自然溢れるバドンヴィレの町
フランスの北東部ロレーヌ地方、グラン・テスト圏のムルト=エ=モゼル県にあるバドンヴィレという町。
郡庁はバドンヴィレともゆかりの深い、陶器と刺繍の街リュネヴィル。距離にして約30キロほどのところにあります。
出典:Wikipedia(バドンヴィレ市庁舎)
バドンヴィレの町は人口約1500人。大きな町ではありませんが、自然豊かな素晴らしい景観をもつ町です。
ピエール・ペルセ(Adventure Parc de Pierre-Percée)という304ヘクタールの広さをもつ湖では、自然に囲まれてサイクリングやハイキング、カヤックやバンジージャンプなど素晴らしい景色とともに楽しめます。
出典:Sitytrail.com(ピエール・ペルセ)
この一帯を含むアルザス・ロレーヌ地方は、鉄鉱石や石炭といった鉱物資源を豊富に産出するため、フランスとドイツ間で、しばしば戦争の舞台となり、時代とともにドイツ領であったり、フランス領であったり、またまたドイツ領に戻ったり、といったことを繰り返しています。
出典:Wikipedia(ロレーヌ地方)
そんなバドンヴィレの町は、第一次世界大戦中にもドイツ軍の侵攻にあい多くの犠牲をだしています。教会は完全に壊されるなど、バドンヴィレは悲劇の舞台となりました。
出典: Mairie de Badonviller (破壊された教会)
バドンヴィレ美術館とこの街を取り巻く名窯
バドンヴィレの町の特産はなんといってもバドンヴィレ焼き。訪れたいのはセラミック・ガラスアトリエ美術館(Musée-Atelier céramique et verre)。
この美術館にはバドンヴィレの作品やバドンヴィレ窯からほど近く、約3キロ先にあったペクソンヌ窯の作品も展示されています。近くには名高い窯リュネヴィル、サルグミーヌ、 サン=クレモンなどがあります。
出典: Mairie de Badonviller (セラミック・ガラスアトリエ美術館)
ペクソンヌ窯からバドンヴィレ窯へ
バンドヴィエ焼きはフェナル一家の窯から始まります。法律家であるテオフィン・フェナル(Théophile Fenal)がリュネヴィルで弁護士をしており、その後従妹と一緒にペクソンヌ窯を経営し始めます。
出典: Mairie de Badonviller(ペクソンヌ窯 の作品)
ちなみにこのペクソンヌ窯は、およそ1720年から続くロレーヌ地方で最も古い窯の一つです。1836年からニコラ・フェナル(Nicolas Fenal)がオーナーとなり、彼の死後は子供たちが引き継ぎFenal Frères(FF)という刻印が見られます。
普仏戦争後の1870年以降、サルグミーヌからの移民がペクソンヌ窯にやってきたことで技術が飛躍的にあがりました。
1898年、家族とうまくいかずテオフィン・フェナル(Théophile Fenal)は、バンドヴィエに新しい工場を作ります。これがバドンヴィレ窯の始まりです。刻印は TF (Théophile Fenal)です。
出典:http://www.infofaience.com/
このテオフィンは非常にモダンな考え方な持ち主で、前衛的な陶工に保険のようなシステムを提供しました。この頃の陶器には1色のみで、銅板からの写し絵のようなペイントが特徴的です。
出典:museebadonviller(バドンヴィレ陶器)
20世紀の初めには、エアブラシの装飾技術で複数色が使われるようになりました。
バドンヴィレ窯の最盛期
1905年のテオフィンの死後、息子のエドゥアード(Edouard)が後を継ぎます。彼は、衛生食器のセット「アール・ヌーヴォー」テーブル食器の74ピースのセット「シャンパーニュ」などまた、バドンヴィレの栄光の時代をつくりました。
出典: Mairie de Badonviller(バドンヴィレ陶器)
1921年には、エドゥアードがリュネヴィル・サン=クレモン窯も指揮するようになり、その頃の刻印は「KG」となります。
出典:http://www.infofaience.com/
しかしその後第2次世界大戦中には縮小を余儀なくされ、戦後はエドゥアードの息子、ジルベート(Gilbert)が後を継ぎ、また栄華の時代となります。1950年にはフェナルグループの窯はフランスの30パーセントを占めていたのです。
出典: Mairie de Badonviller(バドンヴィレ陶器)
1963年にはバドンヴィレ窯とリュネヴィル・サン=クレモン窯が一つとなり、1980年にはフェナルグループはサルグミーヌ窯 FSDVグループ(Faïencerie Sarreguemines Digoin Vitry-le-François)とも結びつき生産を続けます。
しかし1990年にバドンヴィレ窯はサン=クレモン窯のみを残してその歴史にピリオドを打ちました。
出典: Mairie de Badonviller(バドンヴィレ窯 の従業員)
バドンヴィレ窯の現在
2006年にサン=クレモン、ニデルヴィエ、ヴァレリスタ、ポルシュー窯(Saint-Clément, Niderviller, Vallerystahl ,Portieux)が合わせて「Faïence et crystal de France」グループとなります。現在はさらに「Terre d'Est」グループとなりこの地域の陶器を守り続けています。そして少なからずバドンヴィレ窯の世界も引き継いでいると言えるでしょう。
多くの窯との結びつきがあるバドンヴィレ窯。作品は多岐にわたりはっきりしないものも多いと言われています。
バドンヴィレには原材料のカオリンの土がなかったにも拘わらず、栄華を極めました。その背景にはフェナル一家と陶工たちの惜しみない努力があったに違いありません。
参考資料
http://www.ville-badonviller.fr/decouvrir-badonviller/la-faiencerie-fenal