インペリアル・ポーセリン(ロモノーソフ)|270年以上の華麗な歴史を誇るロシア皇帝の御用達窯

インペリアル・ポーセリン出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(コバルト・ネット)

日本人が好むブルー&ホワイトの色調、格調高い金彩・・・冒頭のティーセットの写真を見て、どこのブランドのもの!?と思った方もいらっしゃるかもしれませんね。

「インペリアル」という名前からわかるように、皇帝に愛された窯で、270年以上の長い歴史を誇るロシアのブランド。2000年代に入って現在の名前に変更するまで「ロモノーソフ」と呼ばれていた「インペリアル・ポーセリン」です。

今回はインペリアル・ポーセリンの歴史や、上記写真にもある代表作「コバルト・ネット」のデザインに裏にあった悲しい秘話など、これまで日本では知られていなかった詳しい情報を余すところなく紹介します。

あなたの知らない、華麗なロシア磁器の世界にお連れします!

 

ロシア文化が花開いた古都サンクト・ペテルブルクで創業

サンクト・ペテルブルク出典:Wikipedia(サンクト・ペテルブルク)

「インペリアル・ポーセリン(Imperial Porcelain、ロシア語でИмператорский Фарфоровый Завод)」は1744年、ロシアの古都サンクト・ペテルブルクで誕生しました。

サンクト・ペテルブルクはロシア西部に位置する都市で、ピョートル1世によって18世紀に築かれ、1917年のロシア革命まではロシア帝国の首都でした。

サンクト・ペテルブルク出典:Wikipedia(サンクト・ペテルブルク)

運河が多いことから「水の都」「北のヴェネツィア」という異名をもつサンクト・ペテルブルク。ロシアの文化都市として発展し、数々の世界遺産がある街としても知られています。

例えば、フランスのルーヴル、アメリカのメトロポリタンとともに世界三大美術館に数えられる「国立エルミタージュ美術館」や、

エルミタージュ美術館出典:Wikipedia(エルミタージュ美術館)

女帝エカテリーナ2世が愛した夏の宮殿「エカテリーナ宮殿」、

エカテリーナ宮殿出典:Wikipedia(エカテリーナ宮殿)

さらに、ピョートル大帝の夏の宮殿と呼ばれる「ペテルゴフ宮殿」

ペテルゴフ宮殿出典:Wikipedia(ペテルゴフ宮殿)

など、見所が満載です。

ちなみに、国立エルミタージュ美術館ではインペリアル・ポーセリンの数々のテーブルウエアをご覧になれますよ!

文化が花開いたサンクト・ペテルブルクで270年以上、陶磁器を生み出し続けるインペリアル・ポーセリン。長い歴史の中にはきらびやかなときも、困難に直面するときもありました。さっそくインペリアル・ポーセリンの歴史を覗いてみましょう。

 

すべては初代ロシア皇帝ピョートル1世がドイツ訪問の折、マイセン磁器を目にしたことから始まった!

ピョートル1世出典:Wikipedia(ピョートル1世)

インペリアル・ポーセリンは1744年、当時の女帝エリザヴェータの命により設立されました。

しかし、本当の立役者は別にいました。初代ロシア皇帝「ピョートル1世」です。それはエリザヴェータが窯を設立する約30年前の1718年にさかのぼります。

実はインペリアル・ポーセリンの設立のきっかけは、ピョートル1世がドイツのザクセンに赴いたとき、ドレスデンの宮廷でマイセン磁器を目にしたことだったのです。

マイセンは1710年創業。彼がザクセンを訪れたのはマイセンが硬質磁器の製造に成功して10年経たないくらいの頃でした。ピョートル1世はロシア帝国を国力だけでなく、文化的にもヨーロッパ諸国と対等な立場にしたいと考えていました。

その一つの手段として、当時「白い金」としてヨーロッパの王侯貴族にもてはやされた磁器をロシアでも生み出したい、そう思ったピョートル1世でしたが、残念ながらその成功を見ることができないまま、亡くなってしまいます。

その後、ピョートル1世の娘である皇帝エリザヴェータが彼の遺志を受け継ぎ、ついに1744年にインペリアル・ポーセリンが開窯するのです。

皇帝エリザベータ出典:Wikipedia(皇帝エリザヴェータ)

インペリアル・ポーセリンの立ち上げに重要な役割を果たしたのが、ロシアの科学者「ドミトリー・イヴァノヴィッチ・ヴィノグラードフ(Dmitry Ivanovich Vinogradov)」。

彼はのちにこの窯の名称の由来となる科学者「ミハイル・ロモノーソフ」と海外留学をともにして親交があった人物で、地元ロシアの原料を使った硬質磁器の製造方法を解明したのです。

開窯から5年後の1749年にヴィノグラードフによって作られたのが、ブドウとつるのレリーフが美しいボウルです。

インペリアル・ポーセリン出典:The State Hermitage Museum(国立エルミタージュ美術館の所蔵品)

工房は当初、上記のようなボウルに加え、たばこ入れのような小さなものを生産していたそう。その後、より大きな窯を導入するなど技術革新を進め、次第に大規模な食器セットなども手掛けるようになりました。

 

エカテリーナ2世の時代に皇帝専属窯となり、窯名に「インペリアル」を冠するように

エカテリーナ2世出典:Wikipedia(エカテリーナ2世)

ロシアを近代化に導いた偉大な皇帝「エカテリーナ2世」の時代に、インペリアル・ポーセリンは黄金時代を迎えます。

美術品の熱烈なコレクターであり、今や約300万点の西洋美術コレクションを所蔵する国立エルミタージュ美術館の基礎を作ったエカテリーナ2世。

ピョートル1世が果たしえなかったロシアの文化水準をヨーロッパに近づけるという悲願はエカテリーナ2世の時代に叶えられます。

エカテリーナ2世が注文した陶磁器として最も有名なのは2つ。世界3大サービスの一つと言われるウェッジウッド社の「フロッグ・サービス(Frog Service)」と、フランスのセーヴル窯の「カメオ・セルヴィス(Cameo Service)」です。

ウェッジウッド、フロッグ・サービス出典:V&A search the collections(フロッグ・サービス)

ウェッジウッドの「フロッグ・サービス」は、英国の風景を1枚1枚手描きで描いた大規模な食器セット。エカテリーナ2世が住む宮殿はたくさん蛙が住む沼があり、「蛙の宮殿」と呼ばれていたことから、蛙の紋章がほどこされています。

セーヴル、カメオ・セルヴィス出典:The State Hermitage Museum (カメオ・セルヴィス、1777-1778)

「空の青(ブルー・セレスト)」色が鮮やかなセーヴルの「カメオ・セルヴィス」は、愛人ポチョムキン公爵に贈られたと言われている食器セット。

ポチョムキン公爵出典:Wikipedia(ポチョムキン公爵)

当時、ヨーロッパで最先端の流行だった古代ギリシャやローマの美術様式を取り入れていて、エカテリーナの美術品収集へのあくなき情熱がここにも表れているようですね。

絵画や陶磁器などヨーロッパの美しいものをこよなく愛したエカテリーナ2世は1765年、工房を「インペリアル・ポーセリン」という名称に変え、皇帝御用達の窯としました。

妥協を許さなかったエカテリーナ2世は、技術的にもデザイン的にもより洗練された磁器を依頼し、また同時に利益を上げることも要求しました。

宮廷から次々と入る要求水準の高い注文は、クオリティの高い磁器を生み出す原動力となりました。18世紀の終わりには、インペリアル・ポーセリンは西洋諸国の中でも最も洗練された窯の1つになっていたと言われています。

エカテリーナ2世の時代に名実ともに黄金時代を迎えたインペリアル・ポーセリンですが、どんな食器を作っていたと思いますか?

エカテリーナ2世がインペリアル・ポーセリンにオーダーしたもので最も有名なものは、豪華な公式の食器セット「アラベスク・サービス(Arabesque Service)」です。

これは973個の食器からなる壮大なセットで、古代ローマの都市遺跡「ポンペイ」や「ヘルクラネウム」で見られたような、アラビア風の装飾模様が施されています。

インペリアル・ポーセリン、アラベスク・サービス出典:Christie’s(アラベスク・サービス)

ちなみに、エカテリーナ2世はこのアラビア風模様のアラベスクを好んだようで、エカテリーナ宮殿にも「アラベスクの間」があるそうですよ。

 

ロシア革命後は国有窯となり、1925年には窯名を「ロモノーソフ」へ変更するなど、激動の時代を生き抜いた

20世紀に入ると、インペリアル・ポーセリンは激動の時代に突入していきます。1917年のロシア革命後に君主制が廃止されたことで、国有窯となりました。

これまでのきらびやかな食器セットとは打って変わり、政治的プロパガンダのための製品が作られ始めました。

その後、1925年にはロシアの最高学術機関である「ロシア科学アカデミー」の創立者であり、ロシアを代表する科学者「ミハイル・ロモノーソフ(Mikhail Vasilyevich Lomonosov)」の名前を取って「レニングラード・ロモノーソフ・ポーセリン」と名称を変えました。

ミハイル・ロモノーソフ出典:Wikipedia(ミハイル・ロモノーソフ)

お気づきの方もいらっしゃると思いますが、「レニングラード」という名前が入っていますね。

「レニングラード」とは、「サンクト・ペテルブルク」の街の別名です。第一次世界大戦まではドイツ語風の発音の「サンクト・ペテルブルク」(1703~1914年)と呼ばれていましたが、第一次世界大戦開戦以降(1914~1924年)はロシア語風の「ペトログラード」、ソビエト連邦時代(1924~1991年)はソ連建国の父「レーニン」を記念して「レニングラード」と改名されました。

1991年にソヴィエト連邦が崩壊し、インペリアル・ポーセリンは1993年に民間企業となりました。

それを機に、かつてエカテリーナ2世が憧れたイギリスやフランス、ドイツなどのヨーロッパ諸国や、アメリカやカナダ、そして日本にもインペリアル・ポーセリンのテーブルウエアが輸出されるようになりました。

2005年には「ロモノーソフ」という名称を以前のものに戻そうという決議が企業内でなされ、再び、「インペリアル・ポーセリン」を名乗ることになりました。

 

代表作「コバルト・ネット」誕生の裏には、絵付師の知られざる物語があった

インペリアル・ポーセリン、コバルト・ネット出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(コバルト・ネット)

インペリアル・ポーセリンのベストセラーで代表作である、ブルー&ホワイトの色彩が美しい「コバルト・ネット(Cobalt Net)」。

デザインしたのは、絵付師だった「アンナ・ヤツケヴィッチ(Anna Yatskevich)」。

コバルト・ネットのデザインの由来として一般的に知られているのは、「科学者ヴィノグラードフが皇帝エリザヴェータのために作った食器セットにインスピレーションを得て考案された」という説です。

インペリアル・ポーセリン出典:The State Hermitage Museum (皇帝エリザヴェータの食器セット

国立エルミタージュ美術館が所蔵するこの食器セット(上記写真)は、確かにコバルト・ネットによく見たデザインですね。キリリとした深いブルーのコバルト・ネットとは対照的に、ピンク色や陶花の装飾が女性的で美しいですね。

しかし、ロシアの地元メディアは、インペリアル・ポーセリンにインタビューした結果、このデザインの由来について複数の異なる見解もあると報道しています。それはとても悲しい物語でした。

このコバルト・ネットのデザインが誕生したのは、1944年。世界は第二次世界大戦の真っ只中。ロシアの地元メディアによると、アンナがデザインしたネットのような模様は、実は「爆弾から身を守るためのネット模様の窓カバー」にインスパイヤされたものかもしれないというのです。

というのも、アンナがコバルト・ネットを完成させる前、工房のあるレニングラード(サンクト・ペテルブルク)の街をドイツ軍が約900日(約2年半:1941年9月~1944年1月)もの間、包囲し、飢餓や爆撃によって65万人以上もの犠牲者を出した戦闘があったのです。「レニングラード包囲戦」です。

レニングラード包囲戦出典:Wikipedia(レニングラード包囲戦)

「爆撃から守るためのネット模様の窓カバー」は、当時、レニングラードの中心部のほとんどの建物の窓にほどこされていたと言われています。アンナが日常的にこの模様を目にしていたことで、デザインのヒントを得たのではないかというのです。

また、別の可能性も指摘されています。このネット模様のインスピレーションは、レニングラード包囲戦の間、度々目にしたサーチライトの光にインスパイヤされたものという説もあるのです。

アンナはレニングラード包囲戦を生き延びたものの、第二次世界大戦後、すぐに亡くなったため、今となってはどの説が本当かはわかりません。

しかし、アンナが空腹と疲労で精神的に追い込まれながらもなんとか生き延び、包囲戦終結直後の1944年、後世に残るコバルト・ネットを完成させたというのはまぎれもない事実です。

1958年にブリュッセルで開かれた万国博覧会でコバルト・ネットは見事、金賞を獲得し、今日までロシア磁器のシンボルとして輝き続けています。

壮絶な時代を生き抜いて生まれたコバルト・ネットは、ロシアにおいてレニングラード包囲戦の勝利のシンボルとしてとらえられています。

 

コバルト・ネットだけじゃない!「インペリアル・ポーセリン」の人気商品5選

インペリアル・ポーセリン出典:The Official State Hermitage Hotel(インペリアル・ポーセリン)

大変お待たせしました。現在、4000アイテム以上もあると言われているインペリアル・ポーセリンの中から、人気の商品を紹介します!

 

1)ロシアのプーチン大統領も贈り物として渡す!「コバルト・ネット」(Cobalt Net)

インペリアル・ポーセリン、コバルト・ネット

出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(コバルト・ネット)

上記で詳しく由来を紹介したコバルト・ネット(Cobalt Net)。誕生から75年以上経った今も世界中で愛され続け、パリのロシア大使館ではゲストをもてなすテーブルウエアに選ばれています。

また、ロシアのプーチン大統領にも選ばれるシリーズなのですよ!

インペリアル・ポーセリンのサイトには、プーチン大統領が初代ロシア大統領エリツィン氏の次女で政治家の「タチアナ・ユマシェワ」氏の1/17の誕生日にコバルト・ネットのティーセットをプレゼントした様子が投稿されています。

プーチン大統領出典:https://news.myseldon.com

大統領が自ら贈るほど愛されている定番シリーズなのですね。

コバルト・ネットは今も一つひとつ手作業で絵付けされています。まず、最初にラインが描かれ、その後、交差している部分にスタンプで金の模様が入れられます。

コバルト・ネットは、デザインやシェイプが豊富です。ころんとしたかわいらしいシェイプで、ネット模様が全面にほどこされたものや、

インペリアル・ポーセリン、コバルト・ネット出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(コバルト・ネット)

上記とは違う印象の、格調高い男性的なシェイプのもの、

インペリアル・ポーセリン、コバルト・ネット出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(コバルト・ネット)

白い肌を生かしたネット模様のデザインなど、さまざまな種類があります。

インペリアル・ポーセリン、コバルト・ネット出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(コバルト・ネット)

また、カップはふたつきのものもあります。選択肢が豊富で迷っちゃいますね!

インペリアル・ポーセリン、コバルト・ネット出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(コバルト・ネット)

さらに、女帝エリザヴェータのために作られた食器に似た、コバルト・ネットのピンク色バージョンもあります!色が違うとぐっと華やかな印象になりますね。

インペリアル・ポーセリン、コバルト・ネット出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(コバルト・ネット)

 

2)どれも素敵で一番を決められない!「ブルー&ホワイト」シリーズ

インペリアル・ポーセリン出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(Scale art)

次にご紹介するのは、数々の「ブルー&ホワイト」の絵付けシリーズ。バリエーションが多くて迷ってしまいますね。

上記で紹介したウロコのような模様は日本のこいのぼりを彷彿とさせますね。西洋風のシェイプだけど、日本風の模様や色合いでもあり、なじみやすそうです。

また、花モチーフも豊富ですよ。ところどころに施された金彩がいいアクセントになっているものや

インペリアル・ポーセリン出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(The basket)

青いブルーベル(つりがね草)のような花が描かれたカップ、

インペリアル・ポーセリン出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(Bells)

大輪の花がカップに咲く「ヒルガオ」という名前のカップもあります。

インペリアル・ポーセリン出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(Bindweed)

 

3)赤がいいアクセント!ロシアの民族調シリーズ

インペリアル・ポーセリン出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(Russian Lubok)

せっかくだから、ロシアっぽいテーブルウエアもいかがですか?

上記は、ロシアの「民衆版画」というピョートル1世の時代に流行した版画にちなんだ模様です。

また、赤いおんどりの絵がロシアっぽいカップ(下記写真)や、赤い馬をモチーフにしたものもあります。

インペリアル・ポーセリン出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(red rooster)

 

4)きょとんと表情が愛らしい!動物のフィギュリン

インペリアル・ポーセリン出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(Titmouse)

実はインペリアル・ポーセリンは動物や人をモチーフにしたフィギュリンも豊富なのです。どれも動物が見せる表情をうまく切り取っていて、見ていて飽きないですよ。

まず、ご紹介するのは、犬のフィギュリン。リラックスしている表情でかわいいですね。

インペリアル・ポーセリン出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(Pug)

猫もたくさんいますよ。毛がふさふさしているペルシャ猫や、

出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(Persian cat)

えさを落としたのでしょうか?後ろを振り向いているようなしぐさの子熊、

インペリアル・ポーセリン出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(Teddy bear)

そして、本物と見間違えてしまいそうな「セキセイインコ」などもあります。

インペリアル・ポーセリン出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(Budgerigar)

 

5)民俗学的な資料としての価値も高い!「ロシアの民族人形」

インペリアル・ポーセリン出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(Sculpture of the People of Russia Estonian woman)

インペリアル・ポーセリンには、民族調の絵柄の食器だけでなく、広大なロシアに住むさまざまな民族の人々を忠実に写した民族人形もあります。

その製造の歴史は古く、ロシアでは19世紀の中ごろから20世紀初頭にかけてインペリアル・ポーセリンだけでなく、モスクワ近郊にあった「ガルドネル磁器工場」など、いろいろな窯で作られていました。

インペリアル・ポーセリンでは1910年代ごろに74体ものさまざまな民族の人形が作られ、それは現在、エルミタージュ美術館や民俗学博物館でご覧になれます。

体の構造だけでなく、顔の比率や肌の色、髪の色なども細部にこだわって作られていて、民俗学的にも価値のある作品となっています。

2000年代に入り、インペリアル・ポーセリンはこの民族人形を復刻しました。冒頭で紹介した写真の人形は、エストニアの女性です。

また、下記の写真はクリミア半島に起源をもつ「クリミア・タタール人」女性のフィギュリン。冒頭のエストニア人の女性とは衣装が大きく異なりますよね。

インペリアル・ポーセリン出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(Sculpture of the People of Russia Crimean Tatar)

また、下記は、現在は中央アジアのトルクメニスタンに多く住んでいる「トルクメン人」のフィギュリン。伝統的な民族衣装である「ドン」を着用しています。ロシアはいろいろな民族が重なり合う国ということがよくわかります。

インペリアル・ポーセリン出典:インペリアル・ポーセリン本国公式サイト(Sculpture of the People of Russia Turkmen)

 

いかがでしたか?

インペリアル・ポーセリンは代表作のコバルト・ネット以外にもいろいろな種類があります。4000種類以上の商品を展開しているので、ぜひ一度、本国サイトを覗いてみてください!

激動の時代を生き抜いてきた窯だからさまざまなテイストやシェイプの食器やフィギュリンがあります。ロシア語がわからなくても、商品の写真を見ているだけでも楽しいですよ!

 

この商品をストアで見るインペリアル・ポーセリン(ロモノーソフ)

  

参考資料

※「インペリアル・ポーセリン」という名称の表記について:

当サイトでは「インペリアル・ポーセリン」という表記を採用しています。「インペリアル・ポーセレン」という一文字違う表記も存在しますが、このブランド名のロシア語正式名称に「ポーセレン」という表記や発音が存在しないこと、また、このブランド名の英訳であり、ロゴマークにも採用されている「porcelain」は日本語では「ポーセリン」と表記されるのが一般的であるため、「ポーセリン」を採用しています。

インペリアル・ポーセリン本国公式サイト

https://www.ipm.ru/news/vladimir_putin_vybral_dlya_podarka_serviz_ot_imperatorskogo_farforovogo_zavoda/

The State Hermitage Museum

Christie’s

The Official State Hermitage Hotel

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「すぐわかるヨーロッパ陶磁の見かた」(東京美術)

「TRANSIT 27号」(講談社)