出典:Royal Copenhagen official website
イギリスの「ウェッジウッド」と並んで人気の「ロイヤルコペンハーゲン」。青と白の上品な絵柄が素敵ですよね。
「いつかはロイヤルコペンハーゲンの食器がほしいな・・・でも、シリーズがたくさんあって、正直、どれがどれだか見分けがつかない」「いろんなシリーズがあるけれど、どれが定番シリーズなの?」などと思う方もいらっしゃるかもしれませんね。
私がまさにそうでした。
そんな声にお応えして、ロイヤルコペンハーゲンを2回に分けて総力特集!
前編の今回はロイヤルコペンハーゲンの歴史や、最初に作られたシリーズの秘密にせまります。ロイヤルコペンハーゲンの中でも定番の絵柄は、1775年の創業後すぐに誕生したあるシリーズが元になっていることがわかりました。
それでは詳しく見ていきましょう。奥深きロイヤルコペンハーゲンの世界へようこそ!
磁器に関して名門一家出身のユリアーネ・マリー王太后が窯を創設
まずは工房の歴史から紐解いていきましょう。ロイヤルコペンハーゲンは、今から240年以上前の1775年、デンマークで王立の磁器製作所として開窯しました。
しかし、開窯に至るまでの道筋は平たんなものではありませんでした。18世紀初頭の1710年にドイツのマイセンがヨーロッパで初めての硬質磁器の製造に成功してからというもの、その製法はオーストリアやイタリア、フランスにも伝わり、いくつもの書籍で紹介されていましたが、実際に磁器製造をするのは困難を極めたと言われています。
鉱物学を専門とする化学者だった「フランツ・ハインリッヒ・ミュラー(Frantz Heinrich Müller、1732-1820)」も長い間、珪石・カオリン・長石を原材料として、硬質磁器の試作を続けてきましたが、書籍からの知識だけでは磁器製造にはほど遠く、小さな窯の前でミュラーは多大な時間とお金を費やしたそうです。
しかし、磁器製作の原料として必須であったカオリンが1755年にボーンホルム島(Bornholm)で発見され、次第に磁器製造の体制が整ってきます。
出典: depositphotos.com (ボーンホルム島)
1774年になってようやく、ミュラーはデンマーク初の磁器工房の開業を実行に移そうとしますが、投資家としてこの計画に興味を示すものはほとんどありませんでした。
そこで風のように颯爽と現れたのがユリアーネ・マリー王太后とその息子フレデリク王子。二人は工房の株式を購入し、財政的にミュラーをサポートしたのです。
ユリアーネ・マリー王太后は、デンマーク王室のフレデリク5世の2番目の王妃。彼女は王妃時代には目立つ存在ではありませんでしたが、夫が亡くなり、1772年に息子が皇太子になると、彼女は裏で息子を操ることで実権を握るようになっていました。
それにしても、ユリアーネ・マリー王太后はなぜ、磁器工房の開業をサポートしたのでしょうか。それには2つの理由があるようです。
1つは、中国から運ばれてくる白い磁器を自分たちの手で生み出したいという機運がヨーロッパ諸国で高まっていたこと。
当時、ヨーロッパの王侯貴族の間で、磁器は「白い金」としてもてはやされ、外交上の贈り物として重宝されていたのです。また、磁器を所有することは、自らの権力だけでなく、芸術に対する造詣の深さをアピールするのにぴったりなものでもありました。
2つめは、ユリアーネ・マリー王太后は磁器に関する名門一家の出身であったこと。
彼女の実の兄であり、神聖ローマ帝国の領邦国家の1つ「ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公」であった「カール1世(Karl I., 1713-1780年)」は、ドイツ7大名窯のひとつにも数えられるフュルステンベルク磁器工房 (1747年創業)を起こした人物。
また、彼女の姉「エリーザベト・クリスティーネ」はKPMベルリン(1763年創業)を設立したフリードリヒ2世にお輿入れをした人なのです。
兄弟姉妹で連絡は取りあっていたようですが、磁器製造の秘儀は決して明かさなかったとのこと。自分の身内が磁器で成功する姿を見て、次は私の国でも!と思ったのかもしれませんね。
そんな時代背景や兄・姉夫婦の磁器工房の名声が伝わってきたこともあってか、後のロイヤルコペンハーゲン(Royal Copenhagen)の元となる「デンマーク王立磁器工房(The Royal Danish Porcelain Manufactory)」が1775年に開窯されました。
最初の工房は郵便局を転用したもので、磁器製造に関して50年間の独占権が与えられたそうです。
ブランドマークの波線は、デンマークを囲む3つの海峡を表す
出典:Royal Copenhagen official website
ロイヤルコペンハーゲンのロゴには3つの波線があります。これがどのような意味を持つか知っていますか?
工房のブランドマークの波線は、デンマークを囲む3つの主要海峡である「エーレスンド海峡(Øresund)」、「大ベルト海峡(Storebælt)」、「小ベルト海峡(Lillebælt)」を表しています。これはユリアーネ・マリー王太后の発案。
この3つのブルーのラインは、ロイヤルコペンハーゲンの高いクオリティやクラフトマンシップの証として、今もすべての同ブランド製品に描かれています。
出典:Wikipedia(デンマーク)
デンマークの地図を見ると、ユリアーネ・マリーが海峡をブランドマークにしたこともうなずけます。
デンマークは日本と同じように、海に囲まれた国。実は17~18世紀にかけてデンマークは海運の隆盛期であり、黄金期でもあったのです。
エーレスンド海峡はスウェーデンとの境、大ベルト海峡はバルト海と北海を結ぶ主要航路、小ベルト海峡はユトランド半島とフュン島の間の海峡であり、この3つは他国との貿易のための重要な拠点だったのです。
3本の波線に加えて、忘れてはならないのが王冠の刻印。工房がデンマーク王室と関係があることを強調するために施されました。
この王冠は時代とともに変化しているため、ロイヤルコペンハーゲン製品の足跡を知ることができます。年代ごとに比べてみるのも楽しいかもしれませんね。
「フローラ・ダニカ」―それはマイセン、ウェッジウッドと並ぶ、世界三大ディナーサービスの1つ
出典:Rosenborg Castle(ローゼンボー城に納められている、フローラ・ダニカのオリジナル作品)
ロイヤルコペンハーゲンと言えば、ブルー&ホワイトの食器というイメージをもつ方がほとんどかもしれませんね。しかし、世界に誇る食器シリーズも生み出しているのですよ!
それは「フローラ・ダニカ」という、植物を精巧に描いた食器セットです。
出典:The Royal Collection Trust(Flora Danica Tureen before 10 Mar 1863)
その芸術性と技術力の高さから、マイセンの「スワン・サービス」、ウェッジウッドの「フロッグ・サービス」と並んで、世界三大ディナーサービス(食器セット一式)に数えられています!
この「フローラ・ダニカ」はロイヤルコペンハーゲンの創立初期にフレデリク王子が当時、親交の深かったロシアの女帝エカテリーナ2世に献上するために作られたディナーサービスなのです。
ちなみに、ウェッジウッドの「フロッグ・サービス」はロシアのエカテリーナ2世が注文した食器セットであることをご存じでしたか?
現在、世界三大ディナーサービスと呼ばれている食器セットののうち、2つがエカテリーナ2世のために作られたものであるとは、よほど陶磁器に魅せられていたことがわかりますね!
「フローラ・ダニカ」はその絵柄が非常に特徴的。
ふんだんに金を用いていてその豪華さもですが、何がすごいって「フローラ・ダニカ植物図鑑」(1761年初版)に収録された植物を一点一点、すべて手作業で精緻に描いているのです。
植物図鑑の絵を忠実に再現しているので、食器にはその根っこまで描かれているほど。普通の花柄の絵だと根っこはさすがに書きませんよね。
さらに、その数1802点以上という膨大な数の磁器すべてに異なる種類の植物を描き、それぞれの植物のラテン語の学術名を記してあるというから驚き!
「磁器製の植物図鑑」といっても過言ではないほどの作品なのです。
話は少しそれますが、食器に描かれた「フローラ・ダニカ」の絵柄もすごいけれど、デンマークの野生植物をくまなく網羅し、細かい部分まで描写した「フローラ・ダニカ植物図鑑」(1761年初版)もまた、すごい本なんですよ。
上記の写真の下のほうに注目してください。
先に述べたように、植物の根っこも書いてありますね。根っこの下には、花びらや葉っぱの形などを細やかに描いているだけでなく、大きさを比較できるように並べてあり、かつ物差しまで描かれています。
この図鑑の発刊の目的は、有益な植物と人間には毒となるような害のある植物を区別し、世の中に知らしめるためだったそう。写真がなかった時代に、この植物図鑑はとても貴重なものだったのでしょうね。
「フローラ・ダニカ」は、ドイツのニュルンベルクから招かれた絵付師ヨハン・クリストフ・バイエルが絵付を命じられ、約12年間に1802点もの作品が生まれました。
満足な照明もない時代に、緻密な描写を続けたためか絵付師バイエルは、失明することになってしまいます。
「フローラ・ダニカ」がもう間もなく完成という1796年にエカテリーナ2世が他界。そのため、オリジナルの作品がデンマークに残ったと言われています。
現存するオリジナルの「フローラ・ダニカ」ディナーセット1530点は現在、クリスチャンボー宮殿(Christiansborg Palace)、アマリエンボー宮殿(Amalienborg Palace)、ローゼンボー城(Rosenborg Castle)などにデンマークの国宝として保管され、この絵柄の食器は現在もデンマークの公式晩餐会で使用されています。
実は、この「フローラ・ダニカ」は現在も手に入れることができるんです!
完全オーダーメイド制で、約3000種類の植物、40種類もある食器のフォルムの中から自分好みに組み合わせて、世界に一つだけの食器を作ることができるのです。
自分が好きな絵柄、好きなフォルムのカップで飲むお茶は格別の味わいでしょうね!
絵柄の原点は、別名「パターンno.1」と呼ばれる「ブルーフルーテッド・プレイン」
「ブルー&ホワイト」の食器好きな方、大変お待たせいたしました!ここからは、ロイヤルコペンハーゲンの「顔」と言っても過言ではない絵柄の歴史について紹介します。
ロイヤルコペンハーゲンで一番スタンダードな絵柄のシリーズ、それは、「パターンno.1」と呼ばれる「ブルーフルーテッド・プレイン」です。
「パターンno.1」とは、ロイヤルコペンハーゲンにおいて、最初に作られた絵柄(英語では“パターン”と呼ぶ)という意味。ユリアーネ・マリー王太后がロイヤルコペンハーゲンを設立した1775年に誕生しました。
「ブルーフルーテッド・プレイン」シリーズの製品の裏にはすべて、最初の絵柄であるという証の「1」が描かれています。
この絵柄が発表されて以来、今日まで240年以上、その絵付技術は師匠から弟子へ脈々と受け継がれています。そうです、今日も「ブルーフルーテッド・プレイン」の絵柄はすべて手作業で絵付けされているのです。
「ブルーフルーテッド・プレイン」の絵は、中国の青い染付の皿にインスパイヤされたものだった
「ブルーフルーテッド・プレイン」など、ロイヤルコペンハーゲンのブルー&ホワイトの器は、なぜ、こんなにも私たちの心をとらえて離さないのでしょうか。
主な理由は「ブルーフルーテッド・プレイン」が中国の染付の皿(白地にブルーで絵付してある皿)にインスパイヤされ、発展したものだからではないかと思います。
日本にも有田焼に代表されるように、青と白の皿が多く、日本人になじみがある色合いなので、魅了されてしまうのかもしれませんね。
ロイヤルコペンハーゲンの本国公式サイトには、絵付の参考にした(かもしれない)中国の染付皿の例がありました。
※注:同サイトにおいて、上記の皿は「中国製のブルーで描かれた皿」として紹介されており、厳密にはこの皿が元になったとは言及していません。
ロイヤルコペンハーゲンの現在の「ブルーフルーテッド・プレイン」の皿と見比べてみてください。
花の配置、4分割されている絵付や枝・葉のあしらい方、似ていませんか?
時を重ねるにつれ、花が徐々に中国風から西洋風に変化し、定着
マイセンの有名な「ブルー・オニオン」柄も中国の染付の皿の絵柄にインスパイヤされて、西洋風に進化しました。
マイセンの絵付師が参考にしたと言われる中国製の皿に描かれていたのは、福や子孫繁栄を象徴する「ざくろ」。
しかし、当時のヨーロッパの人にはなじみのない果物。ざくろの丸い形から「玉ねぎ」と勘違いしたことから「ブルー・オニオン」柄と呼ばれるようになりました。
ここ、ロイヤルコペンハーゲンでも同様に、中国風の絵付が徐々に西洋風に変遷していったようです。それは「ブルーフルーテッド・プレイン」の中央に位置する花に注目することでよくわかります。
中国では当時、菊の花が人気のモチーフでした。なぜなら、特に菊、竹、梅、蘭の4つはその気高い美しさから「四君子」と呼ばれ、清らかさや高潔さの象徴だったから。
中国の染付の皿を参考にしたロイヤルコペンハーゲンの皿の花も、最初は中国の皿に描かれたものに近かったのに、時を経るにつれて徐々に西洋化していき、1800年代初頭にはすでに現在の花の絵に近い形になっています。
比較するとその変化がよくわかります。1776年ごろの花は、花びらも葉も確かに菊のようにとがっていますが、1810年の花は、全体的に丸みを帯びています。
<1776年ごろの花の形>
<1810年ごろの花の形>
現在の花のモチーフは、ヨーロッパの方には菊よりもなじみのある、北欧原産の「キジムシロ」に近いものとなっているようです。
「ブルーフルーテッド・プレイン」、その名前の由来は?
さて、「ブルーフルーテッド・プレイン」という名前は、何に由来するのでしょうか。その由来は諸説あるようです。
「ブルーフルーテッド・プレイン」は、デンマーク語では「Musselmalet」と呼ばれ、英語では「clam-painted」、日本語では「2枚貝に描かれた」という意味です。
英語での呼び名「フルーテッド(Fluted)」は、「波型の」「溝付きの」という意味。いずれも貝殻の表面のひだを表した呼び名です。
「貝」がキーワードであることはわかりますが、さらに詳細についてはどの説が正しいか、今となってははっきりとは言えないようです。
例えば、上記のようにその名前は「波打ったような、貝殻のシェイプを表す」という形状に由来するという説もあれば、ロイヤルコペンハーゲンにおいて重要な役割を果たしたアートディレクター「アーノルド・クロー(Arnold Krog、1856-1931)」(重要人物なため、後述します)は、その名前は「貝から採れるコバルトブルーの色に由来する」と言ったそう。
なぜなら、コバルトブルーの色は別名「ムラサキイガイ(mussel)の色」だと呼ばれているから。
まあ、どの説でも、ブルーフルーテッド・プレインの美しさは変わりませんけどね!
ロココ調、新古典主義など、時代に合わせて変化したデザイン
出典:Royal Copenhagen official website
長く続いている老舗ほど、その時代に合わせて少しずつその形を変えているもの。ロイヤルコペンハーゲンも同じです。
時代の流行に合わせていろいろな作品を作っていることも、ロイヤルコペンハーゲンが240年以上にわたって世界中で愛され続けている理由の1つではないでしょうか。
上記の写真は、ロイヤルコペンハーゲンの設立初期である1785-1800年ごろに作られた作品。中央のものはフルーツボウル、下の部分にあるのはオイルやマスタードなどの入れ物です。ロココ調の曲線が美しく優雅ですね!
その後、1790年代になると、古代ギリシャやローマの建築や美術にインスピレーションを受けた「新古典主義」が流行し始めます。
ロココ調の優雅な曲線とは異なり、直線的で古代ギリシャやローマの神殿にあるような歯型の飾り(下記写真の蓋の縁部分)をつけるなど、それまでの時代とは全く異なる様式で作品を生み出しています。
出典:Royal Copenhagen official website
「ブルーフルーテッド」に新たな息吹を吹き込み、パリ万国博覧会グランプリに導いた男「アーノルド・クロー」
出典:Royal Copenhagen official website(アーノルド・クロー作 花を飾るための鉢、1886年)
開窯当初から製造されてきた「ブルーフルーテッド」シリーズではありますが、この価値を一躍高め、世界的な名声を勝ち得るまでに洗練させたのは、アートディレクターとして任命された「アーノルド・クロー」です。
彼は、釉薬の下に絵付けを施すアンダーグレイズ(下絵付)に使用できる色彩の開発に成功し、それまでは難しかった、風景画や自然界を描写した装飾を可能としました。
ちなみに、グレイズとは“釉薬(ゆうやく)”で、生地の上にかけガラス化することで、陶磁器を強化し、汚れや水漏れを防止するコーティング剤としての役割があります。
従来のアンダーグレイズでは、素焼の生地表面が荒いため、繊細な絵付けが難しく、また本焼きの高温に耐えられる絵の具が限られるため色鮮やかな描写が難しかったのですが、その欠点を克服し、1889年のパリ万博ではグランプリを獲得。
ロイヤルコペンハーゲンの名を世界にとどろかせました。ロイヤルコペンハーゲンがそれまで培ってきたすばらしいデザインだけでなく、高い技術力・開発力もあってこその受賞だったということがわかります。
また、アーノルド・クローは、1700年代に流行していたブルーフルーテッドシリーズにインスパイヤされ、上流中産階級の食事のスタイルに合う食器セットのデザインを生み出します。
さらに、それまではデザートのための食器しかなかった「ブルーフルーテッド・ハーフレース」のラインナップを広げ、「ハーフレース」の食器セット一式をデザインしました。
メガ、プリンセス、パルメッテ、フルレース・・・これらのシリーズは、何がどう違うの?
すでにご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、メガ、プリンセス、パルメッテ、フルレース、この4つはすべてロイヤルコペンハーゲンの「ブルー&ホワイト」の食器のシリーズ名。
でも、ロイヤルコペンハーゲンにはたくさんのシリーズがあって、各シリーズの特徴まではよくわからない方も多いかもしれません。
私がまさにそうでした。これを解明すべく、本国公式ウェブサイトと日本の公式ウェブサイトの両方を読み込んだうえで、私の独断と偏見で整理してみました。異なる観点からの整理もあるかもしれませんので、これはあくまで一例としてとらえてくださいね。
まず、ロイヤルコペンハーゲンのシリーズは大きく3つにわけると理解しやすいと思います。
- ブルーフルーテッド
- ブルーフルーテッドのアレンジ系
- その他
そのうえで、それぞれのカテゴリの中は以下のように分類すると理解しやすいと思います。
上記はあくまで私が独断と偏見で分類し、整理したものの全体像です。歴史編が長くなりすぎたので、各シリーズの特徴は後編で紹介します。お楽しみに!
19世紀になってからは経営が大きく変遷
今度は近世のロイヤルコペンハーゲンの歴史を見てみましょう。
王室窯として開窯にこぎ着けたロイヤルコペンハーゲンですが、18世紀末から19世紀初めにかけておきた、フランス革命やナポレオン戦争による王制・貴族制の崩壊と新興市民層の勃興、イギリスでの産業革命による経済競争の到来等の波をうけます。
デンマークも1848年には立憲君主制(憲法によりその権力の行使が制限された君主制)となり、1868 年にはロイヤルコペンハーゲンも、ロイヤルの称号は残したまま、経営は民間に委ねられることになります。
その後、1882 年には、ロイヤルコペンハーゲンは、ファイアンス(錫釉陶器)工房のアルミニア社(Aluminia)に買収され、その拠点をコペンハーゲンの中心地にあるフレゼレクスベア(Frederiksberg) に移します。
近年では1972年に、同じくデンマークのコペンハーゲンに本社を置く銀器ブランドの「ジョージ・ジェンセン(Georg Jensen)」に買収されたのち、1985年には王室御用達ガラスブランド「ホルムガード(Holmegaard)」、1987年にはデンマークで2番目に古い磁器工場「ビング・オー・グレンダール(Bing & Grøndahl)」と合併することになり、これらデンマークを代表するテーブルウェアブランドとともに、「ロイヤルスカンジナビア(Royal Scandinavia )」グループを形成するようになります。
しかし、このグループも、投資ファンドに売却されたのち、2012年からは、イッタラやアラビア、ロールストランドなどの北欧ブランドのほか、ウェッジウッド、ロイヤルドルトン、ロイヤルアルバートなどの有名ブランドを多数抱えるフィンランドの老舗企業グループ「フィスカース(Fiskars)」に買収され、現在に至っています。
ロイヤルコペンハーゲンの商品の生産は現在、大部分はタイに移されていますが、その変わらぬ技術力と芸術性の高さで世界中の愛好者を魅了し続けています。
いかがでしたか?
ロイヤルコペンハーゲンのそれぞれのシリーズの特徴や歴史については、後編(人気シリーズ紹介編)で詳しく紹介します!
情報に埋もれて見逃していたお気に入りシリーズに出合えるかもしれませんね。どうぞお楽しみに!
この商品をストアで見る→ロイヤルコペンハーゲン
参考資料
Royal Copenhagen official website(English)
The Royal Łazienki Museum(in Warsaw:English)
The Royal Collection Trust(English)
『すぐわかる ヨーロッパ陶磁の見かた』(東京美術)
『NHK美の壺 洋食器』(NHK出版)