統的なガラス技術を取り入れ、応用することで独自のガラス製作技術を手に入れました。

そして、自分たちのガラス製作の技術が外に漏れるのを防ぐことと、ガラス製作には火を使うため、狭い島内で火事が起こることを恐れたヴェネツィア共和国は、1291年、全てのヴェネツィア本島に有ったガラス工房を、ムラーノ島(Murano)へ強制移住させます。


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