2017年11月22日より、六本木のサントリー美術館開館10周年記念、「フランス宮廷の磁器セーヴル、創造の300年」が始まったので、早速行ってきました!
今回はその見どころなどをご紹介したいと思います。
会場は「18世紀」、「19世紀」、「20世紀」、そして「現代」の4部構成になっていて、およそ300年のセーヴルの歴史を時間軸に沿って鑑賞することができます。
アンダルシアは、日本人がイメージするスペインそのもの。温暖な気候に、真っ青な太陽、白い壁の家、フラメンコ、イベリコ豚。
そして、「アルハンブラ宮殿」で有名なグラナダのように、イスラム教文化とキリスト教文化などが複数の文化が折り重なった交差点です。
コルドバもまた例外ではなく、古代ローマ帝国の属州ヒスパーニア・バエティカの首都として栄え、ローマ帝国の力が弱まると、409年にスラブ系のヴァンダル族に侵入され、その後は西ゴート王国、東ローマ帝国と、所属の変遷を繰り返しました。
リュネヴィルの特産は、カラフルで楽しい陶器やオートクチュールール刺繍(ビーズやスパンコールを使用した高級注文服用の刺繍)として有名なリュネヴィル刺繍。
ロレーヌ地方には、他にも、「カフェオレボール」で有名なでディゴワン・サルグミーヌ焼きのサルグミーヌ(Sarreguemines)の街や、19世紀末から20世紀初頭にヨーロッパで開花した美術様式「アール・ヌーヴォー」の発祥の地のナンシー(Nancy)という街もあります。
ちなみに、王室御用達の高級クリスタルブランドとして有名なバカラ(Baccarat)も車で約30分の隣町にあります。
このあたりは、芸術的な製品の産まれる土地柄なのかもしれませんね。
先日、現在東京八王子の東京富士美術館で開催中の「遥かなるルネサンス 天正遣欧少年使節がたどったイタリア」展に行ってきましたので、その見どころをご紹介したいと思います。
王侯貴族向けに格調高い陶磁器を中心に製造されたフランス北部・パリ近郊のヴァンセンヌやセーヴルとは異なり、アルザス地方で作られた陶器は、素朴な暖かさを感じさせ、フランスののどかな地方での生活を思い起こさせる優しい陶器です。
そんなアルザス陶器の製造では、ストラスブールの北東部に位置するふたつの小さな村が有名です。
「ヨーロッパで食器や陶器が有名な国」と言うと、どこを思い浮かべますか?イギリス?それともフランス、ドイツ、いや、北欧?
実は最近、日本でひそかに人気急上昇中の食器がポーランドにもあるのです。
「ポーリッシュ・ポタリー(polish pottery)」「ポーランド食器」と呼ばれていますが、その中でも有名なのが「ボレスワヴィエツ(Boleslawiec)」。
ブランド名ではなく、ポーランド南西部にある小さな街の名前で、「ボレスワヴィエツ食器(陶器)」とはこの街で作られる陶器の総称です。
日本で言うなら、「有田焼」「美濃焼」などと同じような呼び方ですね。今回は、知る人ぞ知る陶器の街「ボレスワヴィエツ」の魅力に迫ります。
ミュンヘンの街の歴史は、12世紀にまで遡り、 もともと、塩の交易路であったため、関所や貨幣鋳造、市場の街として発展します。
しかし、ミュンヘンが本格的に街として栄えるのは、1180年に神聖ローマ帝国の皇帝 フリードリヒ1世(Friedrich I 、1122-1190)によって、 家来であったヴィッテルスバッハ家のオットー1世(Otto I、1117-1183)がバイエルン大公の位を与えられてから。
以降、ミュンヘンは、第一次世界大戦まで、実に800年もの長きに亘って、オットー1世の子孫の統治するところとなります。
皆さんは、ドイツの「陶磁器街道」という名を耳にされたことがあるでしょうか。
グリム童話で有名なメルヘンゆかりの町をつなぐ「メルヘン街道」や、古城が点在する「古城街道」などのように、この「陶磁器街道」は、陶磁器の製造で有名な町をつないでいるルートです。
ドイツの南東部のバイエルン地方からチェコまで続く、全長550kmに及ぶこの陶磁器街道の一角に位置するのが、今回ご紹介するクロイセン(Creußen、Creussen)です。
2018年1月13日からパナソニック汐留ミュージアムで始まった「ヘレンド展 皇妃エリザベートが愛したハンガリーの名窯」に行って来ました。
ヘレンド窯の作品が日本で紹介されるのはこれで3回目。初回は1993年、名工の手によるマスターピースを中心に、2回目は2000年から2001年にかけてヘレンド窯とハプスブルク宮廷の関わりに焦点を当てた展覧会でした。
そして3度目となる今回は、繊細な絵付けの施された装飾用磁器や、美しい装飾の実用磁器を中心に、ヘレンド窯190年の歴史沿って精選されたおよそ230点が紹介されています。
ムルシアの歴史は大変古く、580年ごろには、イベリア半島の北東からこの辺りまでギリシャ人がやってきて、陶器産業を作る元となったとされています。
825年には現在の場所にムルシアという名前の都市ができており、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン2世以降は、しばらくイスラム王朝の統治下の時代が続き、この間に、陶工たちがやってきたそうです。
1811年に、サン・クリク・カゾー(Charles Gaspard Alexandre Saint-Cricq Casaux)がクレイユ窯の経営者となり、1819年にモントロー窯を買収。
その後、工場経営を引き継いだルイ・マーティン・レベフ(Louis-Martin Lebeuf、1792-1854) とジャン・バプティスト・グラシアン・ミレー(Jean Baptiste Gratien Milliet、1797-1875)のもと 1840年には合併します。
ともにライバルとしてそれほど遠くない場所で陶器工場を営んでいたクレイユとモントローが共同で陶器を作ることとなりました。この名前は1840年から1874年まで“Lebeuf Milliet et Cie ”のマークで残ることとなります。