リチャード・ジノリの生まれた国
16世紀以降の大航海時代の到来により、ヨーロッパへ紹介される機会の増えた中国や日本の硬質磁器は、その純白で薄く、硬く、艶やかな風合いによってヨーロッパの王侯・貴族を魅了しました。
また、同時代の新大陸の発見も相まって、ヨーロッパで、コーヒー、紅茶、チョコレートをカップで飲む人が増え、磁器の需要が急増します。
イタリアでも、ルネサンス美術のパトロンとして有名なメディチ家などが磁器製造に挑戦しましたが、ヨーロッパでは磁器の製造に必須のカオリンが産出されず、が長い間、硬質磁器の製造方法は確立されませんでした。
それが1700年に入りようやくドイツで磁器の製法が発見され、1710年マイセンがヨーロッパ初の硬質磁器を誕生させます。
マイセンは磁器の製造方法を門外不出としていたにもかかわらず、その製法はヨーロッパ各国へと伝わっていきます。
1718年にはオーストリア・ウィーンのアウガルテン窯が磁器製造に成功し、そして、イタリアでは、1735年にトスカーナ大公国の貴族でありながら、化学・鉱物学にも造詣の深かったカルロ・ジノリ侯爵 (Carlo Ginori) がフィレンツェ郊外のセストフィオレンティーナのドッチア(Doccia)という場所に磁器窯を開きます。
ヨーロッパでは3番目、イタリアでは初の硬質磁器の誕生です。
出典:Wikipedia(カルロ・ジノリ侯爵)
トスカーナ大公国、そしてリチャード・ジノリの庇護者の移り変わり
ところで、トスカーナ大公国とは、16-19世紀にかけて北イタリアを支配した国で、その首都は現在のフィレンツェ、領土は現在のトスカーナ州の前身となっています。
現在のドイツ・イタリアにあたる地域は、395年のローマ帝国分裂後、神聖ローマ帝国という旗印はあったものの、多数の民族・国家が入り乱れて、あちこちに小さな諸侯・貴族が乱立した状態が長く続きます。
ローマ、ヴェネツィア、ナポリなど、現在のイタリアの有名な都市は、いずれも元はひとつの独立した都市国家というとイメージがつきやすいかもしれません。
トスカーナ大公国は、メディチ家の隆盛とともに拡大した国でしたが、大航海時代によって大西洋貿易の航路が開かれると、地中海貿易が次第に衰退し国際的な地位が低下。
メディチ家最後のトスカーナ大公であるジャン・ガストーネ(1671-1737)が没すると、後継者もなくメディチ家は断絶しました。
その後は、マリア・テレジアという啓蒙専制君主の元、急速に力をつけてきたオーストリアからの干渉が強まり、ジャン・ガストーネの遺言もあって、トスカーナ大公国はハプスブルク家に継承されていきます(トスカーナ大公を継いだのは、マリアテレジアの夫である神聖ローマ皇帝フランツ1世)。
リチャード・ジノリが創業した1735年は、トスカーナ大公国が、メディチ家から、ハプスブルク家の支配へと移り変わる、まさに節目の年であったと言うことができます。
リチャード・ジノリを代表するシリーズ
リチャード・ジノリは、時代とともに様々なシェイプ(形)と、パターン(絵柄)を生み出してきました。これらを用いた、ブランドを代表するシリーズをご紹介します。
1)ベッキオ・ジノリ・シェイプ(Vecchio Ginori Shape)
イタリア語で「ベッキオ」は古いという意味です。
リチャード・ジノリの最古のこのシリーズは、1750年代のバロック様式による、格調高いレリーフが特徴で、定番シリーズとして不動の人気があります。
ベッキオ・ホワイト(Vecchio White)
フィレンツェのイタリア人のお宅を訪れると、必ずと言っていいほどリチャード・ジノリの食器が登場しますが、その中でも圧倒的に多いのがこの「ベッキオ・ホワイト」です。
“トスカーナの白い肌”と呼ばれるほど透明感のある白磁はリチャード・ジノリの象徴であり、様々なシェイプ(形)のものがありますが、特にベッキオ・シェイプとの組み合わせは、ブランドを代表するシリーズとなっています。
出典:リチャード・ジノリ公式サイト(ベッキオ・ホワイト)
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レッド・コック(Galli Rosso)
17世紀の日本(九州・有田)で17世紀に創始された酒井田柿右衛門の赤絵の様式の影響が感じられる図柄です。
柿右衛門様式で好んで使われた「粟と鶉(うずら)」の図柄が、イタリアでは「Cock(にわとり)」に姿を変えています。
出典:リチャード・ジノリ公式サイト(レッド・コック)
2)アンティコ・シェイプ(Antico Shape)
1745年につくられたアンティコ・シェイプは、は、後期バロックスタイルのフィレンツェ職人による銀食器を思わせるベーシックでありながら、魅力的ななシェイプとなっています。
グランデューカ(Granduca Coreana)
イタリア語で「グランデューカ」は「大公」をあらわします。
その名のとおり、リチャード・ジノリのあったトスカーナ大公国の大公妃であり、かつ、オーストリア王妃のマリア・テレジアのためにデザインされたものです。
1750年頃の日本や中国の着物の柄をモチーフとする絵柄ですが、当初は「韓国風」(Coreana)と呼ばれました。
出典:リチャード・ジノリ公式サイト(グランデューカ)
イタリアン・フルーツ(Italian Fruit)
52歳の若さで他界したカルロ・ジノリ侯爵の後を継いだ長男のロレンツォ・ジノリが作成した絵柄です。
これは1770年頃、ある貴族がトスカーナに持っていた別荘のテーブルセットとして作られたもので、今も手で絵付けされています。
イタリアらしい色遣いとデザインが、不朽の名作として世界中で愛されており、これもまたリチャード・ジノリを代表する絵柄となっています。
出典:リチャード・ジノリ公式サイト(イタリアン・フルーツ)
3)インペロ・シェイプ(Impero Shape)
1780年頃にヨーロッパを席巻した、古代ギリシア・ローマの美術を理想とする考え方である「新古典主義」の様式をモチーフとしたシェイプで、直線的かつシンプルでありながら、調和をとれたその形が、格調の高さを生み出しています。
スカラ(La Scala)
イタリア・ミラノにある宮廷歌劇場のスカラ座をイメージしたこの絵柄は、金彩と緑色によって、ぶとうのツル、葉、花があしらわれ、古典的でありながら優美さを漂わせる絵柄となっています。
出典:リチャード・ジノリ公式サイト(スカラ)
現在はグッチ傘下へ、変わらぬ伝統とイタリア人に最も愛された磁器
リチャード・ジノリは、その後も様々な作品を生み出していきますが、1896年には、事業拡張のためミラノのリチャード製陶社と合併し、今日まで続くブランド名「リチャード・ジノリ」が誕生します。
さらに、1956年には、ラヴェーノ=モンベッロのイタリア陶磁器会社と合併することで、イタリア最大の陶磁器メーカーとなったのです。
しかしながら、近年のリチャード・ジノリは多額の負債を抱えて経営難に陥り、2012年には陶磁器の生産が一時停止されました。
終業、始業、お昼休憩の時に鳴っていた工場の鐘が聞こえなくなったことを、周辺の住民たちは大変寂しく思い、なんとか自分たちでリチャード・ジノリを救えないかと模索していました。
ところがその後破産宣告を受けたリチャード・ジノリに対して、多くの外国の企業が買収に名乗りを上げました。
しかしこれほど歴史のある伝統的な企業が、外国人のものになってしまうことをひどく残念に思ったイタリアのある企業が、リチャード・ジノリを救います。
それは長年同じようにフィレンツェで伝統と技を守って来たグッチ(Gucci)でした。
現在は、グッチの傘下で、いままで以上に洗練された磁器の数々を生み出しています。
リチャード・ジノリは、ヨーロッパで3番目に古い硬質磁器の歴史を持ち、メディチ家・ハプスブルク家といった名門貴族に愛されながらも、王室に所有された窯でないがゆえに、マイセンやセーヴルといった磁器と比べると繊細さや豪華さといったものはありません。
むしろ、イスラム、スペインのマヨルカ島を経てイタリアにもたらされた、やや厚手の陶器に鮮やかに絵付けをしたマヨルカ焼の影響を受けているように感じられます。
それだけに、硬質磁器でありながら、優雅な美しさと、親しみやすさが同居しており、イタリア人だけでなく、世界中の人にこれほど愛されている磁器は他にはないでしょう。
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