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ミッド・ジョージアン様式|産業革命で発展するイギリスに流行した新古典主義(1760-1800年頃)

この時期には、産業革命が市民に芸術を謳歌させ、イギリス芸術をヨーロッパの中心へと押し上げる原動力になりました。

この時代イギリスでは既に芸術の担い手は王や貴族だけではなくなっていました。産業革命により新富裕層が出現、住宅ブーム、アフタヌーンティーや家庭演奏会流行等、生活文化・社交文化が非常に発展します。


アーリー・ジョージアン様式|王や王妃のサロンの様に豪華なイギリス風ロココ(1720-1760年頃)

ドイツからやってきたジョージ1世がイギリス国王の座についた1714年から、3代後のジョージ4世が亡くなる1830年までの約100年間のハノーヴァー朝の治世を、「ジョージアン時代」と呼びます。

外国人芸術家に頼りっきりで、これと言った傑作が見いだせなかったイギリス芸術において、強い愛国心からようやくイギリス独自のスタイルが生まれ始めたのはまさにこの時期のことです。


シノワズリ|中国“風”であってパクリではない、東洋への憧れが生んだ美術様式(1560年頃~)

シノワズリ(中国趣味)とは、中国製品の“コピー”ではなく、あくまでも中国“風”のものということで、西洋人の東洋の文化へのあこがれから生まれた西と東の美術のコラボレーションなのです。

中国人がコピーした有名キャラクターや東京オリンピックのエンブレムの盗作問題など、“パクリ”はとかく大きな問題になっています。

しかしなぜ“パクリ”、いわゆる複製やコピーがこれほど大きな問題になるのでしょうか?


ウェッジウッド|世界の女帝や王妃を魅了し、今なお英国王室御用達として愛され続けるイギリスの文化的アイコン

高級食器ブランドとして世界中の人から愛されている「ウェッジウッド(Wedgwood)」。結婚式の引き出物などで1つは持っている方もいるかもしれませんね。

しかし、ウェッジウッドの魅力は引き出物などに多いシンプルな食器だけではありません。クラシカルな花柄や現代的なパターンなど、さまざまなテイストのシリーズがそろっています。

今回は、ウェッジウッドが今なお愛され続けている秘密と人気シリーズをご紹介します。これを読めば、きっとあなたもウェッジウッド通!


エインズレイ|炭鉱経営者の趣味から、王室御用達へ。「枯れない花」を生み出すイギリスの名窯

エインズレイ(Aynsley)は18世紀から続く長い伝統をもち、高品質なボーンチャイナなど高い技術と優美なデザインが評価され、イギリス王室からこよなく愛されている陶磁器メーカーです。

その創業者であるジョン・エインズレイ(John Aynsley)は、イギリスの中西部の街ストーク・オン・トレント(Stroke-on-Trent)で炭鉱を経営し、陶器の窯元に対して石炭を納品していました。そして、個人的な趣味としても、陶器やラスター彩のコレクションに情熱を傾けていました。

ジョン・エインズレイは、次第にコレクションするだけでは飽き足らず、1775年、とうとう、ストーク・オン・トレントのレイエンド(Lane End)、現在のロングトン(Longton)に陶磁器を製造するための窯を作ってしまいます。


ジョージ4世|「スポード」にロイヤル・ワラントの称号を与えた、悪名高いイギリス国王
ジョージ4世はなぜそんなに悪名高い? ジョージ4世(1762-1830)は1762年、国王ジョージ3世とその妻シャーロットの長男として生まれました。  出典:Wikipedia(ジョージ4世) 若い頃から、ハンサムで教養も深く、「イングランド一のジェントルマン」と呼ばれたこともあるほど魅力的...

シャーロット王妃|芸術と自然をこよなく愛し、「ウェッジウッド」を見出したドイツ出身の王妃

母と元家庭教師(母の愛人?)の下で、従順な国王として人形扱いされていたジョージ3世ですが、このふたりの意見を、一度だけ突っぱねたことがあったのです。

それは結婚相手の選定。

しかし、ビュート伯や母親の目があり、表だって結婚相手探しは出来ませんでした。そこで、最も信頼していたグレイム大佐に花嫁探しを任せます。

そして、グレイム大佐が連れてきたのが、シャーロット・オブ・メックレンブルク=ストレリッツ(1744-1818)、後のシャーロット王妃です。


ジョサイア・ウェッジウッド|「イギリス陶芸の父」と呼ばれた産業革命の申し子

世界に名立たる陶磁器ブランド「ウェッジウッド」社を立ち上げたジョサイア・ウェッジウッド(1730-1795)は、イングランドのスタフォードシャー、その中でも「イギリスの陶器産業の里」と呼ばれるストーク・オン・トレント(Stork-on-Trent)の、代々陶器職人を務める陶芸一家に生まれ育ちました。

 

ジョサイアを並みの陶芸家とは異なる存在とした出来事が、11歳の時に起こりました。


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