ショッピングカート

閉じる

カート内に商品がありません。

ログイン

閉じる

"city_*"の検索結果66件

「フランス宮廷の磁器セーヴル、創造の300年」(サントリー美術館・六本木)|20年ぶりに来日した豪華なコレクション

2017年11月22日より、六本木のサントリー美術館開館10周年記念、「フランス宮廷の磁器セーヴル、創造の300年」が始まったので、早速行ってきました!

今回はその見どころなどをご紹介したいと思います。

会場は「18世紀」、「19世紀」、「20世紀」、そして「現代」の4部構成になっていて、およそ300年のセーヴルの歴史を時間軸に沿って鑑賞することができます。


【NEW】ドイツ・バイエルン王室御用達ブランド「アイレス」の紅茶が新登場!
1873年、ドイツ・ミュンヘン国立歌劇場のすぐそばで 紅茶やコーヒーなどの専門店として創業したブランド「アイレス」。   その上質さから当時の王「ルートヴィヒ2世」の目に留まり、 バイエルン王室御用達になりました。   出典:Wikipedia(ルートヴィヒ2世)   ※ちなみに、ルートヴィヒ...

フィレンツェ|メディチ家とともに栄えたルネサンスの中心都市

洋食器好きなら是非、訪れたいのがメディチ家の住まいであったピッティ宮の裏手のボーボリ庭園内にある「陶磁器博物館(Museo delle Porcellane)」です。

メディチ家は偉大な芸術家のパトロンとして有名ですが、様々な美術工芸品のコレクターでもありました。

そのコレクションの1つが磁器で、この博物館ではフィレンツェの支配者であったメディチ家に対して、他のヨーロッパ諸国から贈られたセーヴルマイセンといった著名な陶磁器が収蔵されています。


コルドバ、ラ・ランブラ|イスラム教とキリスト教が混在する不思議な世界遺産「メスキータ」と銀細工の街

アンダルシアは、日本人がイメージするスペインそのもの。温暖な気候に、真っ青な太陽、白い壁の家、フラメンコ、イベリコ豚。

そして、「アルハンブラ宮殿」で有名なグラナダのように、イスラム教文化とキリスト教文化などが複数の文化が折り重なった交差点です。

コルドバもまた例外ではなく、古代ローマ帝国の属州ヒスパーニア・バエティカの首都として栄え、ローマ帝国の力が弱まると、409年にスラブ系のヴァンダル族に侵入され、その後は西ゴート王国、東ローマ帝国と、所属の変遷を繰り返しました。


歴史ある「ヴェネツィアン・レース」にインスパイアされたレース柄の器がイタリアから届きました!
  清楚なレース模様のプレートが再入荷しました! 「ゴージャスレース」「シンプルレース」どちらもありますよ♪   ※上記はシンプルレース。   これは17世紀からヴェネツィア近郊に伝わる伝統的なレースにインスパイアされたデザイン。   というのも、ラセラミカの工房があるのはヴェネツィア近郊。 ...

細やかな手仕事が美しい「アンティークレース」。レースをヨーロッパの宮廷に広めたのは「ヴェニスの商人」!
「レースカーテン」や「レーススカート」など普段の暮らしの中に溶け込んでいる「レース」。繊細なデザインが美しく、エレガントですよね。 その歴史をひもといてみて、興味深い事実を発見しました。 レースが誕生したのは紀元前の古代エジプトと言われています。その後、世界各国でレースの原型が作られまし...

リュネヴィル|オートクチュール刺繍と、鮮やかなリュネヴィル陶器をうみだす職人の街

リュネヴィルの特産は、カラフルで楽しい陶器やオートクチュールール刺繍(ビーズやスパンコールを使用した高級注文服用の刺繍)として有名なリュネヴィル刺繍。

ロレーヌ地方には、他にも、「カフェオレボール」で有名なでディゴワン・サルグミーヌ焼きのサルグミーヌ(Sarreguemines)の街や、19世紀末から20世紀初頭にヨーロッパで開花した美術様式「アール・ヌーヴォー」の発祥の地のナンシー(Nancy)という街もあります。

ちなみに、王室御用達の高級クリスタルブランドとして有名なバカラ(Baccarat)も車で約30分の隣町にあります。

このあたりは、芸術的な製品の産まれる土地柄なのかもしれませんね。


「遥かなるルネサンス」(東京富士美術館・八王子)|4人の少年がみたイタリアのルネサンスと陶磁器

先日、現在東京八王子の東京富士美術館で開催中の「遥かなるルネサンス 天正遣欧少年使節がたどったイタリア」展に行ってきましたので、その見どころをご紹介したいと思います。


王妃マリーアントワネットも愛した「布」♪ フランスの伝統的な生地デザイン「トワルドジュイ」
こんにちは!ウーバンアビーです。   「この柄、おしゃれ!どこかで見たことある。」 写真を見て、そう思った方もいるかも。   フランスのハイブランド「クリスチャン・ディオール(Christian Dior)」でも取り入れられているほど、有名な柄なんですよ。   その名は「トワルドジュイ(To...

ストラスブール|アルザス陶器を生んだ、フランス文化とドイツ文化が融合する国際都市

王侯貴族向けに格調高い陶磁器を中心に製造されたフランス北部・パリ近郊のヴァンセンヌやセーヴルとは異なり、アルザス地方で作られた陶器は、素朴な暖かさを感じさせ、フランスののどかな地方での生活を思い起こさせる優しい陶器です。

そんなアルザス陶器の製造では、ストラスブールの北東部に位置するふたつの小さな村が有名です。


ボレスワヴィエツ|ころんとした、手書きの愛らしい陶器が生まれる街

「ヨーロッパで食器や陶器が有名な国」と言うと、どこを思い浮かべますか?イギリス?それともフランス、ドイツ、いや、北欧?

実は最近、日本でひそかに人気急上昇中の食器がポーランドにもあるのです。

「ポーリッシュ・ポタリー(polish pottery)」「ポーランド食器」と呼ばれていますが、その中でも有名なのが「ボレスワヴィエツ(Boleslawiec)」。

ブランド名ではなく、ポーランド南西部にある小さな街の名前で、「ボレスワヴィエツ食器(陶器)」とはこの街で作られる陶器の総称です。

日本で言うなら、「有田焼」「美濃焼」などと同じような呼び方ですね。今回は、知る人ぞ知る陶器の街「ボレスワヴィエツ」の魅力に迫ります。


ミュンヘン、ニンフェンブルク|バイエルン君主の栄華を伝える豪奢な宮殿と伝統の最高級磁器を持つ街

ミュンヘンの街の歴史は、12世紀にまで遡り、 もともと、塩の交易路であったため、関所や貨幣鋳造、市場の街として発展します。

しかし、ミュンヘンが本格的に街として栄えるのは、1180年に神聖ローマ帝国の皇帝 フリードリヒ1世(Friedrich I 、1122-1190)によって、 家来であったヴィッテルスバッハ家のオットー1世(Otto I、1117-1183)がバイエルン大公の位を与えられてから。 

以降、ミュンヘンは、第一次世界大戦まで、実に800年もの長きに亘って、オットー1世の子孫の統治するところとなります。


クロイセン|「陶磁器街道」の一角をなす、茶褐色が美しいビアジョッキと壺の名産地

皆さんは、ドイツの「陶磁器街道」という名を耳にされたことがあるでしょうか。

グリム童話で有名なメルヘンゆかりの町をつなぐ「メルヘン街道」や、古城が点在する「古城街道」などのように、この「陶磁器街道」は、陶磁器の製造で有名な町をつないでいるルートです。

ドイツの南東部のバイエルン地方からチェコまで続く、全長550kmに及ぶこの陶磁器街道の一角に位置するのが、今回ご紹介するクロイセン(Creußen、Creussen)です。


「ヘレンド展 皇妃エリザベートが愛したハンガリーの名窯」(パナソニック汐留ミュージーアム・汐留)|ハプスブルク家の美貌の皇后が愛した名窯

2018年1月13日からパナソニック汐留ミュージアムで始まった「ヘレンド展 皇妃エリザベートが愛したハンガリーの名窯」に行って来ました。

ヘレンド窯の作品が日本で紹介されるのはこれで3回目。初回は1993年、名工の手によるマスターピースを中心に、2回目は2000年から2001年にかけてヘレンド窯とハプスブルク宮廷の関わりに焦点を当てた展覧会でした。

そして3度目となる今回は、繊細な絵付けの施された装飾用磁器や、美しい装飾の実用磁器を中心に、ヘレンド窯190年の歴史沿って精選されたおよそ230点が紹介されています。


ムルシア、トタナ|地中海近くの温暖な街で作られる昔ながらの手作り陶器と「ベレン」

ムルシアの歴史は大変古く、580年ごろには、イベリア半島の北東からこの辺りまでギリシャ人がやってきて、陶器産業を作る元となったとされています。

825年には現在の場所にムルシアという名前の都市ができており、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン2世以降は、しばらくイスラム王朝の統治下の時代が続き、この間に、陶工たちがやってきたそうです。


クレイユ、モントロー|イギリス風のフランス陶器「クレイユ・モントロー」を生んだ2つの街

1811年に、サン・クリク・カゾー(Charles Gaspard Alexandre Saint-Cricq Casaux)がクレイユ窯の経営者となり、1819年にモントロー窯を買収。

その後、工場経営を引き継いだルイ・マーティン・レベフ(Louis-Martin Lebeuf、1792-1854) とジャン・バプティスト・グラシアン・ミレー(Jean Baptiste Gratien Milliet、1797-1875)のもと 1840年には合併します。

ともにライバルとしてそれほど遠くない場所で陶器工場を営んでいたクレイユとモントローが共同で陶器を作ることとなりました。この名前は1840年から1874年まで“Lebeuf Milliet et Cie ”のマークで残ることとなります。


%H時間
%M議事録
%S
%-d日々
%H時間
%M議事録
%S
%-w週間
%-d日々
%H時間
%M議事録
%S
%H時間
%M議事録
%S
%-d日々
%H時間
%M議事録
%S
%-w週間
%-d日々
%H時間
%M議事録
%S