ミュンヘンと ヴィッテルスバッハ家
ミュンヘン(München)は、ドイツ南部のバイエルン州の州都で、州の中では最大の都市、ドイツ全体でもベルリン、ハンブルクに次いで3番目の140万人とも言われる人口を誇っています。
街の歴史は、12世紀にまで遡り、 もともと、塩の交易路であったため、関所や貨幣鋳造、市場の街として発展します。
しかし、ミュンヘンが本格的に街として栄えるのは、1180年に神聖ローマ帝国の皇帝 フリードリヒ1世(Friedrich I 、1122-1190)によって、 家来であったヴィッテルスバッハ家のオットー1世(Otto I、1117-1183)がバイエルン大公の位を与えられてから。
以降、ミュンヘンは、第一次世界大戦まで、実に800年もの長きに亘って、オットー1世の子孫の統治するところとなります。
出典:Wikipedia(オットー1世)
このため、ミュンヘンには、バイエルン王家の宮殿「ミュンヘン・レジデンツ」や、夏の宮殿「ニンフェンブルク城」など、同家にゆかりの深い歴史建造物が多く存在しています。
出典:Wikipedia(ミュンヘン・レジデンツ、18世紀)
ちなみに、ヴィッテルスバッハ家は、ヨーロッパ宮廷一の美貌と呼ばれたエリザベート皇后や、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルとなったノイシュヴァンシュタイン城を建てたルートヴィヒ2世など、美男美女を輩出する家系として有名ですが、一方で、精神疾患の傾向を示す人も多くいたようです。
出典: Wikipedia (エリザベート)
そんなミュンヘンが最も盛り上がるのは、欧州の強豪サッカークラブのひとつ「FCバイエルン・ミュンヘン」の試合と、10月の第1日曜日を最終日とするわずか16日間に、世界中から700万人もの人が訪れる、世界一のビールのお祭り「オクトーバーフェスト(Oktoberfest)」。
出典:https://www.muenchen.de/ (オクトーバーフェスト)
そして、ミュンヘンの名物料理といえば、「プレッツェル(Pretzel)」は勿論のこと、白いソーセージ「ヴァイスブルスト(Weißwurst)」に、豚の骨付きすね肉の煮込み料理「シュヴァイネハクセ(Schweinehaxe)」などなど、オクトーバーフェスト専用の白ビール「ヴァイツェンビア(Weizen Beer)」のお供にピッタリです。
出典 : depositphotos.com(ミュンヘン料理)
バイエルン君主に愛されたニンフェンブルク宮殿
ミュンヘンの郊外にあるニンフェンブルク宮殿は、その名の通り、「妖精(ニンフ)の城」のような優美な景観をもち、バイエルン王家(ヴィッテルスバッハ家は、14世紀にバイエルン系とプファルツ系に分離)の夏の離宮として、代々の君主に愛されてきました。
豪華で洗練されたバロック・ロココ式の本宮殿と、趣向の凝らされた小宮殿が点在する広大な庭園は、世界中の多くの人々を魅力し続けています。
出典:Wikipedia(1760年頃のニンフェンブルク宮殿)
1664年、バイエルン選帝侯のフェルディナント・マリア夫妻は、長年待ち望んでいた子供の誕生を記念して、イタリア人建築家アゴスティーノ・バレッリにニュンヘンブルク宮殿の建設を命じ、その時誕生した息子、マクシミリアン2世エマヌエルによって、ほぼ現在の形が出来上がりました。
出典:Wikipedia(マクシミリアン2世エマヌエル)
後に、(1437年以降では)唯一、非ハプスブルク家出身の皇帝として、神聖ローマ皇帝カール7世となるカール・アルブレヒトをはじめ、代々のバイエルン君主たちがこの離宮を愛し、度重なる増築・改装を加え、今の姿が完成しました。
本宮殿
本宮殿は、正面の長さが700メートル以上もある広大な建物です。バロック式建築ですが、度重なる増改築により、ロココや新古典様式が見られる部屋もあります。
出典: https://www.schloss-nymphenburg.de (本宮殿)
宮殿の中央に位置する祝宴広間は「石の広間(Seinerner Saal)」と呼ばれる豪華な部屋です。
3階分以上の高さを持つ天井には、世界遺産であるヴィースの巡礼教会も手掛けた、ヨハン・バプティスト・ツィンマーマンらによるロココ調の美しいフレスコ画が描かれています。
出典: https://www.schloss-nymphenburg.de(石の広間、Seinerner Saal)
宮殿内にはその他にも、芸術愛好家で女好きでも知られたルートヴィヒ1世の「美人画ギャラリー」、ノイシュヴァンシュタイン城を建設したルートヴィヒ2世誕生の部屋などがあります。
出典: https://www.schloss-nymphenburg.de (ルートヴィヒ1世の美人画)
また、かつての厩舎であった場所は現在「馬車博物館」となっており、バイエルンの君主たちが実際に用いた馬車や橇などが展示されています。
神聖ローマ皇帝カール7世が戴冠式で用いた馬車や、ルードヴィヒ2世の豪華絢爛な橇なども見ることができます。博物館の2階は、ニンフェンブルク陶磁器の博物館になっています。
出典:Wikipedia(馬車博物館)
庭園と小宮殿
広大な庭園は20ヘクタールもあり、最初はイタリア様式で造られましたが、後にフランス様式になり、さらに19世紀には、ミュンヘン市内の英国庭園も手掛けたフリードリッヒ・ルードヴィッヒ・フォン・シュケルにより、イギリス風に造りかえられました。
庭園内には、本宮殿正面にまっすぐ1kmほど伸びる長大な運河といくつかの池、また数々の趣向をこらした小宮殿があります。
出典 : depositphotos.com(ニンフェンブルク宮殿と庭園)
そんな小宮殿の一つ、アマリエンブルク(Amalienburg)は、後に神聖ローマ皇帝カール7世となるカール・アルブレヒトが妻のマリア・アマーリエのために作らせた、狩猟のための館です。
ロココ建築の最高傑作のひとつとされるこの建物は、1734年から1739年の間に作られました。
出典: https://www.schloss-nymphenburg.de(アマリエンブルク)
自然光と鏡の反射が美しい「鏡の間」や、
出典: https://www.schloss-nymphenburg.de(鏡の間)
カール・アルブレヒト夫妻の大きな肖像が飾られた「寝室(黄色の部屋)」、
出典: https://www.schloss-nymphenburg.de(寝室)
また狩猟や祭りの様子を描いた絵のギャラリー「狩猟の間」など、
見事な内装の部屋ばかりです。銀で覆われた繊細・華麗な木彫り装飾が、ロココらしい優美さを醸し出しています。
また、アマリエンブルクの台所の壁には、当時ヨーロッパの王侯たちに非常に人気があった、オランダ産のタイルがふんだんに用いられています。
出典: https://www.schloss-nymphenburg.de(台所)
その他にも庭園内には、大理石とデルフト産タイルで造られた浴場を持つ「バーデンブルク(水浴宮)」や、瀟洒な東洋風の小部屋が美しい「パゴデンブルク(パゴダの宮)」など、かつて君主たちが公務を離れ、ひとときの休息を楽しんだ小宮殿が点在しています。
4月から10月の天気の良い日には、庭園の中央にのびる運河で、ゴンドラに乗ることもできます。
ニンフェンブルクの陶磁器
ヨーロッパでは、16世紀頃から中国より輸入された陶磁器が珍重されていましたが、18世紀に入ると自ら陶磁器を製造しようという試みが、相次いで始まりました。
1710年にマイセンがヨーロッパ初の硬質磁器を誕生させると、1719年にはハプスブルク家の皇室磁器窯アウガルテンが生まれ、 1747年にはバイエルンにおいても、選帝侯マクシミリアン3世の命により、ニンフェンブルク陶磁器工房が建設され製造が開始されました。
出典:Wikipedia(ニンフェンブルク磁器、1760年頃)
ちなみに、先ほどのアマリエンブルクを創設したカール・アルブレヒトとマリア・アマーリエの間に生まれたのが マクシミリアン3世、そして、彼に嫁いだのはマイセンの創業者アウグスト2世の孫娘マリア・アンナ・ゾフィアです。ニンフェンブルク窯の創設には、妻の陰の貢献があったのでしょうか。
出典:Wikipedia(マクシミリアン3世)
出典:Wikipedia(マリア・アンナ・ゾフィア)
今でも水車の力を利用し、1点1点手作りで作品を生み出している陶磁器工房は、ニンヘンブルク宮殿の北側の一画に位置しており、最高級磁器を生産することでも世界中に名を知られています。
出典:Wikipedia(ニンフェンブルク宮殿の一画にある工房)
参考資料
Bayerische Verwaltung der staatlichen Schlösser, Gärten und Seen