マニエリスムのキーワードは「お手本は巨匠」です。
ミケランジェロを師と仰いでいたヴァザーリ(Giorgio Vasari)は著書「画家・彫刻家・建築家列伝」(Le Vite delle più eccellenti pittori, scultori, e architettori)でミケランジェロを筆頭に3人の巨匠の「手法(マニエラ maniera)」を芸術的最高のものとし「美しい様式(ベルラ・マニエラ)」と称えました。
トレドの歴史はとても長く、最初にこの地が「首都」とされたのは560年で、ローマ帝国の東西分裂、ゲルマン系王国でキリスト教を国教とする西ゴート王国、そして、その後の数百年はイスラム勢力の支配下となりますが、文化面でいえばキリスト教世界からも学者が訪れ、イスラム教とキリスト教の融合する文化都市として発展します。
1085年に、キリスト教勢力であるカスティーリャ=レオン王国のアルフォンソ6世がトレドに入城し、以降、1561年に、フェリペ2世がマドリードに遷都するまでの数百年間、文化・政治・経済の中心として、鉄製品や陶器などの生産地として繁栄しました。
ルネサンス期、フィレンツェやローマにも劣らない素晴らし芸術が花開いていたウルビーノでは陶器の製作も非常に盛んで、各地から優れたイストリアート(説話画)の陶芸家が集まり、腕を競っていました。
その中でも特に優れた才能を発揮していたのは、ニッコロ・ペッリパリオ(Niccolò Pellipario)通称二コラ・ダ・ウルビーノ(Nicola da Urbino)です。
二コラは作風や芸術レベルの高さから同郷のラファエロとよく比較され、「マヨリカのラファエロ」とも呼ばれています。
パリシーが発案した「田舎風陶法」と呼ばれる技法は大変有名になり、ついには当時の王国の重要人物であった王妃カトリーヌ・ド・メディシスや大元帥アンヌ・ド・モンモランシーに才能を認められ、1556年には「国王と王太后の田舎風陶法発明者」の称号を得るまでになるのです。