ロワール川に広がる古城地帯の起点にある街
ジアンは、フランスの中央を占めるサントル・ヴァル・ド・ロワール地方にある人口1万6千人ほどの緑豊かな小さな町です。
この地方からフランス西部のナントに至るまでのロワール川流域の広大なエリアは、数十の古城がひしめき、世界中から観光客が訪れる歴史豊かな地域で、ユネスコの世界遺産にも登録されています。
ジアンは、この古城地帯のロワール川上流の起点となる街であり、ロワール川の河岸に突き出た、周囲になだらかな農村地帯が広がる風光明媚な街です。
自然豊かな場所でありながら、パリからは電車でたったの1時間半の距離のため、古くから王侯貴族の狩猟場として知られ、現代でもパリから週末を過ごしに来る人も少なくないんだとか。
この豊かな土壌と温暖な気候をたとえて、ロワール地方は「フランスの庭」と呼ばれます。
食材も豊富で、ロワール川でとれるウナギ、川ニシン、スズキなどの川魚、鴨、野うさぎ、イノシシといったジビエ料理も有名ですが、焼きたてのパンに豚肉や鴨といった惣菜を挟んで食べるフアス(Fouace)や、カラメル風味のアップルパイであるタルト・タタン(Tarte Tatin)といった素朴な郷土料理も是非、味わってみてください。
出典:Quand Ju'lie Pâtisse(フアス)
ジアンの歴史と見どころ
ジアンの街でも特に目を引く建物は、ジアン城(Château de Gien)です。
この城は、1483年から1491年まで、実弟であったシャルル8世の摂政として政治をささえた、ルイ11世の娘アンヌ・ド・ボージュ―によって改修され、中世とルネサンスの様式を併せ持つこの建物となりました。
出典:Wikipedia(アンヌ・ド・ボージュー)
その後、1562年から1598年まで、フランス内で旧教(カソリック)と新教(ユグノー)が争った宗教戦争の最中には、ユグノーの拠点のひとつともなりました。
さらに、1652年には、フランスにおける貴族の最後の反乱であり、これの失敗により、その後の絶対王政の確立にもつながったフロンドの乱の際には、命からがらパリを落ち延びた幼いころのルイ14世が母とともに避難したものこの城でした。
長い歴史をもつこのジアン城も、現在は、「国際狩猟博物館」として使用されており、王侯貴族に使用された豪華な銃のコレクション、狩猟テクニックの展示、狩猟にまつわる絵画などをみることができます。
また、ジアン城の隣には、ジャンヌ・ダルク教会 (Eglise de Jeanne d'Arc)があります。
1339年から1453年まで、イギリスとフランスが王位継承権とフランドル地方の領有権を巡って争った百年戦争の際に、イギリス軍に包囲されて陥落寸前であったオルレアンは、ここジアンからは車で1時間ほどの距離にあります。
この街を解放したことが、その後のジャンヌ・ダルクの活躍の端緒となり、その後、ジャンヌ・ダルクは、シャルル7世をフランス国王として迎える戴冠式を行うため、この教会を出発点としてランスへ軍を向かわせたのです。
ジアンの陶器工場
さて、ジアンには街の名前と同じ、日本でも知る人ぞ知るジアンというブランドの陶器会社の工場があり、陶器の街としても知られています。
もっとも、その歴史は、16世紀から陶器の製造をはじめたルーアン、17世紀に軟質磁器の製造に成功したサン・クルー、18世紀に隆盛を極めたシャンティイ・ヴァンセンヌなど、他のフランス各地の窯とくらべて古いものではありません。
ジアン焼は、1821年に、イギリス人実業家トマス・エドム・フルムが、ジアンに製陶工場を開業し、これがジアン焼(Faïencerie de Gien)の発祥となっています。
もっとも、開窯が遅かった分、研究熱心であったこともあるかも知れませんが、これら先行した各地の窯の技法だけでなく、ルネサンスや東洋的な絵柄も取り入れて、多種多様なデザインを提供しています。
また、ジアンの焼きは、磁器に近い硬度が特徴の一方で、陶器本来の温かみの上に描かれたバラエティに富む図柄は、多くの愛好者に親しまれ、同社は、現在に至るまで、フランスを代表する陶器会社として世界中で高い評価を受けています。
ロアール川を正面にして右側に進み、大型スーパーその前を通ってしばらくするとジアンの陶器工場があり、工場に隣接するブティックでは、1級品と遜色のない2級品などが安く売っており、フランスの代表的な陶器をお得な価格で手に入れることができますよ。