ボーヴェ(Beauvais)へのアクセスと観光スポット
パリから北へ80kmほどの、オー・ド・フランス地域圏、オワーズ県の県庁所在地であるボーヴェには、パリ北駅から列車で1時間20分程で訪れる事ができます。
観光スポットとしてまずお勧めするのは、街のちょうど中心にある未完のサン・ピエール大聖堂でしょう。
12〜13世紀フランスではゴシックの大聖堂が次々と建てられ、その高さが競われました。
そんな頃サン・ピエール大聖堂は建てられ、天井高48mに及ぶ世界一の高さを有する巨大聖堂となりました。
出典:depositphotos.com(サン・ピエール大聖堂)
しかし建築手法に無理があり1284年大崩壊。
その後も度々崩壊を繰り返し、現在は内陣と翼廊のみの姿をどうにか止めています。また大聖堂内にある19世紀製造の美しい天文時計も必見です。
出典:depositphotos.com(天文時計)
古代ローマ時代には既に町が築かれ繁栄したと言われるボーヴェ。
しかし、14・15世紀に英仏が争った百年戦争時にはイングランド軍に包囲され、また、第二次世界大戦時には旧市街約80%が破壊され、中世やルネサンス期の重要建築物の多くが焼失するなど、ボーヴェは常に時代に翻弄されてきました。
しかしそんな激しい歴史を乗り越えてきた街を、しっかりと見守るかのように佇む大聖堂の姿は、見る者を圧倒し、約800年という途方も無い長い時を経たその姿に、何か心が突き動かされることでしょう。
またオー・ド・フランス県といえば、ボリュームたっぷりの郷土料理もぜひお楽しみください。
フィセル・ピカルド(ハム、マッシュルーム、クリームソースの入ったクレープ)、鴨のパテのパイ包み、ウサギとスモモの煮込みなど美食家を唸らせる郷土料理が数々と並びます。
約2000年前から始まったボーヴェの陶器生産
はるか昔、ボーヴェでは85kmに及ぶ長大な地層の浸食が起こり、そこから陶器生産に欠かすことの出来ない豊かな粘土が採掘されました。
その種類は赤・紫・ベージュ・ダークグレー、、、と多岐に渡り、まさに陶器生産には絶好の場所となったのです。
実際、フランスルネッサンス期を代表する陶工ベルナール・パリシーも、このボーヴェの豊かな粘土層を称賛したと言われています。
このような肥沃な大地の恩恵を受け、ボーヴェでは2000年前から陶器生産がなされていた記録があります。なんと1世紀のボーヴェの陶器はすでに高品質を確立していたと言われています。
単色素材に幾何学模様が彫られた鉢型デザインが主流だったボーヴェ陶器。時代と共に、形状や薄さ、デザイン、製法は進化を繰り返しました。
そして、15世紀になる頃には、1200度前後の高温で焼き上げる精巧なボーヴェ陶器はフランスで大流行を巻き起こし、王貴族の間でも度々使用されるようになりました。更には、海外にも多く輸出されていったのです。
出典: La Mesure de l'Excellence (ボーヴェ陶器)
このようにボーヴェは地理的恩恵によって、フランスの歴史において最も古くから陶器生産が開始された土地の一つです。
ぜひ、その果てしなく長い歴史の中で紡がれた陶器の世界と、中世建築を肌で感じてみてはいかがでしょうか。
才人たちを魅了したボーヴェ焼き
また、ボーヴェの豊かな土壌は、個性的な芸術家・ジュールス・クロード・ジーグラー(Jules Claude Ziegler 、1804 - 1856)も生み出しています。
出典:wikivisually.com(ジュールス・クロード・ジーグラー)
いかにも巨漢で、鬱蒼たる黒髪、溢れんばかりの生命力を感じさせる強い眼光。そんなユニークな風貌が印象的なジーグラー。
彼はフランス東部ラングルに生まれ、法律を志していました。しかし彼の旺盛な好奇心はそれに止まらず、科学を学び、やがては絵画、写真、そして陶器の世界へと心酔していきます。
そんな多分野における彼の才能と並外れた探究心を「現代のレオナルドダヴィンチのようだ」と呼ぶ人もいます。
そして30歳頃より、ボーヴェ近郊の今は無き小さな村ヴォワザンリューで花瓶を中心とした陶器生産を任されるようになります。
彼はボーヴェらしい古典デザインのスタイルを貫き、当時発明されたばかりだったダゲレオタイプの写真技術を使って、ボーヴェ陶器カタログまでも作った第一人者と言われています。