アウガルテンは、その正式名称を「ウィーン磁器工房アウガルテン(Wiener Porzellanmanufaktur Augarten)」といいます。
マイセンに次ぎ古い歴史をもち、神聖ローマ帝国の皇帝を世襲したハプスブルク家の庇護をうけて発展した由緒正しい窯ですが、その出自のわりに、マイセンやウェッジウッド等の他のヨーロッパの陶磁器と比べて、日本での知名度はそれほど高くないように思います。
アウガルテンの魅力は、工房内での独自の粘土の調合と熟成が実現した滑らかで艶やかな白磁と、ハプスブルク家のお膝元でもあった芸術の都ウィーンの華やかな文化の中で生み出された様々なパターンの絵付(いまなお、すべてハンドペイントと言われます)にあります。
1710年マイセンがヨーロッパ初の硬質磁器を誕生させます。マイセンは磁器の製造方法を門外不出としていたにもかかわらず、その製法はヨーロッパ各国へと伝わっていきます。
1718年にはオーストリア・ウィーンのアウガルテン窯が磁器製造に成功し、そして、イタリアでは、1735年にトスカーナ大公国の貴族でありながら、化学・鉱物学にも造詣の深かったカルロ・ジノリ侯爵 (Carlo Ginori) がフィレンツェ郊外のセストフィオレンティーナのドッチア(Doccia)という場所に磁器窯を開きます。
ヨーロッパでは3番目、イタリアでは初の硬質磁器の誕生です。
「ナポリを見てから死ね (Vedi Napoli e poi muori)」」と言われるほど、一生に一度は訪れたい風光明媚な南イタリアの中心都市ナポリ(Napoli)。
最大の見どころは、1世紀にヴェスビオ火山の噴火により、その火砕流により2000年前の生活をそのままに、地下に埋没したポンペイやヘルクラネウム(現エルコラーノ)遺跡の出土品です。
この影響を大きくうけたのが、イギリス・ウェッジウッド社の創業者であるジョサイア・ウェッジウッド。それまで東洋陶磁器の模倣をもとに発展してきたヨーロッパ陶磁器の世界に、欧州文明の起源であるギリシア・ローマ文化の要素を取り込むことで新たな流行を産み出します。
世界に名立たる陶磁器ブランド「ウェッジウッド」社を立ち上げたジョサイア・ウェッジウッド(1730-1795)は、イングランドのスタフォードシャー、その中でも「イギリスの陶器産業の里」と呼ばれるストーク・オン・トレント(Stork-on-Trent)の、代々陶器職人を務める陶芸一家に生まれ育ちました。
ジョサイアを並みの陶芸家とは異なる存在とした出来事が、11歳の時に起こりました。