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「ヘレンド展 皇妃エリザベートが愛したハンガリーの名窯」(パナソニック汐留ミュージーアム・汐留)|ハプスブルク家の美貌の皇后が愛した名窯

2018年1月13日からパナソニック汐留ミュージアムで始まった「ヘレンド展 皇妃エリザベートが愛したハンガリーの名窯」に行って来ました。

ヘレンド窯の作品が日本で紹介されるのはこれで3回目。初回は1993年、名工の手によるマスターピースを中心に、2回目は2000年から2001年にかけてヘレンド窯とハプスブルク宮廷の関わりに焦点を当てた展覧会でした。

そして3度目となる今回は、繊細な絵付けの施された装飾用磁器や、美しい装飾の実用磁器を中心に、ヘレンド窯190年の歴史沿って精選されたおよそ230点が紹介されています。


フェリペ2世|「太陽の沈まぬ帝国」スペインの絶頂期に君臨した、素朴を好んだ国王

フェリペ2世(Felipe II、1527-1598)は、絶対君主の代表格にも位置づけられる人物で、スペイン黄金世紀の中でも最盛期に君臨した国王です。

このため、フェリペ2世はきっと、その時代に見合った、華やかな生活を送っていたはずと想像を広げる人も多いでしょう。フランスのルイ14世のように、絢爛豪華なものに囲まれ、豪遊生活を楽しんでいたのだろうと。

しかし実際はというと、フェリペ2世は絢爛豪華なものとは無縁の生活を送っていたのです。


アウガルテン|マイセンに次ぎ古い歴史をもつ、ハプスブルク家の皇室磁器窯

アウガルテンは、その正式名称を「ウィーン磁器工房アウガルテン(Wiener Porzellanmanufaktur Augarten)」といいます。

マイセンに次ぎ古い歴史をもち、神聖ローマ帝国の皇帝を世襲したハプスブルク家の庇護をうけて発展した由緒正しい窯ですが、その出自のわりに、マイセンやウェッジウッド等の他のヨーロッパの陶磁器と比べて、日本での知名度はそれほど高くないように思います。

アウガルテンの魅力は、工房内での独自の粘土の調合と熟成が実現した滑らかで艶やかな白磁と、ハプスブルク家のお膝元でもあった芸術の都ウィーンの華やかな文化の中で生み出された様々なパターンの絵付(いまなお、すべてハンドペイントと言われます)にあります。


リチャード・ジノリ|メディチ家、そしてハプスブルク家に愛された「トスカーナの白い肌」

1710年マイセンがヨーロッパ初の硬質磁器を誕生させます。マイセンは磁器の製造方法を門外不出としていたにもかかわらず、その製法はヨーロッパ各国へと伝わっていきます。

1718年にはオーストリア・ウィーンのアウガルテン窯が磁器製造に成功し、そして、イタリアでは、1735年にトスカーナ大公国の貴族でありながら、化学・鉱物学にも造詣の深かったカルロ・ジノリ侯爵 (Carlo Ginori) がフィレンツェ郊外のセストフィオレンティーナのドッチア(Doccia)という場所に磁器窯を開きます。

ヨーロッパでは3番目、イタリアでは初の硬質磁器の誕生です。


デュ・バリー夫人|時代の波に翻弄されたフランス国王ルイ15世の公妾

デュ・バリー夫人(1743-1793)は、それまでフランス国王ルイ15世の公妾として社交界の華と称えられたポンパドゥール夫人が42歳の若さで亡くなった後、公妾として取り立てられた美女です。

「公妾って、要するに愛人のことでしょう?どうせ見た目だけでしょう。なんか頭悪そう。」、などと侮ることなかれ。


皇帝と教皇|中世ヨーロッパの太陽と月
ヨーロッパのブランド食器が生み出された「近世」の前の時代、いわゆるヨーロッパらしさの源流となった「中世」の時代をひもとく第2弾です。

ウィーン・アウガルテン|ヨーロッパ隋一の名門 ハプスブルグ家のお膝元
華麗なる一族ハプスブルク家の面影が残る古都ウィーン 「音楽の都」と呼ばれるオーストリアの首都ウィーン。 クラッシック音楽が盛んで、モーツァルトやベートーヴェンなど多くの作曲家が活躍したことでも有名です。 世界三大オペラ座の一つである「ウィーン国立オペラ座」や、天使の歌声を響かせる「ウィーン少年...

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