リュネヴィルのシンボルと特産品
フランスの北東部、ルクセンブルク・ドイツと国境を接するロレーヌ地方にあるリュネヴィル(Lunéville)という人口約2万人の街。パリからは電車で1時間半ほどで到着します。
出典:depositphotos.com(リュネヴィル)
ロレーヌ地方には、他にも、「カフェオレボール」で有名なでディゴワン・サルグミーヌ焼きのサルグミーヌ(Sarreguemines)の街や、19世紀末から20世紀初頭にヨーロッパで開花した美術様式「アール・ヌーヴォー」の発祥の地のナンシー(Nancy)という街もあります。
そんなリュネヴィルの特産は、カラフルで楽しい陶器やオートクチュールール刺繍(ビーズやスパンコールを使用した高級注文服用の刺繍)として有名なリュネヴィル刺繍。
ちなみに、王室御用達の高級クリスタルブランドとして有名なバカラ(Baccarat)も車で約30分の隣町にあります。
このあたりは、芸術的な製品の産まれる土地柄なのかもしれませんね。
出典:Textile Research Center(リュネヴィル刺繍)
ちなみに、リュネヴィルの古い地名は女神への太古の信仰からルナエ=ヴィラという月を意味し、街の名前は10世紀頃から登場します。
17世紀には、ロレーヌ地方の小ヴェルサイユ宮殿とも呼ばれるリュネヴィル城(Château de Lunéville)が築かれました。
このリュネヴィル城はロレーヌ公レオポルドがヴェルサイユ宮殿にならって建設し、「国王付画家」の称号も得たフランス古典主義の巨匠ジョージ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour、1593-1652)など芸術家も多く滞在しました。
出典:Wikipedia(「いかさま師」ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作)
しかし、残念ながら2003年の火災で損害を受けて現在も修復を続けています。現在このお城の中にリュネヴィルの刺繍学院もあり、リュネヴィルの街の大事なシンボルは引き続きリュネヴィルの市民に愛されています。
リュネヴィル窯とサン=クレマン窯の歴史
リュネヴィル焼きは、1711年ジャック・シャンブレット(Jacques Chambrette)がロレーヌ地方のシャンピニュール (Champigneulles)という街に工場を作ったところから始まります。
その後、1722年にその息子のジャン・シャンブレット(Jack Chambrette)が、リュネヴィルの地で陶器の売買をはじめ、1728年に王室勅許を得て工場を設立。
当初はロレーヌの領主や貴族の為の高級な食器を主に生産していましたが、イギリス陶器を研究し、ロレーヌ焼き(terre de Lorraine)と呼んだ新しい炻器を開発し、1749年にはロレーヌ公の王室食器として認定されています。
この頃の発展で、フランスに加え、ドイツ、イタリア、ポーランドへの輸出も行い、1753年には既に約200人の陶工が働いたそうです。
一方で、実は、この工場があったロレーヌ地方はロレーヌ公国として長い間独立を維持してきたものの、フランスへの輸出には高い関税を課せられていたため、ジャン・シャンブレットは1758年に近郊でフランス領内のサン=クレモン(Saint-Clément)に第2工場を設立します。
この拡大戦略は、ルイ14世時代の財政難を背景として、金銀の食器ではなく、陶器を使うようになった時代の波にもうまく乗り、2つの窯を併せた、リュネヴィル・サン=クレマンの名で知られるようになります。
創業者の死後は分裂、合併したふたつの窯
しかし、創業者であるジャン・シャンブレットの死後、この2工場は分裂。
サン=クレモン窯の方はロレーヌ生まれのフランス人建築家リチャード・ミーク(Richard Mique)に買収されてしまいますが、「ルイ16世」スタイルを確立させ、マリー・アントワネットの離宮とも呼ばれるヴェルサイユ宮殿のプティ・トリアノン離宮の庭に200以上の作品が飾られました。
サン=クレマン窯はより高級オーナメントなどアーティステックな方向性に向かうのです。
出典:Wikipedia(マリー・アントワネット)
一方の、リュネヴィル窯は一旦、シャンブレット家が相続したものの、すぐに経営難に陥り、1785年には経営破たんしてしまいます。
その後、リュネヴィル窯は、ドイツ人のセバスチャン・ケラー(Sébastien Keller)が買い取り、その息子の代になってゲラン(Guérin)氏が経営に参加、「K&G」の刻印が使われるようになるのはこの頃です。
出典:Wikipedia(K&Gの刻印)
1892年にほぼ100年の時を経てサン=クレマン窯とリュネヴィル窯はKeller & Guérin社のもと一つになりますが、1922年にバドンヴィレ(Badonviller)やサルグミーヌ(Sarreguemines)と合併などを経て、1981年にリュネヴィル窯は閉鎖しています。
出典:Wikipedia(リュネヴィル窯、1892年)
サン=クレマン窯は何度かの買収を受け、現在は2012年Les Jolies Céramiques社の一部門として、変わらぬ優美さと繊細さを追求し続けています。
リュネヴィル焼きの特徴
リュネヴィル焼きの特徴は優しい中にもカラフルな色合い。また、チューリップの花や植物、動物、人々などをモチーフにした作品が多くあります。
出典:Britannica.com(リュネヴィル陶器)
また、王室も魅了したオーナメントの陶器も面白いですね。他にもテーブルウェアだけでなく多くの陶器作品が作られたこともリュネヴィル焼きの特徴と言えるでしょう。
アール・ヌーヴォーの影響はサン=クレマン窯にも多くの影響を及ぼしました。ガラス陶芸家で陶芸家具でも有名なナンシー出身のエミール・ガレ(harles Martin Émile Gallé、1846-1904)とのコラボレーションの作品は世界博覧会で金メダルにも輝いています。
出典:saleroom.com(サン=クレマン窯とエミール・ガレのコラボ作品)
他にも、バルボティンヌ(Barbotine、フランス語で”でこぼこ”の意味)というマジョリカ焼きの陶器のコレクションなどもあり、多種多様な造形にとんでいます。
出典:Wikipedia(リュネヴィル窯のマヨリカ)
リュネヴィルでは、現在リュネヴィル陶器の体験や見学買い物ができる施設がいくつかあります(要予約)。
ロレーヌ地方では、リュネヴィル陶器はとても大切な存在。伝統を守ロレーヌ地方の人々は、お客様をおもてなしする時に、このリュネヴィル陶器が食卓に今でも登場しているそうです。